《編集部発》詩・目覚めた人
2011.03.22
仏典に曰く
「大地の動ずる事は
人の六根(ろっこん)の動くによる
人の六根の動きの大小によって
大地の六種も高下あり」と。
"六"とは目耳鼻口身、そして心なり。
人の六根は天地とつながる。
命のつながりを感ずるが六根なり。
天地が動ずれば、心が動く
心が動ずれば、天地が動く。
此処に、人と自然との不可思議な連鎖がある。
ゆえに、大地の大動には必ず人のゆえあり。
「元品(がんぽん)の無明(むみょう)を
破るゆえに大動あり」と。
"元品の無明"とは、人の根源的な迷いなり。
その迷いを、覚りに転ずるが大動
「ブッダ(buddha)」とは
サンスクリット語で「目覚めた人」との意である。
毎朝、両のまぶたを開くに等しい。
果して、その目に見えてくるものは何か。
どこか彼方にある、想像を超えた真理などではない。
有りのままの現実に浮かぶ実相である。
誰もが、酒に酔うがごとくに本心を失い
目覚めたる人の余りに少なきを嘆く
その時、大いに心が動かせり
「虚空の中に大なる声あって地を震い
一切皆遍く動かんこと猶水上輪の如くならん」
刹那にして永遠
「夢うつつか」とうつろい・まどろむ
その間、かけがえのない家族や親族、
友人・知人、家屋・家財のすべてが波にさらわれた。
ああ 足場のないほど積み重なった瓦礫の山々
それが、悲哀と絶望の大きさを物語る。
その中に、すくっと一人立つ男の目に映るものは何か。
「何か探しているのですか」との問いに
「家にともに流された500個の球根が、
一斉に芽を出して
この瓦礫を一面のチューリップの花が覆い尽くしたら」と答えた。
「六根清浄の人は
瑠璃明鏡の如く三千世界を見る」と云う。
果たして、有りのままの現実に浮かぶ実相とは、
瓦礫の積み重なった
悲哀と絶望の世界であろうか。
それとも、チューリップの花の覆い尽くす大地であろうか。
それは「目覚めた人」の行動の中で、
やがて、誰の目からも明らかなものとなる。
何とか細々と開催された卒業式。
特別なことは何もない。
ただ、ひとり一人に手渡された証書に
会心の笑みまた笑みが揺れる。
その歓びと感謝を歌にして
瓦礫の中から送り出してくれた
父母・祖父祖母へ
「互いに睦し 日頃の恩
別るる後にも やよ忘るな
身を立て名をあげ やよ励めよ
今こそ別れめ いざさらば」と。
「仰げば尊し」を歌う
その妙なる調べの音声は
父母・祖父祖母の心に
ありありとした希望の現実を描く
「瑠璃を以て地とし
金繩を以て八の道をさかひ
天より四種の花ふり
虚空に音楽聞え」と。