《編集部発》「想定外」にみる人間の愚かさと偉大さ
2011.03.31
2011年3月30日の「読売新聞」に、こんな記事が掲載されていた。曰く「東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた」というものだ。
その石碑は、灯台から南西に約2kmの姉吉漁港から延びる急坂に立っており、「高き住居は児孫(じそん)の和楽 想へ惨禍の大津浪」とあり、その結びで「此処より下に家を建てるな」と戒められている。この地区は1896年(明治)と1933年(昭和)の2度の三陸大津波に襲われており、それぞれ生存者が2人と4人という壊滅的な被害を受けた。その経験から、住民がこの石碑を建立したものだ。
毎日流される東日本大震災の暗いニュースの中で、特に耳障りと感じるのは「想定外」との言葉である。当事者が発することもさることながら、それを報道するメディアの無感覚さも目にあまる。本誌もメディアの端くれとして、自省の思いも込めたいら立ちを感じる。人の生死にかかわる大問題を「『想定外』とのひと言の下に片付けてよいものか」と強く思うのである。
いうまでもなく東日本大震災では"未曾有"との形容詞が用いられても、何の違和感も抱かない。日本の大多数の人が初めての経験で事実、震源地ではマグニチュード9.0という観測史上最大の規模である。ただ"観測史上"最大ではあっても、"有史以来"というわけではない。果たして、いつ頃からの観測データを基にしたものなのか。
一体、どれほどのスパンで物事を見ているのだろうか。ましてや大自然を相手にしたことである。それが、もし100年にも満たないことであれば、「想定」は人後に落ちると言わざるを得ない。何も「想定」とは、観測データからしか得られないものではないはずだ。人間に内存する英知が、こんな低レベルの「想定」しか生み出せないとしたら残念でならない。
人間の持つ感性の方は、いかなるデータ解析よりはるかに正確で、しかも奥ゆきの広いものである。そう感じる人は、けっして少なくないはずである。人材を総動員して日夜、スーパーコンピューターで計算を続けるよりも、1人断崖に立って三陸沖の大海原をじっと見つめれば、より多くのことを感じ学ぶことができる。誰もがきっと、海洋の持つ底知れぬエネルギーの大きさに驚き、恐れおののきを感じるに違いない。
いかに自らが描く「想定」とは桁違いであるか。「少なくともオーダーが1桁違う」として本誌には、「『想定外』などという逃げ言葉を使用しない。すべて『想定内』の時代」などの読者からの言葉が寄せられる。震災による2次災害として、いまだ解決の糸口がみい出せない原発(福島原子力発電所)問題だが、「果たして、天災か?」といった疑問も浮上している。
日本は世界唯一の被爆国であり、原子核反応の脅威とその生み出す力の大きさを、身を持って体験しているはずだ。或る専門家が、テレビ報道で「核反応を開放するのが原爆で、制御するのが原発」と解説していた。電力源としての原発への賛否はおくとして、核反応といったことを制御できるなどと思うこと自体が、人間の驕りであり、高慢さではないだろうか。
そのことを踏まえれば、けっして震災の一つとして片付けることのできない問題であり、「想定外」といった言葉などはけるはずがない。こうした心ない現状を目の当たりにしつつも本誌は、やはり人間には想像を超えた英知が生命に内存しているものと信じている。前進する勇気と希望を失わないかぎり、必ずや人間生命の内奥から未来を照らす光が放たれるに違いない。
冒頭紹介した新聞記事では地震が起きた2011年3月11日、巨大な津波が濁流となって押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50m手前で止まったとのことだ。自治会長の木村民茂さん(65歳)は、「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と語ったという。