《編集部発》ともに「雨ニモマケズ」を拝して
2011.04.05
立花大亀氏の「担雪埋井(たんせつまいせい)」という言葉を、近しい人から贈っていただいた。「雪を担いで井戸を埋める」という意味である。雪を担って井戸を埋めるのは労作業だ。しかし、雪は溶けてなかなか井戸を埋め尽くすことはない。"労多くして実ならず"ということだろうか。そんなことを一体、誰が好んでするだろうか。だが、人には必ず、なりふりなど構わず自身ににしかできない、為せねばならないことがあるのだ。
まさしく、かのスペインの作家ミゲル・デ・セルバンテス(Miguel de Cervantes)氏の描いた「ドン・キホーテ(Don Quixote, Don Quijote)」である。「誇るものは 汝の誇るに任せよ。 笑うものは 汝の笑うに任せよ。わが正義の闘争には 世間の風評や悪評など論外である」と或る詩人はいう。有り難いことに近しい人は、「担雪埋井」との言葉を本誌の姿とダブらせてくださった。これ以上の誉れはない。
また、それは震災で被災した方々とその復興支援に奮闘する人たちの姿にも似ている。ひとり一人の思いが強くなければ、けっして乗り越えられる苦難ではない。ならばこそ、本誌は同苦を絆として、岩手ゆかりの宮沢賢治氏が理想に掲げた"イーハトーブ"の実現に向け、「担雪埋井」の友の結集を図りたいのである。そして漸次集い来る友と、「雨ニモマケズ」の詩を拝したいと思う。
「雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく 決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを 自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず 苦にもされず
そういうものに わたしはなりたい」
原文はカタカナ交じりの詩であるが、ともに拝しやすいようにひらがなに置き換えた。この詩の心こそが"雪を担い井戸を埋める"友どもの心であり、本誌の心である。