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World View

中国経済の転機に中小企業間交流を促進

西園寺一晃氏

工学院大学孔子学院
学院長、客員教授
 
プロフィール?さいおんじかずてる
1942年、東京生まれ。
1958年、両親とともに北京移住。
1962年、北京第25中学校高級部卒業。
1967年、北京大学経済学部政治経済科卒業。
1971年、朝日新聞東京本社入社。
2002年、朝日新聞社定年退職。
その後、椙山女学園大学客員教授、慶応義塾大学非常勤講師などを経て、現在、工学院大学評議員、工学院大学客員教授、工学院大学孔子学院学院長、桜美林大学北東アジア総合研究所客員研究員、東京都日中友好協会常務副会長、新潟市アドバイザー、北京大学客員教授、中国伝媒大学客員教授、北京城市大学客員教授など。

----- お目に掛かれて光栄です。なぜなら、いつも手もとに置く一書に西園寺さんのご著「鄧穎超(とうえいちょう)―妻として同志として」(潮出版社)があるからです。本誌では年に3?4回、「Jsalon(ジェイサロン)」と称して女性だけの"学びの集い"を主催しています。あるいは、その発想の淵源をたどってみれば同書の影響が大きいかもしれません。
 なかでも、心に残っているところは、周恩来と結婚した鄧穎超さんに語られる、お母さんの言葉です。それは、「あなたは周恩来夫人ではないのよ。あなたは鄧穎超という独立した女性、夫は周恩来。人は周夫人といってきっと大事にしてくれるわ。なかにはお世辞を言ったり、チヤホヤする人もいると思うわ。でもあなたは一生懸命学んで、努力して、周夫人としてではなく、穎超として尊敬される人になりなさい」というものです。
 当時、革命の渦中にあって、結婚や出産を非常に肯定的に受け止めていたことに驚かされました。「革命の伴侶」や「女性が新時代を拓く鍵」といった興味深い章立てもあり、「ジェイサロン」に参加するメンバーにも一度は読んで欲しい一書です。この話を始めると切がありませんので、本題に入りたいと思います。西園寺さんは現在、東京都日中友好協会(都日中)の常務副会長でもありますね。ざっくりとした質問となり恐縮ですが、今後の日中関係を考える時に大事な点は何だと思われますか。
 
西園寺) 1999年の著書です。ご愛読いただき、ありがとうございます。ご質問にお答えする前に私も、鄧穎超さんのエピソードを1つ紹介したいと思います。同書にも書きましたが、鄧穎超さんは「今は革命第一、仕事第一」との思いから、身ごもった第一子を誰にも相談せずに中絶してしまいました。それを知った周恩来は激怒してこう言います。
 「君はどうして子供を産むことと革命を対立させるのだ。子供は僕たちだけのものじゃない。これからの国を担う大事な宝ではないか」と。もちろん「ジェイサロン」に参加している女性の中には、仕事と結婚・子育ての両立で悩まれている人もいるでしょう。また日中関係として捉えてみても、非常に示唆的だと思います。一見して対立するように思えることも、未来に目を向ければ協調の可能性も浮かび上がってきます。
 ご承知のように、近年は日中関係の悪化が非常にクローズアップされています。しかしながら、ほとんどは政治的な関係に依るもので、たとえば日中貿易では総額3000億ドル(2011年見込み)を超える規模にまで膨らんでいます。もちろん地理的にみても、また文化的にも、これまでの長い友好・交流の歴史を振り返っても、日本と中国とは切っても切れない互恵関係にあるといえましょう。
 何よりもまず、そのことをしっかりと踏まえた上で、未来を見据えて日中関係を考えることが最も重要なことだと思います。そうすれば、たとえどんな分野であっても、答えは自ずと導き出されるはずです。リーマンショック以降、中国は外需依存の経済成長から内需の拡大へと大きく舵を切りました。こうした背景を踏まえ、中国をはじめとした東アジア全体を、日本を含む巨大な成長マーケットとして捉える企業が現われ始めています。
 
----- 西園寺さんは今秋(2011年11月16日)に、工学院大学で「転換点に立つ中国経済」(※)と題した講演をされる予定ですね。その転機として、先に触れた「外需型成長」からの「内需型成長」への転換とともに、改革・開放以来の急激な経済成長が孕む矛盾や歪みの緩和や解決策を挙げられています。果たして、どんな解決策が用意されているのでしょうか。
 中東・北アフリカでは、「アラブの春(Arab spring)」と呼ばれる一連の民主化運動が起こっています。中国とて例外ではなく、解決策などを誤れば民主化の動きが起こるといったことも考えられるでしょう。
 
西園寺) すでに色々な緩和や解決策が講じられていますが、どれも決め手となるものとは思えません。だからと言って私は、例えば"10年の内"といったスピードで、そのような動きが起きるとは思っていません。先にも触れましたが、いずれにしても中国経済の転機は、日本にとってけっして"対岸の火事"ではありません。
 いつまでも「右顧左眄(うこさべん)」に終始しているのではなく、積極的な経済交流の推進によって、今こそ"戦略的互恵関係"をしっかりと築いていくべき時だと思います。特に日中両国の中小企業間の交流は始まったばかりであり、都日中でも今後その推進に一段と力を入れていく考えです。中国側もこのことを望んでおり、具体的には北京市対友協や北京の中小企業団と協力しいく方針です。
 不思議なもので、日中の中小企業ともに経済交流への不安を抱いており、この点で都日中が果たすべき役割があると思っています。まず今秋(2011年11月)に、北京の中小企業団体のリーダーが日本を視察に訪れる予定となっています。これをスタートに今後、テーマ別(例えば"包装材料")の視察団を受け入れ、国内の中小企業との交流をより具体的なかたちで進めていく考えです。包装分野については、是非とも貴誌にご協力いただければと思います。
 東日本大地震で、宮城県の会社専務(佐藤充氏)が自ら犠牲になり、中国人研修生の命を救ったことに、中国からも感動の声が寄せられたことは、いまだ記憶に新しいでしょう。民間レベルでの両国の意識は確実に変わってきていると思います。さらに、地に足の着いた中小企業間での交流が一段と進めば、日中両国の友好関係はけっして後もどりしないものとなると信じます。
 
(※)工学院大学孔子学院とNPO法人の東京都日中友好協会との共同連続講座として「中国問題を読み解く」をテーマに行っている講演。内容の詳細や申込みはhttp://www.kogakuin.ac.jp/cik。