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生きている実感のともなうパッケージ
今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。
義務教育時代に覚えた睦月、如月(弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走)にはじまる、陰暦の月の呼び方をいまだ記憶している。7月は「文月」で、その語源は、短冊に歌や字を書き、書道の上達を祈った七夕の行事にちなんでいるといわれる。
他にも稲穂が膨らむ月から、「穂含月(ほふみづき)」「含月(ふくみづき)」からの転とする説もあるようだ。月並みないい方となるが、むかしの人は自然とともに生きていたのであろう。つい故郷の大雨に特別警報が出されたことから、親族や友に(電子)メールで安否を訊ねた。
そのメールも便りには違いないが、とんと手紙は書かなくなってしまった。ただ陰暦の呼び名にあやかって、毎年この時季には幾人かに「暑中見舞い」は出すように努めている。面と向かった対話もいいが、手紙を通じた文章でのやり取りには独特のおもむきがある。
時季的な感傷といったこともあろうが、「往復書簡」との言葉にひかれて、免疫学者の多田富雄氏と幾人かとの書簡を手に取った。とくに多田氏はいずれも突然の発病により身体的制約を課せられた後の書簡で、ワープロ入力に頼るものだが、(思考にはまったく支障はなく)一言一言が生き生きとしている。
そうした訳で、それら往復書簡のなかから「露の身ながら」(集英社)に認められた、多田氏のユニークな思考がよく表われている一部を紹介したい。書簡の相手はやはり、病により身体的な制約を強いられた遺伝子学者の柳澤佳子氏である。
そのなかの1通に、柳澤氏は「回を重ねるごとに、先生のお手紙が明るくなっていることにお気づきでしょうか」とつづっているが、それは互いにいえることでもあり、またいずれの書簡にも共通することである。あえて「言霊」といわずとも、不思議なことに書簡を通じて互いの心が満たされていくのであろう。
多田氏も書簡のなかでこんなことをいっている。「実は、病気になる前の自分を考えると、本当に生きる実感をもっていたのだろうかと、自信がなくなることがあります。本当は、前から生きるという実感を失いつつあった。半ば病んでいたということに気づいたのです。病気になって、初めて生きることの大切さを確かめた気がするのです」と。
* * *
環境については、私はこう考えます。環境問題は、生命活動にとって外部の問題ではなく明らかに内部の問題になりつつあります。「内分泌攪乱物質」を「環境ホルモン」と翻訳したのは、奇妙な日本の造語です。
しかし、今まで外部のものとして、生命活動とは別の次元のものと考えてきた環境を、そんな境目のない、生命内部の問題として捉えなければならないことを示した重要な造語になりました。生命という閉じて完結した世界が、突然境目のない世界として、開かれてしまったのです。
生物学者が、内部環境と外部環境とを区別して考えていたのを覆す用語だったのです。外部が内部に入り込み、内部と不可分の問題として環境をとらえなければならないことを示しました。
そんな問題が生じる前から、生物は環境のないところに生きているものでないこと、そうして環境は生物が参加して作られるものであることは、分かっていたはずなのですが、「環境ホルモン」という奇妙な日本語の造語が、生命内部の問題としての環境問題をはっきりと突きつけたのです。
それが、生態と発生という形で問題になっているということですね。イカの発光器官の発生についての実験はおもしろいですね。外部に存在する細菌が、内部の遺伝子を呼び覚まして発生の決定をする。これまでは到底考えられぬことです。
生物学の考え方では、細菌の感染が発生の決定因子を誘導して、発生のプログラムに影響を与える可能性は否定できないでしょう。たとえば、細菌感染によってTGF-β(形質転換増殖因子)のような炎症性メディエーター(化学伝達物質)がつくられ、それが器官の発生を誘導することも考えられます。
私は今、「ネイチャー」のような雑誌は読むことができませんが、その可能性はないのでしょうか。近頃の発生学の仕事は、重要な問題提起をしています。TGF-βは、はじめは免疫や炎症のメディエーターとして固定されたのですが、同じファミリーに属するアクチビンがオルガナイザーとして働くということが分かって、一躍発生学の寵児になったことはご存知のとおりです。
形態の非対称性や前後軸を決めているのもTGF-β様のシグナルですね。FGF(線維芽細胞増殖因子)にもそうです。単に栄養因子と考えられていたものが、四肢の発生にまで関与しているのですから。こんなことを誰が予測したでしょうか。
炎症は炎症、免疫は免疫の分子が動かしていると考えてきたのです。生物がこんなに同じような分子を、安易に他の目的のために流用していたことは思いがけないことです。炎症の抑制や、細胞の増殖に関与していた分子が、発生のキーとして使われている。
柳澤さんが生態学と進化学、遺伝学、細胞生物学、発生学の輪が閉じられているといわれましたが、発生学は炎症や免疫まで取り込んで、閉じられるどころかますますその輪は大きくなり、開放的になっていくような気がします。こうしてこれらの領域がボーダレスになって、生物学の本来の姿に吸収されるのだと思います。
生物が、可塑性をもつ融通の効くものだったという理解は、生物学の新しい理念、パラダイムになるかもしれません。さらに免疫のI&G産生のように、遺伝子のランダムな再構築によって無限の多様性をつくり出し、その選択によって個体の個別性をつくり出すという戦略まで編み出したのですから、生物ってすごいと思います。
私は鼓の稽古と同じように、蛮勇をふるって何でもやってきました。今思うと、鳥肌が立つほど恥ずかしい。でもそのおかげでいつも新しい世界にチャレンジできました。研究生活だけではできない新しい友達もできました。体が不調になってからも、色々な領域の友達が遊びにきてくれるので、少しも淋しくない。
研究仲間も大勢いますが、文学の仲間や、趣味のお能の関係で知り合った友達も頼りになります。慰められます。お互いに病気と闘いながら、こうしてお便りを交わすことができるのは、一つの喜びです。病むことは待つ、そして我慢すること、その点は柳澤さんの言うとおりです。
その連続のなかで生きるのが患者です。患者をペイシェント(辛抱する人)とはよく言ったものです。病院ではいつも患者が待たされています。待つことが定めのように。「マタイ受難曲」の「パッション」も同じ語源です。英語のコンパッション(同情、慈悲)は、もともと受難をともにするという意味です。
病むことを日常としながら、自らの生命をたつことはできない。愛するものがこの世にいるからです。ささやかな知的喜びも持っています。むしろ苦しみを突き抜けることで、生の実感が蘇ってくるように思います。障害物競走のハードルは段々と高くなります。
でも負けられない。華やかな過去なんか、もう懐かしむだけで精一杯なのです。「もぐらたたき」にたとえれば、休んでいる間にももぐらが次々に顔を出します。神話のシジフォスのように、永遠に叩きつづけるのが運命なのです。
あきらめたら負けです。きっと、今頃はすっかり元気になって、最新号の「ネイチャー」など読んで、また私に教えてくださる準備をされていることでしょう。風が立ちました。もう秋の初めです。「(風立ちぬ、)いざ生きめやも」(堀辰雄氏の小説「風立ちぬ」の有名な台詞)と、むかしの詩人は詠いました。声はでませんが精一杯の声援を送ります。
プロフィール◎多田富雄(ただとみお)
1934年、茨城県生まれ。千葉大学医学部卒。東京大学名誉教授、免疫学者。1971年に、免疫反応を抑制するサプレッサーT細胞を発見した。野口英世記念医学賞、朝日賞、エミール・フォン・ベーリング賞など受賞多数。2010年逝去。