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徹底的に、広範囲に、一心に種を蒔く
今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。
長らく海外で暮らしている友人から、あるとき旅先で出会った外国人から「あなたは、日本人なら"福岡正信"の名前を知っていますか?」と尋ねられた話を聞いた。友人はその名を知らなかったようだが、本誌もあわてて調べ1冊の本を取り寄せてみた。
皆さんは存知の名であっただろうか。福岡氏の紹介には「世界には『自然農法』の信奉・実践者も少なくないが日本ではマイナー」とあった。知らなくとも当然とはいえなくもないが、かえって恥じ入る思いで幾つかの著書を読み進めている。
たぶん、その著書の1つ「わら一本の革命」は、信奉・実践者のバイブルとして世界中の多くの人に読まれているのではないだろうか。それは「人間革命というのは、この、わら一本からでも起こせる」との一文から始まっている。"バタフライエフェクト"ではないが、"わら一本の重さ"を知るということである。
周知のようにかのカンジーも"塩の行進"という、最も身近な必需品を運動のシンボルとした。"わら"や"塩"と来て、すぐに"包装"を思わない包装人はいない。"包装"も変革の運動のシンボルともなれば、"人間革命"を起こすこともできる。
「人間革命」と表する福岡氏の真意は計り知れないが、少なくとも国境を超える、あらゆる課題の根源は人にあり、所詮は心に帰着するものに違いない。その心の変革(価値観の転換ともいえるかもしれない)であり、「心に刺さった見がたき一本の矢」を抜くのが「人間革命」であろう。
そこで今回は、福岡正信氏の著書の1つである「自然に還る」(春秋社)の一部を紹介したい。限定的に「農法」としてみるのではなく、これからのモノづくり、商品開発としてみても十分に示唆的である。"盲滅法"は、案外に現代にあった手法かもしれない。
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一般に科学者は、砂漠は空から雨が降らないから砂漠になったんだと考えているようですが、私の結論は、哲学的に言えば、雨は下から降るということなんですよ。雨がないから砂漠になり草木が育たないんじゃなくて、草木がなくなったから雨が降らなくなったんです。
緑の草が少なくなったのは、人間と大動物のせいでしょう。食物のより好みをするたくさんの人間が集まって住み、木を切り倒して、建物を建てたり、お寺を建てたりしたからでしょう。日本でも、中国地方に文化が発達して、国分寺やらなにやら、お寺を建てまくったのがスタートになって、中国山系や四国山系の山が貧しくなった、痩せたと言われています。文化の発達したところの周辺ほど、山が痩せているというのは、やっぱり、人間が破壊した証拠なんです。
外国では、焼き畑農法で山の木を焼き、牛馬や羊を放牧したために緑が減ったんでしょう。アフリカでもイランでもイラクでも、昔栄えた所が砂漠化しているということは、人間が害を与えて砂漠になったんだということが推測できるわけです。
人間が木を切り、牛馬が草を食べると、必ず木の種類も下草の種類も単純になる。その単純化された雑草は死滅しやすい。褐色の草原になれば照り返しが強いから、地温が上がり、気候が狂い、水気が蒸発してしまって、砂漠化していく。こういう順序になるはずです。
牛馬が草を食べると、必ず木の種類も下草の種類も単純になる。その単純化された雑草は死滅しやすい。褐色の草原になれば、照り返しが強いから、地温が上がり、気候が狂い、水が蒸発してしまって、砂漠化していく。こういう順序になるはずです。
水がなくなったから砂漠になったのではない。水がなくなる前に根本原因がもう一つあった。それは、木や草の死滅ということになる。とすれば、砂漠化防止の根本策は、どうしても古来の緑の草の復活が先決になる、といえるでしょう。
ところが、これまでは、砂漠化を防止しようとすると、砂漠に水がないから草木がなくなったのだと考え、水を引くことから着手します。ダムを造り、灌漑溝を整備するわけです。しかし、この方法では、"焼石に水"で、効果が少ないばかりでなく、塩分の集積を招いて失敗するということが、エジプトなどの例でも明らかになってきました。
では、どうすればいいのかといいますと、なんでもいいから、まず地表を緑の草で被覆するという方法を採るんです。もし、私が、イランやイラクの砂漠をどうするかと言われて、その対策を進言するとしたら、イラン、イラクの古来の植物はもちろん、あらゆる種類の種子を集めて、飛行機から、雨期の直前、一遍に見渡すかぎりの全土に蒔いて、どれが生き残り、どう育つか、テストすることから始めます。
盲滅法な無茶苦茶な方法に見えますが、九死に一生を得る方法にはなるんです。やるなら、徹底的に広い所へやらなければダメです。広い所へやったら、九割九分失敗しても、必ずどこかには成功するものがあるんです。手掛かりがつかめるんです。
で、翌年も、その翌年も、三年は失敗するつもりで、99%まで失敗しても一年間に1%生き残るものがあったら、その翌年にやってみる。それをさらに翌年もやる。三年計画で三年ぐらい失敗するつもりで、見渡すかぎりの平原に対して、種を一心に蒔く。
それしかないのではないかと思うんです。そして、手探りのようだけえど、本当の自然というものを探って、古代のイランならイラン、イタリアならイタリア、オランダならオランダの自然はどうであったかということを、まずキャッチしていく。
砂漠の中で生きのびる植物をまず育て、次第にその種類と量を増やしていけばいいでしょう。問題は、その土地に今、何が生えているかということです。それを知るために、各種の種をばら撒くわけです。これは、おさい銭です。人間が作るのではなくて、自然に教えてもらうための材料を提供する。
ちょっというと、神さまにお供え物をするわけです。それで、土地の神さまに好みの物を食べてもらう。土地の神さまが好むのであったら、「ここにはこれがいいんだな」と教えてもらうわけです。科学者は、自分の知恵で「あれが向いているだろう。これが儲かるだろう」と判断して、スタートする。
現在の土を物理学的に調べたり、土壌肥料学的に調べることからスタートする。そして、「ここはリン酸がないから、こういう作物を作りさい、落花生を作りなさい...」なんて言うけれど、私は、そういうやり方ではないんです。どこの自然も、おそらく昔の自然ではないはずです。
現在は不自然で、デタラメになっているんだから、デタラメに対しては、やはり無茶苦茶流で出発した方がいい。白紙の出発点から、なんでもたくさん蒔いてみる。大地に対してお伺いを立てるわけです。すると、大地が何か答えてくれる。
無鉄砲のようで、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるのです。ただ、ケチくさいおさい銭では答えてくれない。広い面積で、度胸を据えて、捨て身で全さい銭を持ってきて、全種を集めて蒔いてみると、お答えを出してくれる。ミクロ的には、科学も役立つようにみえるが、大自然の秘密は神の目で見なければわからない。
神は、時に奇想天外な驚嘆すべき答えを出してくれる。そしたら、二年目にそれをまねしてみる。それで、三年目に計画を立てる。そういう順番でやってみるんです。科学農法による田畑を、自然農園に切り換えていく方法・過程は、そのまま砂漠地を緑野に変えていく手段として応用できるのです。
その意味で、私の自然農園は非常に面白い材料を提供してくれます。いずれ詳細に報告する機会があるでしょう。自然農法も最初はいろいろな種を蒔いて、その土地に何が生えるかから出発します。同様に砂漠化防止の対策も、砂漠の中に多種多様な植物(できたら微生物、小動物、昆虫なども混ぜて)の種子を蒔いてじっと見守っていたらどうなるでしょうか。地上にいくらかでも何か生えてくれたら手掛かりになるでしょう。
著者プロフィール/福岡正信(ふくおかまさのぶ)
1913年2月愛媛県伊予郡に生まれる。自然農法の提唱者。旧制松山中学校、岐阜高等農林学校(現岐阜大学応用生物科学部)卒後、横浜税関の植物検査科に所属。死に直面する病をきっかけに、自然農法を確立。フィリピンのマグサイサイ賞を受賞をはじめ、インド・デーシコッタム賞、アース・カウンシル賞などを受賞。アジアやアフリカなど政府主導で同農法を学ぶ国もある。著書「自然農法・わら一本の革命」は世界中で読まれる。2008年8月95歳で逝去。