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パッケージとは 人と人、人とモノとの間に生まれる価値
今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。
先日、知人のデザイナーが「グローバル(global)」の語源に立ち返り、人と人との「『間』の何か大切なものがあるのでは?」と語っていた。「グローバル」とは「球状の」といった意味から、それを地球になぞらえ「地球規模の」との意味で用いられるようになったようである。
当然、「グローバル」との言葉に国境(境界線)の意はないことから、現代的に「国境を越えて地球全体にかかわるさま」との意で用いられることとなっている。もともと地球上にない国境線など引かなければ、「国境を越えて」などと強調する必要もないわけである。
これまでの人類の遺産をけして否定するものではないが、その昔の人類は国境のない地球上をまさに"グローバル"として、非常にダイナミックに活動していたのではないだろうか。そこには「国境」ではなく、ただ「間」があったということであろう。
とくに「国境」を生み出した人と人の「間」というのが難題であり、それだけに興味深い。「自然は真空を嫌う」との古代ギリシヤの哲学者・アリストテレスの言葉は有名だが、「間」であり「真空」は(そのままの状態ではなく)必ず何かで満たそうとするものである。
「間」を黙って放っておけば、なぜか「不安」で満たされる。国境が出現する所以である。それを「信頼」「安心」で満たそうとすれば、必ず「間」を埋める行動(努力)が必要となる。端的に、それは絶えなる往復運動のなかに表われるものである。
グローバルは人と人の間にはどこにでもある。本来、人と人の間に社会も国家も世界もある。今回は、作家・吉本隆明氏の随筆「ひきこもれ ひとりの時間をもつということ」(だいわ文庫)の一部を紹介する。「ひきこもり」と「グローバル」では相反しているようだが、いずれも個(人格)の確立には不可欠で、連動しているものである。
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文学ばかり読んでいたかということで言えば、ぼくの本質は戦争とは関係なかったと言えるわけですし、勤労作業を一生懸命やって、国家的な方針のようなものに協力したということで言えば、戦争の現実そのものに従っていたことになります。
しかし、ぼくの中ではそこには何の矛盾もなかった。文学というものは、もともと社会とはあまり関係がなくて、人間の心の中の問題に関係があればそれでいいと思っていたからです。けれども戦争になって、その考えを修正した面があります。
戦後、自分に関係ないところで社会ががらりと変わったのを目の当たりにして、自分の文学の読み方は間違っていないと思ってきたのは本当だったのだろうかと疑問に思い始めたのです。ついこの間まで戦争に熱中していた国が、急に平和国家と言い始めた。
とにかく平和が重要だとみんなで言うわけですが、その急激な変化というのは、自分とはまったく関わりのないところで起こったものです。文学が好きなひきこもり性で、文学書の中でもとりわけひきこもり的な文学というか、現実がどうだとか戦争がどうだとか、そういうこととは関係ない小説が好きな自分がいました。
しかし実際に社会がひっくり返ってみると、それは自分の本質には関係がないところで起こったはずなのに、ぼく自身は、生き方の道筋がわからないような気持ちになっていた。心の奥底のほうから、浮かない感じというんでしょうか、どこかが違っていたという感じが湧き上がってくるのを止められなかったのです。
文学は社会の動きとか国家とかにはあまり関係がなくて、人間の本質を描くものなんだという考えは、基本的には変わっていません。本居宣長が「源氏物語」を評した言い方で言えば「もののあはれ」が文学の本質なんだよ、ということです。
しかし戦後の、すべてがでんぐり反ってしまって途方にくれたあの実感は消えない。そこでぼくは思ったのです。そのときどきの社会を、総体として自分なりに捉えていないと、とんでもない不意打ちを食らうことがあるぞ、と。戦後、変わったのはそこです。
ひきこもりはちっとも悪くない。文学の本質も変わらない。けれども、ひきこもってはいても、いつでも社会がいまどうなっているかを自分なりに把握しておかなければ、相当危ないんだと思うようになりました。社会全体をこういうふうに捕まえるのが一番自分らしいんだ、というビジョンを絶えずもってないと、文学も駄目なのではないかということです。
社会の掌握の仕方が正しいかどかは二番目の問題で、それぞれの人が自分なりの時代のイメージといいうか、ビジョンというか、そういうものを掴んでいるということが、あまり現実と関係ない文学にとっても重要なのです。それが唯一、ぼくが戦後に考えを修正したところです。
戦争が終わり、自分の外側で社会がひっくり返ったという感じをもったとき、ぼくはこう思いました。いいなあと思って読んでいた同時代の文学者、太宰治でもいいし、文芸批評家なら小林秀雄といった人が、いまどう思ってるのかを言ってくれないだろうかと。
かれらが何かを言ってくれれば、ずいぶん楽になって、自分の生き方の道がつけられるのに―そう、切実に思ったのです。しかし、戦争中も良いものを書きつづけていたかれらが、戦後には沈黙してしまっていた。この人は偉い人だと思っていた人ほど、黙ってしまったのです。
なぜ沈黙するかはよくわかる。怖いんです。こんなことを言ってしまったら世論から猛反発を喰らうのではないかとか、あるいは自分は文学の世界のなかで孤立してしまうかもしれないとか。もっと端的に言えば、村八分のようになってしまうかもしれないと考えたのだと思います。
その気分は実感として分かるところがあります。自分だけが吹きさらしの中で無防備で立っているような、そういう感じなのでしょう。それを乗り越えて、あえて言う、言いにくいけど言うという人はいませんでした。そのときに思ったのです。
もしも自分がいつか、ものを書いて意見を公表すような立場になったとしたら、沈黙しない。言いにくいときでもできるだけ言おうと。いまもそれを思っています。沈黙すると誰にすまないかというと、ぼくの本を読んでいる人です。それは1000人単位の人たちなのですが。
そういう人たちが昔のぼくと同じように、いまどう考えるべきなのかと悩み、何か言ってほしいと思っているとしたら、少なくとも、いまこう考えていますよということは言おうと決めているのです。
本質的なところは変わっていないので、相変わらずひきこもり志向です。あまり現実的なことが書いてある小説は好きではなくて、恋愛小説のほうがいいというあたりは昔と同じです。でも体験上、そこのところだけは変わってきたように思います。
しかしそれは、なかなか理解してもらえませんね。「あいつは小泉首相の悪口を言うのが得意だから、あれこれ書いているんだ」などと言われてしまう。ひきこもり性ですから、本当はそういうことについて書いたりしゃべったりするのは苦手です。
恋愛小説でも不倫小説でもいいのですが、そちらのほうが、つまり「もののあはれ」のほうがずっと好きで、そちらのことを書けと言われたほうが、喜んで書くのです。でも、いまの世の中について何か聞かれたら、言わないわけにはいかない。
何も考えていないなら別ですが、ぼくは戦後ずっと、そのときどきの世の中について考えてきました。だから、そんなことは考えたことがないという言い訳はできないのです。おまえは、文学はもうやめたのかと言われることもあります。
吉本隆明(よしもとたかあき)
1924(大正13)年11月、東京・月島生れ。東京工業大学電気化学科卒業。学位は学士。東京工業大学世界文明センター特任教授。「夏目漱石を読む」で小林秀雄賞を受賞。詩人、評論家。主な著書に「吉本隆明全詩集」「共同幻想論」「日本人は思想したか」「親鸞」「超恋愛論」「日本語のゆくえ』など。2012年(平成24年)3月に逝去。