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World View

悲しみの根っこを共有した想像(創造)力の翼

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 英国のことわざに「学問なき経験は経験なき学問に勝る」とあるようだ。明治の俳人・正岡子規は晩年を病床で過ごし、34歳の若さで逝去した。その病床記を「病牀六尺」に「これがわが世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである」と残したことは有名である。
 この年初には東京でも20センチの積雪となるなど、とくに北陸三県では記録的な降雪となった。病床の子規は「いくたびも/雪の深さを/尋ねけり」との一句を詠んだが、"五六豪雪"をしのぐ積雪に福井の人たちは「いくたびと/雪かきしても/積りけり」と詠みたい心境であろう。
 これもまた貴重な経験には違いなく、かの子規の「病牀六尺」ではないが、その経験には時間も空間もさほど関係はなさそうである。子規が「六尺の病床が余には広過ぎる」というのであれば、文庫であればわずか十数センチ四方のなかに収まる本(読書)の世界もまた広すぎるといえよう。
 いまさらではあろうが、(必然的に日本の著作が多くなるのは否めないが)様々な分野の著作の紹介に「world view」を掲げているのはそのゆえである。正確にいえば「著作の紹介」というよりも「読書のすゝめ」である。英国のことわざを圧縮すれば「経験に勝るものなし」で、読書もまた「経験」であるからだ。
 ある意味で、この「読書のすゝめ」は著作選択というより、著作から著作への連鎖といった方が近い。それが、ついに皇后 美智子さまの「橋をかける―子供時代の読書の思い出」に至ったのは感慨深い。これは著書ではなく、IBBY(International Board on Books for Young People)の第26回世界大会で上映された基調講演の原稿で、その一部を抜粋して紹介したい。
 
* * *
 
 生れて以来、人は自分と周囲との間に、一つ一つ橋をかけ、人とも、物ともつながりを深め、それを自分の世界として生きています。この橋がかからなかったり、かけても橋としての機能を果たさなかったり、時として橋をかける意志を失ったとき、人は孤立し、平和を失います。
 この橋は外に向かうだけでなく、内にも向かい、自分と自分自身との間にも絶えずかけつづけられ、本当の自分を発見し、自己の確立をうながしていくように思います。私の子ども時代は、戦争による疎開生活をはさみながらも、年長者の手に護られた、比較的平穏なものであったと思います。
 そのようななかでも、度重なる生活環境の変化は、子どもには負担であり、私はときに周囲との関係に不安を覚えたり、なかなか折り合いのつかない自分自身との関係に、疲れてしまったりしていたことを覚えています。
 そのようなとき、何冊かの本が身近にあったことが、どんなに自分を楽しませ、励まし、個々の問題を解かないまでも、自分を歩きつづけさせてくれたか。私の限られた経験が、果たして何かのお役に立つものかと心配ですが、思い出すままにお話しをしてみたいと思います。
 また小さな子どもであったときに、一匹のでんでん虫の話を聞かせてもらったことがありました。不確かな記憶ですので、今、おそらくはその話の元はこれではないかと思われる、新美南吉の「でんでん虫のかなしみ」にそってお話いたします。
 そのでんでん虫は、ある日突然、自分の背中の殻に、悲しみが一杯詰まっていることに気づき、友だちを訪ね、もう生きていけないのではないか、と自分の背負っている不幸を話します。友だちのでんでん虫は、それはあなただけではない、私の背中の殻にも、悲しみは一杯詰まっている、と答えます。
 小さなでんでん虫は、別の友だち、また別の友だちと訪ねて行き、同じことを話すのですが、どの友だちからも返ってくる答えは同じでした。そして、でんでん虫はやっと、悲しみは誰でももっているのだ、ということに気づきます。自分だけではないのだ。
 私は、私の悲しみをこらえていかなければならない。この話は、このでんでん虫が、もう嘆くのを止めたところで終わっています。しかし、この話は、その後幾度となく、思いがけないときに私の記憶に蘇ってきました。殻一杯になるほどの悲しみということ、ある日突然そのことに気づき、もう生きていけないと思ったでんでん虫の不安が、私の記憶に刻みこまれていたのでしょう。
 生きている限り、避けることのできない多くの悲しみに対し、ある時期から子どもに備えさせなければいけない、という思いがあったのでしょうか。そしてお話のなかのでんでん虫のように、悲しみは誰もが皆背負っているのだということを、子どもに知ってほしいという思いがあったのでしょうか。
 確かに、世のなかに様々な悲しみのあることを知ることは、ときに私の心を重くし、暗く沈ませました。しかし子どもは不思議なバランスのとり方をするもので、こうして少しずつ、本のなかで世のなかの悲しみに触れていったと同じころ、私は同じく本のなかに、大きな喜びも見出していっていたのです。
 この喜びは、心がいきいきと躍動し、生きていることへの感謝が湧き上がってくるような、快い感覚とでも表現したらよいでしょうか。初めてこの意識をもったのは、東京から来た父のカバンに入っていた小型の本のなかに、一首の歌を見つけたときでした。
 それは春の到来を告げる美しい歌で、日本の五七五七七の定型で書かれていました。その一首をくり返し心のなかで誦していると、古来日本人が愛し、定型としたリズムの快さのなかで、言葉がキラキラと光って喜んでいるように思われました。
 詩が人の心に与える喜びと高揚を、私はこのとき初めて知ったのです。先に私は、本から与えられた「根っこ」のことをお話しいたしましたが、今ここで述べた「喜び」は、これから先に触れる「想像力」とともに、私には自分の心を高みに飛ばす、強い「翼」のように感じられました。
 今振り返って、私にとり、子ども時代の読書とは何だったのでしょう。何よりも、それは私に楽しみを与えてくれました。そして、その後にくる、青年期の読書のための基礎を作ってくれました。それはあるときには私に根っこを与え、あるときには翼をくれました。
 この根っこと翼は、私の外に、内に、橋をかけ、自分の世界を少しずつ広げて育っていくときに、大きな助けとなってくれました。読書は私に、悲しみや喜びにつき、思いめぐらす機会を与えてくれました。
 本のなかには、様々な悲しみが描かれており、私が、自分以外の人がどれほどに深くものを感じ、どれだけ多く傷ついているかを気づかされたのは、本を読むことによってでした。
自分とは比較にならぬ多くの苦しみ、悲しみを経ている子どもたちの存在を思いますと、私は、自分の恵まれ、保護されていた子ども時代に、なお悲しみはあったということを控えるべきかもしれません。しかしどのような生にも悲しみはあり、一人一人の子どもの涙には、それなりの重さがあります。
 私が、自分の小さな悲しみのなかで、本のなかに喜びを見出せたことは恩恵でした。本のなかで人生の悲しみを知ることは、自分の人生に幾ばくかの厚みを加え、他者への思いを深めますが、本のなかで、過去現在の作家の創作の源となった喜びに触れることは、読む者に生きる喜びを与え、失意のときに生きようとする希望を取り戻させ、再び飛翔する翼を整えさせます。
 悲しみの多いこの世を子どもが生きつづけるためには、悲しみに耐える心が養われるとともに、喜びを敏感に感じ取る心、また喜びに向かって伸びようとする心が養われることが大切だと思います。
 そして最後にもう一つ、本への感謝を込めてつけ加えます。読書は、人生の全てが、けして単純ではないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても。

皇后 美智子(こうごう みちこ)
1934年10月20日東京生まれ、聖心女子大学文学部を卒業後、1959年に皇太子・明仁親王とご結婚。皇族。第125代天皇・今上天皇の皇后。旧姓は正田。皇室典範に定める敬称は陛下。日本赤十字社名誉総裁、国際児童図書評議会名誉総裁。