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パッケージは人の心の“ぬくもり”を体現する
今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。
東風吹かば/匂いおこせよ/梅の花/主なしとて/春な忘れそ
平安時代、九州の大宰府へ左遷されて後、"学問の神"として祭られた菅原道真の有名な和歌である。江戸の歌人、服部嵐雪の「梅一輪/一輪ほどの/暖かさ」もよく知られた句だが、"梅の花"は春の到来を告げる便りとなる存在なのかもしれない。観る人の心に"希望のぬくもり"を燈すのだろう。
そんなことを考えていると、本誌のもとに1通のメールが寄せられた。偶然にも、同じ日に同じ方と会ったことの驚きから発した便りである。なぜか、その日のその方との会話の中で、便りの送り主の顔が心に映じた。この季節が持つトリックなのだろうか。不思議なものである。
「随分と話が合って、不思議で感動の時間でした。もっと話ができたらとも思いましたが、それでも結構分かり合えました。心、腹の真ん中が、あったかく感じるような伝わり方で、本当に良い時間でした。こんなあたたかみを味わえる人生って、結構いいな。先にお会いされたと聞いてメールしてみました」
「3・11」以降、「絆」という言葉が多用されるようになったが、内実として「心、腹の真ん中が、あったかく感じる」という、この"ぬくもり"のあることが大切である。それは必ずしも人と人の間だけ止まるものではなく、何か、誰かと繋がっている確かな実感であり、それが生きている実感ではないだろうか。
パッケージは、その"ぬくもり"をよく体現するものでなければならない。それが本誌の持論である。これまで余りに夢中で駆け上ってきた坂道から、転げ落ちた大切なものが沢山ある。ここらでしばし立ち止まってみて、周囲をよく見渡し、空をも見上げて、何を落したのか静かに考えてみるべきである。
「今が大事」といっても、それは"過去"と"未来"とのわずかな幕間に過ぎないのだから。その意味で、今回は脚本家であり、映画監督の新藤兼人氏の著書「いのちのレッスン」(青春書房)に学びたい。
◇ ◇
思ったことを、夢を、現実のなかにのばしていけたらどんなに愉しいだろう。それが人間が生きていることではないか。夢なんかない、という人がいたら、それは違う。人間には心がある。その心が何かを思うはずだ。感じるはずだ。思ったことが、感じたことが夢につながる。
何か仕事をして、食べていかなければならないのが、人の定めである。理屈はいらない。定めは、定めとして受け入れるべきである。それならば、思ったことをしたほうがいい。夢をかたちにしたほうがいい。いかに生きるかの答えがここにある。
しかし、何を仕事にするか、それだけは自分の心の声を聞いて自分で決めるほかない。それが定まらないうちは、生きる自信も見つからない。生き方の方針も定まらない。自分自身を知って、それを何かに投げ込むのだ。仕事にしがみつくことだ。
ともかくしがみつかなければ、仕事の面白さも、奥深さもわからない。そいうことができない人は、その分野の仕事師にはなれない。わたしは映画を撮るとき、参加希望者だけにしぼった最小のスタッフによる合宿体制をとる。一つのカマの飯を食う。同じカマの飯を食いながら、リハーサルができる。
意志の疎通もよくなる。最小のスタッフだから、誰も手を抜けない。ボヤボヤしてはいられない。制作部の一人が飯作りを担当するが、彼はいかに安い予算で栄養のある美味しいものを食べさせるか、必死になる。こうした集団創造の方式は、危機がもたらさせた宝であった。
背水の陣でのぞんだ「裸の島」のときにこの方法が必然的に生まれたのだ。ギャラがまともに払えないから、参加希望者だけにしぼったのである。撮影場所の離島には、食堂がなかったから、1つカマの飯を食った。独立しても、「裸の島」まではこの集団創造に気づかなかった。
映画会社が行っていた古い映画作りを、そのまま受け継いでいた。内容のいかんを問わず、照明とか助監督とか制作部とか、前もって決められているスタッフの人数で映画を撮っていた。これは撮影所中心の工場生産的な方式であり、わたしたちはこの映画作りを貧しくやっていたのである。
しかし、わたしは発見できたのだ。この仕事をしたい、と心から願う最小のスタッフで仕事をする合宿方式の醍醐味を。以後、この方式がわたしの創造の原点になった。原っぱにプレハブを建てたこともあるし、町のなかで下宿したこともある。ドラマによっていろいろな方法をとってきた。
そのたびごとに、わたしは日記を書いた。1本の作品が終わると、それをプリントしてスタッフに配った。記念のためではない。若い人たちのこれからの創造活動の土台となればと思ったのである。合宿の準備をするところから、合宿を解くところまで書いてあるから、1本の作品の作り方がありありとわかるだろう。
どの撮影もそうとうに貧乏撮影だから、若い人の将来には役立つ。1つのカマの飯で、毎日何を食べたかも詳細に記している。わたしはいかに社員のモチベーションを高めたらいいか、組織論を話してくれ、などと頼まれることがある。「新藤組」を小さな組織と考えれば、わが組織のモチベーションは最高に高い。
集団の意志の統一、1つの作業へのエネルギーの集中がなされるからである。仕事に入る前に、わたしはスタッフを前にして必ずいうことがある。この仕事は、たかだが3ヵ月くらいで終わる。この間は、恋人とは縁を切れ、親のことも、家庭のことも忘れろと。
映画漬けになることが条件なのだ。集団の一部にならなければならない。まるごと自分を投入して仕事に没頭しなければならない。投入することは疲労することである。ちょっとくらいの疲労ではなく、夢中で投入して、気づいたら、口もきけないほど疲労していた、ということである。
すると、仕事の一断面を見ることができる。仕事という階段を一段上がったことになる。仕事というのは、そういうもので、ただ考えただけであれもわかった、これもわかったというわけにはいかない。智恵や議論だけではどうにもならないものが、ほんとうの仕事である。
そして1つの創造がはじまる。それは1つの生命のはじまりである。スタッフ1人1人の個性は集団という大きな個性に高まり胎動しはじめる。3ヵ月後、1つの創造が終わる。生命は燃えつくしておわったのである。1つに高まった個性は、ときほぐされて無縁となる。
激しく燃えつくした生命は作品のなかに生きつづける。爽やかな、ほんとうに爽やかな気持ちになって、わたしたちは解散するのである。
(※)新藤兼人(しんどう かねと)
1912年4月広島に生まれ、日本の映画監督、脚本家。1934年に京都・新興キネマの現像部。のちに美術部に移り、シナリオを書き始め、溝口健二監督に師事。1951年に「愛妻物語」で監督デビュー。以降、「原爆の子」、「第五福竜丸」など、近代映画協会を拠点に旺盛な創作活動を開始。1960年に全編セリフを排した「裸の島」がモスクワ国際映画祭グランプリを受賞。「映画人生最後の監督作」を自称する「一枚のハガキ」で第23回東京国際映画祭審査員特別賞を受賞。1997年には文化功労者、2002年には文化勲章を授与。2012年に5月逝去(享年101歳)。