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センス・オブ・ワンダーの生む生活とパッケージ
今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。
「親ガチャ」との流行語をご存じであろうか。「子どもは親を選べない」との意味の言葉らしいが、なんとも嫌な五感である。すでにカブトムシやクワガタなどを、デパートで購入する玩具と同様に認識する子どもたちが話題となって久しい。
「親もしかり」と認識されるようなら、世も末かもしれない。あの解剖学者の養老孟子氏は、あまりに「自分の命は自分のモノ」と考え始めたことで、「親孝行」といった言葉が死語化していくことを嘆いていた。ただレイチェル・カーソンでなくても、子どもの"センス・オブ・ワンダー"を信じたい。
今は子どもより、大人や外国人が夢中になる「ガチャ」だが、子どものころ夢中にレバーを回した経験をもつ人は多かろう。硬貨を入れレバーを回転させるときの「ガチャ」との音から、カプセル入り玩具が出てくる小型自販機、そのカプセルトイを呼ぶ通称である。
地域によっては「ガチャガチャ」「ガチャポン」とも呼ばれているようだが、通常の玩具を買うのとは違い、(好きなものを自分で選べない)グリコのおまけやカード付きスナック菓子と同様に、何が出てくるか分からないままにレバーを回す「ワンダー」の魅力がある。
確かに「親ガチャ」は自分の選択ではない(残念な)親に対する、不満や悲嘆といった負の意思を表す言葉だが、それだけではなかろう。自らは「ガチャ」を回す主体者であり、その(輪廻の)不可思議さを感じた言葉に違いない。今回は伊藤亜紗編の「『利他』とは何か」(集英社新書)から、その一部を紹介する。
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利他について研究を始めたとき、私は実は利他主義という立場にかなり懐疑的な考え方をもっていました。懐疑を通り越して、むしろ「利他ぎらい」といってもいいほどでした。私はこれまで、目の見えない人や吃音の人、四肢切断した人など、様々な障害をもっている人が、どのように世界を認識し、その体をどのように使いこなすのかを調査してきました。
理由は追って説明しますが、障害のある人と関わるなかで、利他的な精神や行動が、むしろ「壁」になっているような場面に、数多く遭遇してきたからです。「困っている人のために」という周囲の思いが、結果として全然本人のためになっていない。
利他は利他的ではないのではないか。そんな敵意のような警戒心を抱くようになっていたのです。でも、だからこそ思いました。利他のことを正面から考えてみたい、と。なんてあまのじゃくなんだ、と思われるかもしれません。けれども研究者というものは、得てして本人にとってよく分からないもの、苦手なものを研究対象とするものなのです。
そして、実は多くの人が、「利他という言葉は聞くけれどその実態はよくわからない」と感じているのではないかと思います。キリスト教の「隣人愛」や、浄土真宗の「他力」など、利他の考え方は伝統的に宗教的な価値観と密接に結びついていました。
こうした背景を理解することは重要ですが、「はじめに」でお話ししたとおり、現代における利他という言葉は、しばしば宗教的な文脈とは切り離されて流布するようになっています。その結果、「利他」の輪郭もかなり曖昧なものになっているように思います。
たとえば、利他というと自己を犠牲にするイメージがあります。利他的な社会とは、お互いにちょっとずつ我慢しなければならないような社会なのでしょうか。
あるいは、共感の問題。利他と共感の関係は、利他をめぐる古典的な争点の一つですが、利他に共感が必要だとしたら、共感できる人にだけ利他的に振る舞い、共感できない人に対しては、利他的に振る舞わなくてもよいのでしょうか。
こうした疑問を念頭に置きつつ、第一章では、現代社会が置かれた状況にフォーカスを合わせながら、これまでの研究プロジェクトを通して見えてきた「利他のかたち」について、お話ししてみたいと思います。
まず、「はじめに」でも取り上げた経済学者ジャック・アタリの利他主義について考えていきましょう。アタリは、以前からパンデミックを予想し、地球に迫る危機について警鐘を鳴らしてきました。そのなかで、彼は地球を救うために必要な利他主義の重要性を強く主張してきました。
アタリの利他主義の特徴は、その「合理性」です。件のNHKの番組でも、アタリはこう語っています。
利他主義とは、合理的な利己主義にほかなりません。自らが感染の脅威にさらされないためには、他人の感染を確実に防ぐ必要があります。利他的であることは、ひいては自分の利益になるのです。またほかの国々が感染していないことも自国の利益になります。たとえば日本の場合も、世界の国々が栄えていれば市場が拡大し、長期的にみると国益にもつながりますよね。
合理的利他主義の特徴は、「自分にとっての利益」を行為の動機にしているところです。他者に利することが、結果として自分に利することになる。日本にも「情けは人のためならず」ということわざがありますが、他人のためにしたことの恩恵が、巡り巡って自分のところに返ってくる、という発想ですね。
自分のためになるのだから、アタリの言うように、利他主義は利己主義にとって合理的な戦略なのです。「利他主義」(Altruism)という言葉は、フランスのオーギュスト・コントによって、19世紀半ばに提唱されるようになった、比較的新しい造語です。
「altrui」とは古フランス語で「他者」のこと。元になったラテン語は「alter」ですから、これは「オルタナティブ」(別の、ほかの)という言葉をイメージすると分かりやすいですね。コントが利他主義と言ったとき、この言葉は「利己主義」(Egoism)に対置される言葉として想定されていました。
コントにとって利他主義とは「他者のために生きる」こと、つまり自己犠牲を指していたのです。こうしたコントの考え方からすると、合理的利他主義の考え方は、まさに「ルーツをひっくりかえす」発想であるといえます。これをどう考えるかについては、またあとで述べたいと思います。
いずれにせよ、合理的利他主義は、現代の利他を巡る主要な考え方の一つになっています。利他を動機にするという点で、合理的利他主義の特徴をさらに推し進めたのが、効果的利他主義です。
効果的利他主義の考え方は、日本人の感覚からするとちょっとギョッとしてしまうところもあるのですが、2000年代半ばごろから、英語圏を中心とする若者エリート層の間でかなりの広がりを見せています。効果的利他主義の理論的支柱となっているのは、哲学者のピーター・シンガーです。彼は、効果的利他主義の原則を、端的にこう述べています。
効果的な利他主義は、非常にシンプルな考え方から生まれています。「私たちは、自分にできる(一番たくさんのいいこと)をしなければならない」という考え方です。
自分にできる(一番たくさんのいいこと)。ポイントは、「一番たくさんの」というところにあります。最大多数の最大幸福。つまりこれは「功利主義」の考え方です。効果的利他主義は、単に功利主義を唱えるに止まらず、幸福を徹底的に数値化します。
たとえば自分の財産から1000ドルを寄付しようとする場合、それをどの団体に、どのような名目で寄付をすると、最も多くの善をもたらすことができるのか。得られる善を事前に評価し、それが最大になるところに寄付の対象を定めることによって、効率よく利他を行おうとするのです。
伊藤亜紗(いとうあさ)
1979年、東京都生まれ。東京学芸大学附属高等学校を経て東京大学に入学、3年次に理系から文系に転向し、美学を専攻。2010年に東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻美学芸術学専門分野博士課程を退学。同年、(文学)博士号を取得。日本学術振興会特別研究員を経て、2013年に東京工業大学に着任。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。研究の傍らアート作品制作にも携わり、大学在学中には美術批評誌「Review House」を創刊し編集長を務めた。
「WIRED Audi INNOVATION AWARD 2017」を受賞。2017年から読売新聞読書委員。2020年、第13回(池田晶子記念)Nobody賞を受賞。同年「記憶する体」でサントリー学芸賞受賞。主な著作に「どもる体」(医学書院)、「目の見えないアスリートの身体論」(潮出版)、「ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖」(水声社)など。