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母性我のゆえの切実さから生まれるパッケージ
今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。
「柱の傷はおととしの/5月5日の背比べ/ちまき食べ食べ兄さんが/計ってくれた背の丈」は、童謡「背くらべ」(作詞:海野厚、作曲:中山晋平)の歌詞である。コロナ禍にあっても、5月5日は「端午の節句」であり、「子どもの日」であることに変わりはない。
どこの家の柱にも、歌詞のように子どもの成長を刻む傷跡が残されているのではなかろうか。ちなみに「ちまき」を食べる風習は主に関西で、関東では「柏餅」を食べるようである。全国津々浦々まで物流網や情報網の整備された現在では、こうした地方性は失われてしまうのかもしれない。
5月5日はまた、中国の高名な詩人の屈原が政治を憂い、川に身を投げた日でもある。屈原の死を悼んだ多くの民が、亡骸を魚に食べられないようちまきを川に投げ入れたとの逸話がある。中国ではちまきは忠誠心の高い象徴と考えられて、忠義心のある子に育つように願い子どもにちまきを食べさせる。
それが日本に伝来したことが、5月5日の「端午の節句」にちまきを食べる風習の由来のようだ。また「端午の節句」には菖蒲湯に入るが、これも中国で月の初めの厄払い行事として生まれたものである。雨季(日本では梅雨入り)を迎える5月は病気や災厄が増え、菖蒲の強い香りが邪気を祓うとされる。
菖蒲湯だけではなく、酒に浸し飲まれる菖蒲は香り効果だけでなく、実際にリラックス作用や血行を促進する成分が含まれており、肩こりや腰痛予防の効果もある。アフターコロナへの変化のときこそ、歴史に学ぶことが大切である。今回は、大正・昭和期の女性史研究家であり、詩人の高群逸枝氏の著書「女性の歴史」(講談社文庫)の冒頭から、その一部を紹介したい。
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私の考えでは、婦人運動やまた私がこの書でかこうとしている女性史のむずかしさは、それらが究極において、「母性」を疎外しえない点にあると思う。婦人運動や女性史が、単に女権だけの問題に止まるものであれば、それはがいして分りやすく、誰でも発言できるが、母性となると、そう簡単にはいかず、どうしてもこの面のことは、女性自身の真の自覚と女性自身の真の動きとが根底とならなければならない。
つまり、男女同権といえば、近頃では落語家の口にさえ上るくらい、一般的な派手なものであって、景気もよいが、母子の権利ということになると、問題は深くて地味になってくる。しかし、母子の権利こそ、実は女権の究極であり、女性独自のものであることが、理解されてほしいと思う。
男性の諸運動は、父子問題をともなうことがないが、女性のそれは------ことに進歩的な女性のそれは------、必然に母子問題をともなわずにはいない。近い例では、1953年の6月、コペンハーゲンで開かれた世界婦人大会での「婦人の権利宣言」にも、この母子の権利というものが、一つの重要な内容となして示されたと思う。
性の問題にしても、男性は性欲------つまり一口にいえば射精------に帰結するが、女性は生殖------つまり妊娠、出産、育児------がそれにつづくので、男性のようには衝動的になれない。ここにも「母性」がある。平和運動でも、女性のそれが切実なのは、女性のもつ母性我のゆえであると思う。
女性が立ち上がることは、こうした地味な、しかし独自な面からであって、これによって男性偏向の世界が、少しずつでも是正されるならば幸せであろう。私がこの書にかこうとすることを、ここに手短にいえば、それは原始の母性我的な母権社会から、男性の個人我による父権社会を経て、次にそれの訂正としての現在ないし将来が展開されるまでの歴史を、日本の枠内でみることであるといえよう。
われわれが、現に住んでいるところの日本は、色々な資料に富んでいて、原始の事情を調べるには、非常に便利な条件を備えている国である。日本列島は、地質学上の第三紀まではアジア大陸の一部であったといわれるが、その後、日本海ができて分離し、太平洋に属する島国となり、後に分かるが、太平洋諸島的性格と大陸的性格との二重の性格が、日本の歴史を特徴づける運命に置かれることとなった。
原始的な遅れたものが、いつも各段階を割り切れなくし、不貫徹なものにしているのである。これを歴史家は見落とすべきではないと思う(このことは日本の民族性と深い関係をもっている)。太平洋諸島的性格というのは、つまりあらゆる原始性の停滞というような意味に、ここでは解釈したい。
モルガンの母系説も、マクレナンのそれも、近いところでブリッフォルトの説も、マリウスキーの論も、太平洋諸島または太平洋の領域内における未開部落の調査に、その全てが負わないものはない。
ポリネシア、メラネシア、オーストラリア、ミクロネシア、インドネシア等の島々では、今も母系、母権制の存続がみられるといわれ、日本につづく琉球、台湾等にその種のたくさんの遺俗があることも、佐喜真、伊波、鳥越、岡田らの人たちによる貴重な研究で知ることができる。
こうした太平洋諸島的原始性は、前にもいったように、当然わが日本列島にも、強く深く浸透しており、それが遺物や遺俗や文献のなかに、豊富に埋没して、発掘者を待っているのである。
私の経験でいうと、私は日本の原始婚(招婿婚)を研究したが、この方面のことは、誰もこれまで研究していない事実が分かると、私もはじめは不安になり、果して歴史的研究を可能にするだけの資料があるかどうかということで、危惧をもったが、研究を進めていく内に、資料がないとかあるとかどころではなく、あらゆる文献の一皮下に、実に大きな埋蔵量を発見して驚きもし、歓びもしたのである。
私は、このことを詳しく「招婿婚の研究」という本に、まとめて書いている。この文献的資料の豊富であるということでは、今日知られているかぎりでは、恐らく日本をもって最とすべきであろうと、私は確信するのであり、したがって文献だけでなく、考古学、民俗学等の各分野にも、大きな宝庫となって、潜在している部分の多いだろうことが、類推されるのである。
原始社会を調べるのに、日本は都合のよい国だと前にいったが、たとえば神話などにも、その証拠をみつけることができる。神話は、いうまでもなく歴史ではない。しかし、神話はそれのつくられた社会とけして無縁であるはずはない。
われわれは、知能の発達の低い段階の人たちが、ぜんぜん現実の生活を離れた思惟の世界を持ちうるとは考えることはできない。だから、神話といっても、何ほどかの史実を反映しているものであって、この点で、一概に捨て去るべきではない。
日本の神話を、ユダヤ神話、印度神話などと比べてみると、それぞれの史実の反映とも思われるものが、興味深く覗かれる。旧約聖書の創世記によると、エホバ神がはじめに天地万物をつくり、次に人をつくった。その人とは男のことである。
それから女は男の伴侶として、男の肋骨からつくられた。その女は、邪道に落ちやすい性格を持ち、禁断の果実によって、人類を永遠に不幸に陥れたことになっている。
印度神話の創世記も、これと似たもので、トワシュトリ神によって、世界の次に人がつくられ、やはり女は男の性的伴侶として男に与えられたが、蛇のうねりとか、風の浮気とか、孔雀の虚栄とかの材料でつくられている女は、いつも男を悩ましつづけ、堕落させることになる。
日本の創世神話は、これらと逆で、神が国生みをしたのち、その主宰者として女をつくり、男はその性的伴侶としてではなく、政治的協力者として、姉に対する弟としてつくられている。そして、姉のアマテラスオホミカミは愛の権化として性格づけられているのに対して、弟のスサノヲノミコトは力の権化として考えられ、共同社会を乱し、血を好む暴力者として表わされている。
高群逸枝(たかむれ いつえ)
1894年1月、熊本に生まれる。1910年に熊本師範女子部を退学、1913年に熊本女学校を修了し、経歴小学校代用教員となる。1918年に「娘巡礼記」で文名をあげる。1919年に橋本憲三と結婚し上京、女流詩人として文壇に登場し、詩集「日月の上に」「放浪者の詩」を発表。女性史研究を志し、1926年に論文「恋愛創生」を執筆。新女性主義を提唱し、1930年に平塚らいてうらと無産婦人芸術連盟を結成、雑誌「婦人戦線」を主宰し評論活動を行う。1931年に「婦人戦線」廃刊後は終生研究に専念。1964年6月に逝去。
著書には「大日本女性人名辞書」「母系制の研究」「招婿婚の研究」「女性の歴史」「日本婚姻史」、随筆集「愛と孤独と―学びの細道」などがある。