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World View

パッケージそのものが人の思いを受け止めて命を宿す

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 唐突な始まりとなるが、「相対」には「絶対」との対義語がある。いうまでもなく「相対」とは「相対する」との意味である。なれば、そのあとに「幸福」をつけて「相対的幸福」となると、どんな意味となるだろうか。素直に解せば「相対する幸福」となろう。
 言いかえれば、相対するモノ・コトに依存した幸福である。かつて高度経済成長期には、「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」(1950年代)や「カラーテレビ・クーラー・自動車」(1960年代)が「三種の神器」と呼ばれ、日本人の幸福感を示すものであり、ステータスシンボルであった。
 それらは年代によって移りゆき、2000年代にはまた新たな三種の神器が生まれたわけだが、果たして"今"では何が三種の神器と呼べるだろうか。いわば相対的三種の神器であり、絶対的三種の神器といえば皇位継承の標とされる「八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」である。
 さらにいえば、それら「鏡と剣と玉」とは人の心を映し、また本来の姿を象徴したものではなかろうか。「幸福」もまた心に表われるものであって、本来は対象に依存するものではないはずである。相対的幸福があれば絶対的幸福はあり、それらは対峙するものではなく、相対は絶対に至る道でなくてはならない。
 人と環境とを相対化した「自然」との言葉は明治に生まれたが、それまでの日本人には自然は絶対的な不可分の存在であったはずである。今回は俳人・黛まどかさんの随筆「引き算の美学」(毎日新聞社)から一部を紹介したい。副題に「もの言わぬ国の文化力」とあるが、「もの言わぬ」とはどこかで聞いたフレーズではなかろうか。
 
* * *
 
 浄土宗のシンポジウムに参加したおり、僧侶の行正明弘氏から次のような感銘深い話を聞いた。ある山奥の小さな村に、父と男の子が住んでいた。父親は酒好きで、いつも飲んだくれていて、村人たちからは「大酒飲み、酔っ払い」と嘲弄されていた。
 酒が祟ったのか父親は早死にしてしまう。葬式は、粗末な柩に亡骸を入れ、埋めるだけの簡単なものだった。男たちが柩を担ぎ、共同墓地に向かっていると、村の子どもたちがやって来て、「やれ、死んだぞ」とはやし立てた。こともあろうに石まで投げ、その一つが柩に当たった。
 息子がその石を拾い投げ返そうとしたとき、棺桶を担いでいた男の一人がたしなめた。「お待ちなさい。そこが我慢のしどころだ」。少年は石を投げ返す代わりに、しっかりと握って懐に入れ、ずっと大事にもって過ごした。そして、悔しいとき、悲しいとき、その石を見ては自分を奮い立たせ、「ここが我慢のしどころだ」と堪え忍び、ついには世に知れた偉人となったという。
 「モノに命が宿る」というのはこういうことであると行正僧侶はおっしゃった。「大切にもち、何かを思い、考え、祈ることで、その石はただの石ではなくなった。仏像の素材は石や木、金属、漆などだが、人が拝み、願い、祈るなかで、仏像に命が吹き込まれる」。
 行正氏は、俳句で言葉を紡ぐのも、命を吹き込むことと同じではないかという。山も川もすべて拝む、日本古来の「八百万の神」とよく似た観念であると。小石が少年の思いを受け止め、浄化し、命を宿したように、季語が或いは俳句そのものが人の思いを受け止め、その命を宿している。
 
山路来て何やらゆかしすみれ草
芭蕉
 
 1999年、北スペインのサンティアゴ巡礼道を歩いたおりにこと。ピレネー山中で私の頭に浮かんだのがこの一句だった。ピレネー越えは想像以上に厳しく、私は疲労困憊していた。今日中に隣村にたどり着けないのではないか...そんな不安も胸をよぎった。
 倒れ込むように草むらに腰を下ろすとひともとの愛らしいすみれが咲いていた。そのとき私は「これが芭蕉のすみれなのだ」と思った。おそらく種類は違うだろう。しかし、痛みや恐怖を抱えながら険しい山路を歩いてきて出会ったすみれのゆかしさは、まさに"芭蕉のすみれ"であった。
 三百数十年の歳月を経て、すみれは一句のなかに今もみずみずしく生きつづけ、同時にすみれのゆかしさに感動した芭蕉の思いをすみれはいまだに抱えている。すみれはその瞬間の芭蕉の命を宿し、今も読者にその感動を伝えている。
 歌枕の旅に近いもの、つまり歴史的な場所をたどる旅は、ヨーロッパ人もよくする。なかにはいにしえの時代に思いを馳せ、詩を詠む人もいるかもしれない。しかしヨーロッパ人のそれと日本人のそれが決定的に違うのは、思いを馳せる段階で花鳥風月が介在するところである。
 歌枕でいえば吉野の桜や滝田川の紅葉、宮城野の萩などがそれである。松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅で、安積山という万葉時代からつづく歌枕の地に立ち寄ったおり、かつみという花を探して歩いた挿話がある。花かつみとは、安積山の麓にある安積沼に咲く花で、「みちのくの安積の沼の花かつみかつみる人にこひやわたらむ」と「古今集」にも詠まれた。
 陸奥に流された藤中将実方が、端午の節句にあやめ(菖蒲)の代わりに花かつみを葺かせたという故事にちなみ、芭蕉と曾良は「かつみ、かつみ」と花かつみを求めて夕暮れまで歩き回った。芭蕉は花かつみを媒介に古人に思いを馳せようとしたのだ。
 以前、倭建命の足跡をたどる取材旅行をしたことがある。ようやく探しあてた夕まぐれの箱根の碓氷峠で、季節外れのひともとの撫子をみつけたとき、また羽曳野の白鳥神社を参拝中、空からひとひらの白い羽根が舞い落ちてきたとき、自然を媒介にして、何かが訴えかけてきているような気がしてならなかった。
 さらに、東征を終えて戻った倭建命が宮簀媛と過ごしたとされる火上山を愛知に訪れたときは、私の目の前を一匹の秋の蝶がよぎった。
 
伝言のあるごとよぎる秋の蝶
成田郁子
 
 愛唱句がふと口をついて出て、宮簀媛が蝶と化して表われたような気がした。伊吹山に登ったおり、案内してくださった地元の郷土史家の方がおっしゃった。「何かのきっかけがあって、倭建命を意識し、足跡を追い、あなたのなかに倭建命が再生している。これは人間の長い歴史のなかで"倭建命"という人の遺伝子が、今あなたのなかで発動し始めたということなのですよ」。
 その媒介として撫子や鳥の羽根や秋の蝶が表われ、何かを伝えようとしていたのだろうか。自然を依代として、古歌の世界やいにしえの時代にイメージの旅をするのは、日本人に顕著にみられる一つの傾向であろう。
 四季がアナログ的に移ろうことで、日本人の美意識もまたアナログ的になった。"移ろうすべての有様に心を寄せる"という日本人のアナログ的美意識によって、季語や雅語といった言葉もまたアナログ的に育まれた。グラデーションといってもよい。
 たとえば桜にまつわる季語を挙げると、初花・花吹雪・花屑・花筏・朝桜・昼桜・夕桜・夜桜・花月夜・花の昼・花朧・花明かり・花冷・花雲・花の雨・花衣・花の宿・花の客・花筵...というように、咲き具合から時間帯、天候まで取り入れた様々な季語がある。
 まさに「花は盛りに、月は隈なきをのみみるものかは」である。また紅葉では、初紅葉・薄紅葉・照紅葉・紅葉明かり・夕紅葉・谷紅葉・散り紅葉・冬紅葉・・・・等々、錦織りなす盛りの紅葉だけでなく、やや色づき始めた紅葉から散る紅葉まで愛でる。
 ちなみに薄紅葉はわずかに始まった紅葉を指す。日本人の自然に対する細やかな観察眼、美意識がたくさんの自然とかかわる言葉を育んだ。そして日本人が、自然が移ろうすべての有様を愛で尽くしてきたことを、言葉が証明している。

黛まどか(まゆずみまどか)
1962年7月湯河原生まれ。1983年にフェリス女学院短期大学を卒業。富士銀行勤務時代に杉田久女を知り俳句の世界に魅了される。1988年に「東京きものの女王」を受賞。1990年に俳句結社「河」に入会し、吉田鴻司に師事する。1994年に「B面の夏」50句で第40回角川俳句賞奨励賞を受賞し、初の句集「B面の夏」を出版。同年、女性のみの俳句結社「東京ヘップバーン」を立ち上げる。1996年に女性会員の俳誌「月刊ヘップバーン」を創刊し、代表となる。1999年に北スペイン・サンティアゴ巡礼道約800?の踏破につづき、2001?2002年には四季にわたり5回、訪韓・釜山からソウルまでの道のり約500?を踏破。2002年に句集「京都の恋」で第2回山本健吉文学賞受賞。2010?2011年には文化庁「文化交流使」としてパリを拠点に欧州で活動など。