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パッケージも相互作用のネットワークに折り込まれた一本の糸
今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。
学生のころ「今しか読めない本を読みなさい!」と、よくいわれていたことが今も耳朶に残る。あのときの叱咤に果して応えられたであろうか。心許ない限りである。今回は前置きを短くここまでとし、カルロ・ロヴェッリ氏の著書「時間は存在しない」(訳:冨永星)から、その一部を紹介したい。
「ループ量子重力理論」を提唱するイタリアの理論物理学者の著書で、世界35ヵ国で刊行されてタイム誌の「ベスト10ノンフィクション」(2018年)にも選ばれている。考えることは微管を傾ける程度として、量子的につながる確かな存在を感じてほしい。
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世界を記述する際に、時間変数は使えない。必要なのは、世界を実際に記述する変数、私たちが感じ取り、観察し、最終的に測ることができる量だ。
道の長さ、木の高さ、額辺りの体温、一切れのパンの重さ、空の色、天空の星の数、竹のしなやかさ、列車の速さ、肩に置かれた手に込められた力、喪失の痛み、時間の針の位置...。
私たちはこの世界を、これらの量や性質の観点から記述する。それらは、絶えず変化していることが分る量であり性質であって、その変化には規則性がある。
これらの量のなかには、日数、月の満ち欠け(月相)、水平線の上の太陽の高さ、時計の針の位置のようにほかの量に対して規則的に変化していることが分るものがあり、これらの量を基準にすると都合がよい。次の満月の三日後、太陽が空の一番高いところにあるときに落ち合おう。
明日、時計の針が4時35分を指したときに、君に会いたい。互い10分同期している変数が幾つか見つかったら、それらを上手く使って「いつ」について語ればよい。その際に、どれか一つの変数を選んで「時間」という特別な名前をつける必要はない。
科学をするにしても、これらの変数が互いに対してどう変化するか、ほかの変数が変化したときに問題の変数がどのように変わるかを示す理論があればよい。こ世界の基礎的な理論は、このように構成されるべきなのだ。
時間と呼ばれる変数は不要であり、その理論では、自分たちがこの世界で目にしているもの同士が、互いに対してどのように変化するのかが分かりさえすればよい。つまり、これらの変数の間にどんな関係が存在し得るのかが分ればよいのだ。
量子重力の基本方程式は、事実このようにして作られた。その式は時間変数を含むことなく変動する量の間のあり得る関係を示すことで、この世界を記述する。時間変数を全く含まずに量子重力を記述する方程式がはじめて書かれたのは、1967年のことだった。
アメリカの二人の物理学者、ブライス・ドウィットとジョン・ホイーラーが発見した、今日ホイーラー=ドウィット方程式と呼ばれている式である。この時間変数のない方程式が何を意味しているのか、はじめのうちは誰にも分らなかった。
おそらくホイーラーやドウィット自身にも分っていなかったのだろう(ホイーラー曰く、「時間を説明するには? 存在を説明しなくては。存在を説明するには? 時間を説明しなくては。そして時間と存在の間に潜む深い関係を明らかにすることは...、今後の世代の仕事である」)。
この件については、大いに時間をかけて論じられてきた。会議が開かれ、論戦が行なわれ、たくさんの文章が書かれてきたのだ。そのドタバタも落ち着いて、今ではかなり見通しがよくなったように思える。量子重量の基本式に時間が含まれていなくても、何の不思議もない。
基本的なレベルでは特別な変数は存在しない、という事実の結果でしかないのだから、この理論は、時間のなかで物事が展開する様子を記述するわけではない。物事が互いに対してどう変化するか、この世界の事柄が互いの関係においてどのように生じるかを記述する。ただそれだけのこと。
ブライスとジョンは、十数年以上前にこの世を去った。私はこの二人とは知り合いで、深く尊敬していた。マルセイユ大学の私の研究室の壁には、量子重力に関する私の最初の仕事のことを知ったときに、ジョン・ホイーラーがくれた手紙が貼ってある。
その手紙を読み返すたびに、誇りと郷愁がない交ぜになった思いが溢れ出す。わずかばかりの出会いのチャンスに、もっと色々なことを尋ねておけばよかった。最後に会いに行ったときは、プリンストンで長い散歩をともにした。ホイーラーは老人特有の弱々しい声で私に語りかけた。
何をいっているのかほとんど分らなかったが、聞き返すことなどできようはずもなかった。ホイーラーは、もうこの世にはいない。もはや何かを尋ねることも、自分の考えを伝えることもかなわない。あなたの着想は正しいと思います、あなたの考えたことが私の研究生活を終始導いてくれたのです、と告げることもできない。
あなたこそが、量子重力の謎の核心に最初に近づいた方だったのだと思います。そういいたくても、もはや相手はここにいない。今、ここにはいない。これが、私たちにとっての時間なのだ。記憶と郷愁。そして不在がもたらす痛み。
だが、不在だから悲しいのではない。愛着があり、愛しているから悲しいのだ。愛着がなければ、愛がなければ、不在によって心が痛むことはない。だからこそ、不在がもたらす痛みですら、結局は善いもの、美しいものなのだ。なぜならそれは、人生に意味を与えてくれるものを糧として育つのだから。
プライスにはじめて会ったのは、量子重力の研究グループを探し求めてロンドンに行ったときのことだった。新参の若輩者だった私は、イタリアでは誰も取り組んでいなかったこの難解なテーマにすっかり魅せられていた。一方ブライスは、その領域の偉大なる導師だった。
私がインペリアル・カレッジを訪れたのは、クリス・イシャムに会うためだった。カレッジに着くと、イシャムは屋上のテラスにいる、と告げられた。そのテラスの小さなテーブルを囲んでいたのは、私がそれまで研究していたアイデアの主な生みの親、クリス・イシャムとカレル・クハシュとブライス・ドウィットの三人だった。
穏やかに議論している彼らの話の腰を折るなんて、とんでもない。私の目には三人の偉大な禅の老師たちが謎めいた笑みを浮かべて、計り知れない真理に関する意見を交換しているように見えた。たぶん彼らは、どこで夕飯を取るか決めようとしていただけだったのだろう。
あの場面を思い返してみると、当時の三人が今の私より若かったことに気づく。これもまた時間なのだ。視点が奇妙な具合にひっくり返る。ブライスは、亡くなる直前にイタリアで長いインタビューに応じており、それが小さな本に纏められている。
私は、その本を読んではじめてブライスが私の研究を詳細に、彼との直接の会話からは想像すらできなかった共感をもって追っていたことを知った。面と向かっているときは、どちらかというと励ましではなく批判の言葉をもらっていたのである。
ジョンとブライスは、私にとって心の父だった。喉がからからだった私は、二人のアイデアのなかに新鮮な水、澄んだ新しい水を見つけた。ありがとう、ジョン、ありがとう、ブライス。人間は、感情と考えを糧に生きている。同じ時間に同じ場所にいれば、言葉を交わし、互いの目を見て触れ合い、感情や考えを交換する。
いや、むしろ私自身が、このような遭遇やネッワークなのである。しかし実際には、同じ時間に同じ場所にいなくても、このような交流は成り立つ。私たちを結びつける考えや感情は、薄い紙に固定されたり、コンピューターのマイクロチップの間を跳ね回ったりして、何の苦もなく海を越え、何十年、さらには何百年ものときを超える。
私たちは、一生のうちの数日といった時間や、自分たちが歩き回る数平方メートルの空間を遙かに超えた広大なネットワークの一部であり、この本も、ネットワークに折り込まれた一本の糸なのだ。
カルロ・ロヴェッリ(Carlo Rovelli)
1956年、イタリア・ヴェローナ生まれ。 ボローニャ大学を卒業後、パドヴァ大学大学院で博士号を取得。 ローマ大学、イェール大学、トレント大学などを経て、ピッツバーグ大学で教鞭を執る。現在、フランスのエクス=マルセイユ大学の理論物理学研究室で量子重力理論の研究チームを率いる。理論物理学者。「ループ量子重力理論」の提唱者の一人。「すごい物理学講義」(河出書房新社)でメルク・セローノ文学賞、ガリレオ文学賞を受賞。