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自然圏と調和する人間圏のパッケージ
今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。
これまで誌面でもくり返し「価値観の転換点に立つ」ことを強調してきたが、「命にかかわる危険」との冠詞がつくほどの気象現象をはじめ、社会で起こる様々な事件・事故を目の当たりにするたび、立つどころが転換を迫られている感さえある。
歴史学者トインビー博士の有名な「挑戦と応戦から新しい文明が生まれる」との言葉に従えば、われわれ人類は命におよぶ歴史の挑戦を今まさに受けている。よって、その価値観の転換をともなう応戦の有無に人類の存亡がかかっているとはいえまいか。
今回紹介するのは、前回につづく演出家の倉本聰氏と林原博光氏による対談集「愚者が訊く」(双葉社)の前巻である。そのなかから理学博士の松井孝典氏の「目から鱗」の貴重な話の一部を紹介したい。ご記憶かと思うが、前回は企画者の倉本氏が不在であった。
そこで、今回は倉本氏も登場する対談を選んだが、大仰に「登場!」とまではいいがたく、ほとんど相づち程度に止まっているところがまたおもしろい。それが、もともと「愚者が訊く」とのタイトルに表わした主旨なのかもしれない。いわば松井氏の独壇場である。
その松井氏がこんな興味深いことをいっている。それは、「環境問題も色んないい方ができますが、駆動力で物の循環を加速していることが問題の本質です。われわれは一年生きる間に、地球の物質循環としては十万年分くらい物を動かしているのです。だから地球の一千万年の間の歴史をみたら、環境変動なんてごく普通のことではないですか」というものである。
* * *
松井) 人間が、七百万年ぐらい前に、この地球の上に生まれたんですけれども、そのときから、およそ一万年前までは、人間は生物圏のなかの種の一つでした。人間がその間していた「狩猟採集」という生き方は、生物圏のなかの、物とかエネルギーの流れに依存して生きる生き方です。
それが一万年ぐらい前に、人間は「農耕牧畜」という生き方を始めたんです。この農耕牧畜という生き方を、地球システムという視点で分析してみると、「人間圏」という新しい構成要素をつくって生きる生き方だということになるわけです。
倉本) なるほど。
松井) なぜ狩猟と農耕牧畜で違うのかということなんですが、たとえば農耕は森の木を切ります。森の木を切って、そこを開墾して畑に変えます。そして農耕を始めるわけですよね。その結果何が起こるか。たとえば、太陽から入ってくる光のエネルギーが、どのぐらい地球に吸収され、どのぐらい反射されるか。
森があったときと、そこが畑になったときでは異なります。つまり農耕とは、太陽からのエネルギーの流れを変える行為なんです。農耕そのものが、地球という星の、エネルギーの流れを変えるわけですよ。太陽光の反射率だけではありません。
畑に変えたところに雨が降ると、雨は直接この太陽に振るわけですから、侵食して土壌を流したりするわけです。森林だったら、そんなことは起こらないでしょ。幾重にも重なった森の木の葉が雨粒を受けて、ぼちょぼちょと静かに落とす。土壌を浸食されることもなく、地下に染みこんで、ゆっくりと流出していきます。
倉本) うんうん。
松井) これはどういうことかというと、農耕によって地表付近の物の流れ方が変わるということです。農耕は、水の流れを変える。土壌の浸食のされ方を変える。もっといえば、地表付近の元素の流れを変えるわけです。すなわち農耕は、エネルギーと物質の流れを変えることになるのです。
地球という星全体の物とエネルギーの流れを変える行為です。一方、狩猟採集は、生物圏の物・エネルギーの流れに依存した生き方なんです。その内部の、物とかエネルギーの流れを利用するだけです。それに対して農耕牧畜は、地球という星全体の、物とかエネルギーの流れを変える生き方だということです。
そうすると、それは何か別の言葉で呼ばないとおかしいということで、だから僕は「人間圏」と呼んだわけです。
林原) それで人間は「生物圏」を離れて、農耕牧畜を始めて文明をスタートさせたということですね。
松井) ええ、僕の定義では、人間圏をつくって生きる生き方が「文明」なんですね。
林原) なるほど。文明がそこから始まって、それが今に至るまでつづいて、段々その文明の分量というか、度合いが加速度的に右肩上がりになりますよね。
松井) それは、この人間圏という構成要素の内部に、駆動力が加わったからなんですね。
林原) 駆動力というのは、動かす力?
松井) 動かす力ですね。エネルギーです。今から二百年くらい前までは、人間圏といっても、その内部に駆動力がない人間圏です。ですからある意味非常に単純で、地球というシステムの駆動力に依存して、人間圏というのは維持されてきたのです。
林原) その地球システムの駆動力というのは、太陽の光とかですか。
松井) 太陽の光であり、地球のなかのマントルの動きであり、皆さんが自然エネルギーと呼ぶものです。たとえば、江戸時代の生活を考えてみればいいわけですね。一年間降り注ぐ太陽のエネルギーと雨と、それで生産されているものをエネルギー源にして生きていました。
たとえば、ロウソクだとか、油だとか、川の流れで水車を回して粉を挽いたり、それをエネルギー源にして、人間圏を営んでいたのが、江戸時代の人間圏です。そのころ西欧で、いわゆる産業革命が起こって、人間圏の内部に、石炭という駆動力が導入されました。
そうした高出力のエネルギー源を、駆動力として使う人間圏の段階が始まったっていうのが、産業革命だったんですね。この駆動力によって、物の流が加速されますから、人間圏に流入するものは増加し、どんどん豊かになるのです。その結果、当時のヨーロッパがどんどん豊かになったんです。
日本はその文明に直面して、慌てて駆動力をもつ人間圏に加わろうと決意したのが「明治維新」ということなんです。だから鎖国を解いて、地球レベルでの「物質循環」に加わったんです。そのあと百五十年かけて、今日本は駆動力をもつ人間圏のトップランナーになったというわけですね。
倉本) なるほど。
松井) でも、地球システムの側からすると、色々な構成要素から成り立っているからこその地球システムなのに、人間圏が独り勝ちしちゃったから、地球システムにならないのです。
人間圏が地球システムのなかで大きくなり過ぎたために、今地球システムから、その拡大を抑えるための負のフィードバックがかかっているのです。要するに、もうこれ以上大きくならないようにという作用が働いているわけです。
倉本) うむ。
松井) それが環境問題として、われわれが論じている問題であり、資源・エネルギー問題として論じている問題の本質なんです。人間圏からすれば、そういう問題事なんだけど、地球システムからすると、この行き過ぎた人間圏の拡大をストップさせる、マイナスのフィードバックの機構が働いているというのが、現在なんです。
倉本) なるほど。非常によく分ります。たとえば地震とか津波は、地球システムのなかの「変動」で、それを人間が、人間にとって都合が悪いから「災害」と呼んだということを、先生はおっしゃてますよね。
松井孝典(まつい たかふみ)
1946年、静岡生まれ。東京大学理学部卒業、同大学院博士課程修了。理学博士。NASA研究員、マサチューセッツ工科大学招聘科学者、マックスプランク化学研究所客員教授、東京大学大学院新領域創成科学研究科教授を経て、2009年4月より千葉工業大学・惑星探査研究センター所長。東京大学名誉教授。