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World View

心眼を開くことが パッケージの真価

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 通りすがりの人がテーブルの上に置かれた品物と任意に物々交換する、といったテレビ番組の企画がある。「物々交換してください!」とのメッセージにうながされ、テーブル上の品物がどんな品物と交換されていくのか、その様子を観察するものである。
 交換された品物は随時査定され、視聴するテレビ画面には評価額(市場価格)が表示され、品物によっては交換理由を聞くといった内容である。さすがに「わらしべ長者」と銘打たれた企画だけに、任意の交換にはよるが、より高額な品物と交換されていくことを期待したものである。
 宇治拾遺物語の本家「わらしべ長者」は確かに、貧乏な男が最初に掴んだ一本のわらしべが、請われるままとんとん拍子(蜜柑→上等の布→馬)に"物々交換"されて、ついには広大な土地屋敷と交換し長者になるといった物語ではある。
 流行りのフリマアプリ「メルカリ」でも、出品物に自ら値をつけることを考えれば、常日ごろ、等価交換を信条とした経済活動に勤しむわれわれには、そう見えても仕方がない。だが本家のわらしべ長者は、けして物々交換をしたわけではない。
 アブを括りつけたわらしべは牛車に乗った若君に請われ、そのお礼にいただいた大きな蜜柑は、のどが渇いて苦しむ女性に上げ、そのお礼に上等な布をいただくといった具合である。「価値」はそもそも品物に帰属したものではなく、品物と人の関係に生ずるものである。
 ゆえに品物だけを見て価値は量れない。今回は俳優の児玉清氏の随筆「負けるのは美しく」(集英社文庫)から「映画の神様、野球の神様」の一部を紹介する。「神様」といえば、楽天監督時代のノムさんのぼやき(マー君、神の子、不思議な子)を思い出すが、いわば心眼の問われる話である。
 
* * * 
 
 そんなある日、異様な客がわが家を訪れた。ドアホーンの音に玄関に出た僕は、ドアを開けた瞬間、目の前に立っている総髪髭ぼうぼうの見知らぬ中年男に目を剥いた。
 目線を下にやれば、上下3つ揃いの背広にネクタイをきちんと結んでいるのだが、なんだがチグハグで、ステッキを左手に肩をそびやかしている姿は滑稽な感じさえする。目を顔に戻した僕は、分厚い飴色のロイド眼鏡を思わずプッと吹き出しそうになった。
 「一体、誰なんだこの人は?」黙って立っている彼に僕は尋ねた。「御用は何ですか?」「私はアベと申します。あなたが俳優さんであることを聞いてやってきました」「どういうことでしょうか? それに俳優であると誰方からお聞きなったのですか?」僕は立てつづけに質問したのだが、彼は謎めいた笑いを浮かべ、「私は予言者です。何でもお聞きください。お答えしますので...」と言いながら「よろしいですか」と有無を言わせぬ態度で靴を脱ぎ、上りこんできた。
 その悠々たる態度に、こちらは気圧されるように仕方なく「なんなんだ、これは...」と思いながら応接間のドアを開けたのであった。ソファに静々と座ったアベさんは、「私は、昭和20年(1945年)7月、中国大陸にいて、日本に火の玉が二つ落ちて負ける、といった知らせを天からもらいました。
 そして敗戦後、日本に帰ってきて以来、14年間、出羽三山をはじめとする神々の山に籠って、日本の行末を案じて祈り修行してまいりましたが、先だって突如祈祷中に、私の身体に神が降りてまいりました、三日三晩、それこそ、弁慶の立ち往生ではありませんが、手を大きく広げて娑婆の世界を浄め、世直しをしろとの命を受け下界にやってまいりました。
 ついては、あなた様は神の御子さんであるので、ぜひお力を与えたくお訪ねしました」。なぜアベさんが、いきなりわが家に飛び込んできたのかは、そのあと30年以上にわたる付き合いのなかでも結局明らかにされなかったが、僕の推測では、僕の家の近所へやってきて、僕の噂(当時は雑魚といえども、映画のニューフェイスに合格したことは世間の評判になったものだから...)を偶然耳にして、何か感じることがあってやってきたのではないかと思っているのだが...。
 雑魚と言われ、冗談じゃないぞ、かくなる上は、少しはこの世界に爪痕を残さねばむざむざ引き退れないぞ、とファイティングポーズをとったものの、黒澤組での過酷な肉体的試練や汚し事件、さらには篠沢氏夫婦の夢の新婚海外留学と自分の現在置かれている境遇との落差の激しきに心が萎えていた、そのときに、玄関のドアホーンがあたかも天の啓示のように鳴ったのだった。
 「さあ、何でもお訊きください。予言しますから」というアベさんの声に僕は困惑した。というのも、もし本当に未来を予言できるというなら、一番訊きたいのは「僕の俳優としての未来はどうか?」ということだが、予言が当たる当たらないはともかく、俳優としての未来はまったくありませんと答えられたら、それこそ絶望だし、これだけは絶対に訊きたくないと心に決めた僕にアベさんは「ご心配なく、料金などは一切いりませんから」と言葉を継いだ。
 そのとき、とっさに頭に浮かんだのは閉幕したばかりのプロ野球であった。当時は今と違って巨人大好き人間であった僕は、セ・リーグのペナントレースの行方が気になっていた。巨人が優勝して欲しいと切実に願っていたからだ。「今年、巨人が優勝するか、しないかを教えてください」僕は思わずアベさんに尋ねた。
 するとアベさんはな~んだそんなことかという顔で「私は野球のことを全然知りませんので野球の神様に訊いてみます」といって、右手を右の耳の辺りまで上げ、軽く握った拳の状態で親指と人差し指をこすり合わせながら、ヴェルパ、ヴェルパ、ヴィッチュ、ヴェルパと意味不明の呪文のようなものを低い声で唱え出した。
 僕は思わず、それは何ですかと尋ねた。アベさんは澄ました顔で答えた。「これは、今、梵語で天界と通信しているのです」「ウヒャーッ、それは梵語ですか...」なんだか僕は可笑しく愉しくなってきた。野球にも神様がいるのか、と。
 しばし梵語の通信がつづいたあと、彼はおごそかにのたもうた。「ハイ、野球の神様がいらっしゃいました」慌てて僕はアベさんの背後や周囲を見回したものの何も見えない。「さあ、質問を」というアベさんに「巨人は今年、優勝しますか?」と僕。「ハイ、優勝します」と彼。
 巨人が優勝すると分かれば、もうあとはどうでもいいので黙っていたら、「それだけでいいんですか」とアベさんに念を押された。「ええ、もう結構です」と答えると、「それでは神様にお帰りいただきます」といって、また梵語を唱えたあとで一礼とともに「サンキュー・ベリーマッチ」といった。
 僕は思わずわが耳を疑った。終戦以来、14年間も出羽三山に籠って山伏修行をしてきたという人が、神様に「サンキュー・ベリーマッチ」とは、そりゃなかろうが...。僕はいんちき見つけたとばかり大声でクレームをつけた。なぜ「サンキュー・ベリーマッチ」なのか、と。
 しかし、そのときのアベさんは少しも騒がず澄ました顔で、こちらの脳みそを疑うような顔で、「だって、あなた、野球の神様はアメリカ人ですよ」とのたもうた。この言葉を聞いた瞬間に僕の心に生じた諸々の感情は言い尽くしがたい。
 意表を突かれたというか、可笑しいというか、「確かに、この世に野球の神様が存在するとしたら、そりゃアメリカ人に違いない」「これは正しい」僕はしきりに心のなかでうなづいていた。とたんに可笑しさが爆発した。「違いない、そりゃアメリカ人だ」
 僕はおかしくて腹を抱えて笑ってしまった。転げ回って笑う僕をアベさんは愛嬌のある優しい目で見ていたが、やがてふっふっと肩を震わせて笑い出した。この日からアベ神と僕の30年以上にわたる奇妙な付き合いが始まったのだった。

児玉清(本名:北川清)
 1934年1月、東京生れ。学習院大学独文科卒。第13期ニューフェイスとして東宝映画に入社し、1958年12月に映画「隠し砦の三悪人」で芸能界デビューした。1967年に東宝を退社しフリーとなり、児玉清事務所を立ち上げた。1972年に日本放送作家協会賞男性演技者賞を受賞、1975年4月6日に司会を務めた朝日放送テレビの「パネルクイズ アタック25」の放送開始。2011年5月に77歳で死去。
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」や日本テレビ「花は花よめ」、TBS「ありがとう」、フジテレビ「HERO」など数多くのドラマに出演。著書に『たったひとつの贈りもの―わたしの切り絵のつくりかた』「人生とは勇気」などがある。