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World View

「みんな命なんだよ」っていうパッケージ

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 日々耳にする事件・事故の多さにも驚くが、それ以上に騒々しい外野の喧噪には驚かされる。いったい、このエネルギーはどこから生まれてくるのか。先日訪ねた特別展「縄文―1万年の美の鼓動」の土器に魅せられ、「このエネルギーはどこから生まれてきたのか?」と声を漏らしたら、知人が「暇ですよ」といった。
 確かに、それも一理ある。いわば限られたエネルギーを分散せずに、いかに一つのことに集中させるかということであろう。ならば、大切なエネルギーを「何に集中させるか?」である。「土器」というよりは、日々生きることに集中できた縄文人は幸せであったとはいえまいか。
 それに比べ、集中できるものをなに1つ持たず外野の出来事に片耳を立て、大切なエネルギーを分散させられて生きていることは空しいに違いない。確かに世のなかは複雑にして多様であり、単純に生きていくことはむずかしいかもしれない。
 だが「生きること」は意思の働きであって、世のなかの有り様とは別である。ただ、我意が働き過ぎるのか、智が足りないのか、なぜか、われわれはそれらを単純に観ようとはせず、むしろ複雑怪奇に見過ぎって、考えあぐねてしまうようである。
 生きるとは何か? 単純に観るには何が必要か?
 今回は、演出家の倉本聰氏と林原博光氏による対談集「愚者が訊く」(双葉社)のなかから、なぜか倉本氏は不在で林原氏も仲人的な役でほとんど登場しない、熊ハンターの久保俊治氏と旭山動物園・前園長の小菅正夫氏の2人の対談の一部を紹介する。
 
* * *
 
小菅 今、子どもたちが森のなかとか、川のなかで遊ぶっていうのが、ほとんどなくなりましたよね?
 
久保 とくに町場の子どもたちは、本とかインターネットで、頭で知っているつもりになっているけど。何より「死ぬ」っていうことが分からんでしょ?
 
小菅 たぶん。自分で何かの命を奪ったこともないしね。
 
久保 生きているってことは、絶対何かの死んだその犠牲の上に成り立ってんだって意識も持たないわけですよね?
 
小菅 もたないですね。
 
久保 だからその辺が、人間が動物でありながら、本来の姿から変わってきていて、そこからおかしいところがどんどん出てくるんですね。
 
小菅 僕は実はね、動物園こそ、それを正すべき場所だと思ってるんですよ。僕が動物園に入った時にね、キツネとタヌキの担当になったんですよ。そのとき先輩から教わったのは、お客さんが帰ってから餌をやるんだというんです。
 
久保 はー。
 
小菅 餌がヒヨコなんですよ。雄雛は飼料用に冷凍にしてありまして、それを解凍してやるわけですよ。自分が担当になったんで、これをお客さんに見せようと思って、お客さんがいる前で、餌やりをしたんですね。そしたら、その日の内に園長のところへ抗議の電話があって、おたくの飼育係は、うちの子どもが見ている前でキツネにヒヨコを食べさせたんですよ。あんな残酷なことしてって。
 
久保 そういうのが不思議だと思いますね。
 
小菅 ねえ、それで園長から呼ばれて叱られたんですよ。そんなことするなって怒られたんです。
 
久保 (笑)
 
小菅 でも僕はいうことを聞かずにずっとやりつづけたんですよ。何いわれてもね。そしたら今度は別のお母さんが直接僕にね、アンタなんちゅう非常識なことをやってんの。子どもの見てる前でっていうから、じゃあ、おたくの食卓にはサンマはのらないんですかって聞いて。
 
久保 (笑)そうですね、ホントそう。
 
小菅 サンマって1匹まんま、食べないですかっていったら、それとこれとは話が違うっていうわけですよ。何が違うの。じゃ、おたくでは若鶏のモモ焼き食べないんですかって聞いたらね、それとは違うっていうわけですよ。
 
久保 いや、それは違うっていうその論理がまったく分からないです。
 
小菅 (同時に)まったく理解できない。
 
久保 ホンっとに。
 
小菅 だからね、僕は絶対のことは、子どものときにしっかり教えなきゃならんと思うんですよ。
 
久保 子どもんときです。絶対、子どもんときです。
 
小菅 子どものときにしっかりと、みんなこうやって生きているんだよ、動物を食う動物はこうやって生きてるし、私たちだって、魚食べて肉食べて、野菜だって命あるんだよ、みんな命なんだよっていう話を子どものときからしないとダメ。
 
久保 そうです。その通りです。
 
小菅 ねえ、これはね、動物園がここを目指さんでどうするんだって話なんですね。
 
久保 人間も動物であって絶対、他の物の犠牲の上に成り立ってんだ、っていうことを小さい頃からキチッと教えていかないと。
 
小菅 まったくですね。
 
久保 今、日本はヨーロッパやアメリカの動物愛護団体からクジラだイルカだと、目の敵にされていますが、彼らこそ、昔何をしてきたかっていうことです。
 
小菅 ヨーロッパこそ、大西洋のクジラをほとんど獲り尽くしたんですよ。しかも、クジラの油が欲しいだけだから、肉から何から全部捨ててね。日本みたく、クジラを大事に大事に全部使うこともしないで。
 
久保 そうですね。アメリカが鎖国していた江戸時代に日本に来たのも、クジラ獲りに来たんですから。それでペリーが武力で日本を捕鯨基地に開港させたんです。
 
林原 よく「命の授業」といったタイトルの番組がありますけど、どうも哲学的といいますか、観念的といいますか、ほとんど伝わらないですね。
 
小菅 僕はね、命の授業って、生きていることを実感させるにはね、死ぬ瞬間をみせるしかないと思っているんです。
 
久保 その通りです。
 
小菅 死ぬ瞬間を真剣に見たらね、生きていることは何てすごいんだろうということがホント実感できますよね。
 
久保 本当に動物の生きる力はスゴイですね。
 
小菅 僕は獣医で入ったでしょ。動物園で何が辛いかというとね、自分がいないときに動物に死なれることなんですよ。...でも、みんな待っててくれるんですよ。駆けつけたら、突然元気になって、これを「仲直り」というんですね。
 
久保 あれは一番大事にしてくれた人が来ると、まだ頑張れるんだってところを、ウシでもウマでもみんな最後の力を全部出すんです。
 
小菅 やっぱりね。それを見てこっちも安心しちゃうんですよ、元気になってよかったって。
 
久保 そうしたら、コトッと逝くんですね。
 
小菅 あれがね...仲直りという言葉の意味が分かって...これで僕は誓ったんですよ。そのときに、俺は動物園の動物が死ぬときには、必ず傍にいて、俺が看取ってやるって。動物は死を受け入れてから、実際死ぬまでにちょっと時間があるんですよ。
 
久保 そうですね。
 
小菅 この時間は、いくら注射をしようが何をしようが一切ダメなんです。あとは一緒にいてやることしかできないんですよね。だからそのときに必ず俺が抱いて、安心して息を引き取らせてやるって決めたんですね。...それをやったら、死んだあと僕自身がね、すごく楽になったんですよ。その前まではやっぱりね、何で死んだんだとか、もっとこうすればって悔しくてね。

倉本 聰(くらもと そう)
1935年、東京都生まれ。東京大学文学部美学科を卒業後、ニッポン放送入社。1963年に脚本家として独立。1977年北海道の富良野に居を移し、役者とライターを養成する「富良野塾」を主宰。その卒業生と創作集団「富良野GROUP」を立ち上げ、舞台公演を中心に活動。2006年から「NPO法人富良野自然塾」を主宰する。