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一期の夢のパッケージ、ただ狂へ
今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。
皆さんは、「担雪埋井(たんせつまいせい)」という言葉をご存知だろうか。尊敬する先輩の一人から贈られた言葉として、誌面でも一度紹介したことがある。文字通り「雪を担いで井戸を埋める」という意味だが、雪はすぐに溶ける。だから、何度担いでも井戸を雪で埋めることはできない。
それでもやり続ける。誰もが「無理」「ムダな努力」と思うはずだ。当人さえ、そんな思いに苛まれることもあろう。だが「私の生きる道」となれば、やり続ける以外にない。なぜなら「道」とはゴールではなく、ゴールへと続く途上だからである。
つい先月、日米通算4000安打を達成したヤンキースのイチロー選手はインタビューに応えて「4000安打を打つには、8000回以上の悔しい思いをしてきた。それと常に向き合ってきた」と語っていた。4000安打がゴールではないのだから、それは再び途方もない悔しい思いと向き合いながら歩んでゆくという覚悟の披歴である。
彼もまた「担雪埋井」の人である。そして時は巡り、城山三郎氏が残された遺稿の中で本誌は再びこの言葉に出会うのである。今号では、その随筆「よみがえる力は、どこに」(新潮社)の一部を紹介したい。それは、城山氏が師と仰ぐ山田雄三氏からのこうした投げ掛けから始まるのである。
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「花伝書」には「老いぬればとて花失せては面白からず」とあり、しかし同時に「花の萎れたらんこそ面白けれ」、「この萎れたると申す事、花よりもなお上の事にも申しつべし」ともある。魅力ある老年を送る人たちを描いた今、君はこの一見矛盾する世阿弥の言葉をどう思うか、というのです。
「花伝書」の中で、私が一番ピンと来た言葉は、「住する所なき、先づ、花と知るべし」という定義でした。現状なり考え方に安住しない。あぐらをかいたり、決して満足したりしない。日々を新しく生きる。心を常に新しくしておく。そんな心の赴くまま、知らない道へも踏み込んでみる。そういう姿勢こそ、花があるのではないでしょうか−−。そんな返事を教授(山田雄三氏)に書きました。
夏目漱石が愛読したイギリスの作家にローレンス・スターンがいますが、「形式に拘るには、人生は短すぎる」と喝破しています。スターンは、「自分はこんな性格だから」とか、「何歳だから」「人の目があるから」とか、人間を規制する全ての器を形式と呼んでいるのですが、私もこの言葉通り、自然な心のまま、どんどんやっていけばいいんだと思うようになりました。
老後ほど、ますます形式に拘る必要がなくなるわけです。老後ほど、自由になれる。やはり、老年にしか咲かない花ってあるのでしょう。以前、「黄金の日々」という小説を書いている時に出会ったのですが、戦国時代の自由都市・堺の人々は、こんな小唄を好んだといいます。
「なにせうぞ/くすんで/一期の夢よ/ただ狂へ」戦国の頃に成立した歌謡集「閑吟集」に収められているものだそうですが、権力に阿らず、独立独歩で、新しい世界へ踏み出そうと情熱をたぎらせる堺商人の気質をよく伝えていますね。私は目が洗われる思いで、この歌を口ずさんだのを覚えています。
口ずさむと、何だかリフレッシュされたように、心がたかぶります。そう、歳をとっても内面までくすんでいる必要はない。いや、年齢の話しだけではありません。窮屈な時代、苦しい社会、厳しい状況に生きているからこそ、時には狂うこと、他人の目からは狂って見えるようなことへ身を投じることも必要なのではないでしょうか。
アメリカにロジャー・フォン・イークという能力開発の学者がいます。元IBMの社員で、その後ビジネスマンの研究セミナーのための、ユニークな、遊び半分のように見える教科書を書いてベストセラーになった男。彼が「眠れる心を一蹴り」という本の中で、こんなことを書いていました。
一人の人間の内側には、4人の人間が住んでおり、それぞれが兵士、判事、芸術家、探検家の役割を担っている。そして誰の心の中にも住んでいるこの4人が、ちゃんと生き生きと活動しているか、絶えず心掛けよう、とイークは言うのです。
一人でも眠っていたら、あなたの4分の1は死んでいるのと同じだと。逆に、この4人をうまく育て、強化し、活発に働かせることができれば、人生が4倍になるわけです。"兵士"というのは、石田禮助さんや大岡昇平さんや「老人と海」のサンチャゴのように、自分を犠牲にしてもいいから、さまざまな試練に耐えて、勇敢に大切なことのために戦う役割。
"判事"というのは、物事の判断をする役割ですが、ただ前例だけを覚えておけばいいというものではない。実際の裁判と違って、人生では過去の判例というのはあまりに役に立たない。前例だけで判断をして生きていくのは、バックミラーだけを見ながら高速道路を走るようなものです。
それでは大事故を起こしてしまう。バックミラーに頼らず、きちんと前を見て、広い視野を持たなければならない。それから"芸術家"というのは、夢を見る役割ですね。「こうすれば、ああなるだろう」というような、足し算でできる夢ではなく、創造的な、誰にも真似できない夢を見る力があれば一番いい。
人生から得たものを並べかえたり、裏返しにしたり、逆さまにしたり、直観に頼ったりしながら、自分だけのもの、自分だけの顔を作りあげていく。そして、最後に"探検家"。古い地図で人跡未踏の地にはドラゴン、龍のマークが描いてあったそうです。探検家とは、龍のマークを見ると引き返すのではなく、そこへ飛び込んでいく人間ですね。
龍に食べられてしまうかもしれないけれど、あえて挑戦しに行く。今日出た言葉で言い換えれば、決まった道でない道を行く。4人の内でも、探検家が一番眠ってしまいやすいから、注意しないといけません。人間が、歳をとっていようがいまいが、時代が大変であろうがなかろうが、何かしようとする時、自分の中の探検家を目覚めさせなければならない。
もっと言えば、常に自分の探検家を元気に、活発にさせておかないといけない。何かやろうと思った時に、考え込んでいたらダメなんです。私のような職業だって、そうです。「いい小説が書きたいな、書けるかな」と思っていてもダメなんで、とにかく書き始め、そして書き上げることが大事なのです。
途中まで書けていても仕方がない。アイデアや下書きがどんなに沢山あっても仕方がない。自分が「これは面白い」と思えば、それを信じて最後まで書いてしまうことです。これは小説だけの話しではないでしょう。みなさんが何をやろうと思った時、「どうやってやろうかな」「こうなるはずだったんだけどな」なんて最初なり途中なりで足踏みしても仕方がないのです。
自分の中の探検家と共に、やりとげてしまえばいい。反省や後悔は後からしたっていいし、人並みの道は通らぬ梅見かなと嘯いてもいいし、どうせ一期は夢だと思えばいいし、"担雪埋井"と呟いてもいいんです。いつものことながら、まとまりのない話になりました。
これまで話に登場してきた人たちのように、一度しかない人生に激しく挑めば、人生の方も激しく応えてくれると言っても、「そうは簡単にできないよ」という人もいるでしょう。「急に軟着陸をやめると事故するよ」という人もいるかもしれません。
しかし、彼らが見せてくれたいろいろな人生の姿を記憶し、いかにも強く激しく生きてきたかを頭に留めておけば、私たちの人生だって自ずと変ってくるように思えます。
ある時は軟着陸する生き方、ある時は「ただ狂へ」という生き方、という道だってあるでしょう。そういう個々の生き方の変化が、いつか時代を動かし、時代を乗り越えていくのではないでしょうか。
城山三郎 (しろやまさぶろう)
1927年に名古屋市に生れ、1945年に愛知県立工業専門学校(現・名古屋工業大学)に入学。徴兵猶予になるも大日本帝国海軍に志願入隊。海軍特別幹部練習生として特攻隊である伏龍部隊に配属になり訓練中に終戦。1946年に東京産業大学(現:一橋大学)予科入学、改名された一橋大学(山田雄三ゼミナール)を卒業。2007年に死去。享年79歳。「城山三郎」のペンネームで「総会屋錦城」「鼠」「落日燃ゆ」「粗にして野だが卑ではない」など数々の著書を残す。