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World View

天から受けた力の一切を出し尽くし生活社会に 貢献する包装

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 コロナ禍の自粛で、巣ごもりを余儀なくされたこともあってか、政治に関心を寄せる人は増えたのではないだろうか。著名人でも人目を憚らず、SNSなどで積極的に政治的なコメントを発する人が増えたように思う。直近の東京都知事選では、若い有権者に向けた投票を促すコメントも多く目にした。
 どれも共感されるものではあるが、コメントには何か決定的に大事なものが欠けていた。それは動機付けである。なぜか、それを意図的に避けようとしている。だから言葉には力がない。「なぜ行かないの?」「散歩がてらに行こう!」とか、どれも遠慮がちにハードルを下げることばかりで、心を動かす熱がない。
 動機付けとは、行かない理由を問うことではなく、自らの経験を通じた投票行動の意義を訴えることである。安易にハードルを下げることではなく、自らの描く高い理想の社会像を語りかけることである。そして、突き放さずにともに力を合わせようと寄り添うことである。
 それは投票行動だけに限られたことではない。まだ小学生のころに、担任の先生がクラスのみんなに「大学へ行きなさい!」といわれた。自らの経験を通して大学生活の楽しさを語ってくださった。そのときに、後先を考えずに「大学へ行こう!」と思ったことを今でも憶えている。
 「シビレエイが、自らがシビレているからこそ他人もシビレさせるというものなら、いかにも私はシビレエイに似ている」とは、かのソクラテスの弁明である。他人の行動を促すには、まず心を動かさなければならない。その心を動かすには、自らの心と身体が動いていなければならない。
 今回は、「国民教育の師父」と謳われる森信三氏の「修身教授禄」抄の10講を収めた「運命を創る」(到知出版社)から、「志学」の講義の一部を紹介する。「例のように黒板をキレイに拭いて後、今日は題目を書かれた。この間先生も無言、われわれも無言であった」と、講義の臨場感が伝えられている。
 
* * *
 
 志学という言葉は、諸君らもすでにご存じのように、論語のなかにある言葉です。すなわち「吾れ十有五にして学に志す」とあって、孔子がご自身の学問求道のプロセスを述べられた最初の一句であります。
 これはいい換えますと、孔子の自覚的な生涯は、ここに始まったということであります。しかもこのことは、ひとり孔子のみに限らず、すべて人間の自覚的な生涯は、すなわちその人の真の人生は、この志学に始まると言ってよいのです。
 諸君らはすでに十七、八歳に達しているんですから、孔子より遅れることまさに二、三年ではありますが、しかしまだけして遅すぎはしないのです。これ私が、ここにこの題目を掲げて、あらためて諸君の自覚を促したいと思うゆえんです。
 そこで今、孔子のこの言葉の真意を考えるに当り、われわれの注意を要する点は、ここ「学」といわれている言葉の真の内容が、いかなるものであるかを知ることでしょう。
 ここで孔子が「吾れ十有五にして学に志す」といわれた、この「学」というのは、普通にいわゆる勉強を始めたとか、ないしは書物を教わり出したなどという程度のことではないようです。
 それというのも、ここに「学」といわれたのは、いわゆる大学の道に志されたということであって、孔子は十五歳にして、すでに大学の道に志されたのであります。では、そのいわゆる大学の道とは、一体いかなるものをいうのでしょうか。
 これは、諸君らもすでに一応は心得ていられるように、わが身を修めることを中心としつつ、ついには天下国家をも治めるに至る人間の歩みについていうのです。してみると孔子はすでに十五歳のお若さで、ご自身の一生を見通して、修養の第一歩を踏み出されたわけであります。
 すなわち十五歳の若さをもって、すでに自分の生涯の道を「修己治人」の大道にありとせられたわけであります。それは只今も申すように、自己を修めることを中心としつつ、ついには天下国家をも治めるところまでいかなくてはならぬというのであって、すでに一生の大願を立てられたわけであります。
 それゆえ今、この志学という場合、「学」という文字をもって、単に書物を習い始めたとか、あるいは勉強を始めたという程度のことと考えていますと、「吾れ十有五にして学に志す」といわれても、「ハハン」とうなずく程度で、別にこれほどの感慨もなしに素通りするにすぎないでしょう。つまり「蛙の頭に水」の程度でしかないわけです。
 しかるに今、この学という言葉の内容が、実は大学の道であり、したがってここに志学というは、この自分という一箇の生命を、七十年の生涯をかけて練りに練り、磨きに磨いていって、ついには天下国家をも、道によって治めるところまでいかずんば已まぬという一大決心だと致しますと、これ実に容易に読み過ごせないこととなるわけです。
 とくにそれを十五歳という年齢と対照して考えるとき、実に感慨なきを得ないのであります。実際十五といえば、諸君らもすでに十五歳を超えること、まさに二、三歳のようですが、顧みて諸君果していかなる感じが致しますか。
 この学校が工業学校でもなく、また農学校や商業学校でもなくて、まさに師範学校として国民教育者を養成するところである以上、本来からいえば、諸君らが本校に入学されたということは、そのこと自身がすでに、諸君らはその生涯の学問修養をもって、この日本国の基礎たる国民教育に貢献し、大にしては民族の前途に対して一つの寄与をするだけの決心がなくてはならぬはずですが、諸君果してこのような決心をお持ちですか。
 こう申しては失礼ですが、どうも諸君たちは、まだこの点に関して確たる信念を持たれていないように見えるのです。もちろん諸君らも、かような話を聞かされた場合にはそれに感激もし、またその場合では一応決心もされるでしょう。
 しかし一旦その場を去れば、多くはたちまち忘れてしまって、その感激は永続しがたいだろうと思うのです。それというのも、人間というものは、単に受身の状態で生じた感激というものは、けして永続きしないものだからであります。
 ところが永続きしないものはけして真の力となるものではありません。このことは、たとえば電車や自動車なども、運転の持続している間こそ、その用をなしますが、一度その運転が止まれば、せっかくの自動車も飛行機も、一塊の金属の堆積と違わないわけです。
 否、なまじいに図体が大きいだけ、始末におえぬともいえましょう。したがって人間の決心覚悟というものは、どうしても持続するものではないと本物ではなく、真に世のため人のためには、なり得ないのであります。そこで今諸君らにしても、なるほどときには人の話によって感激して、自分の志を立てねばならぬと思うこともありましょう。
 しかしそのような、単に受身的にその場で受けた感激の程度では、じきに消え去るのであります。たとえば今この時間の講義にしても、仮に教場にいる間は多少感じるところがあったとしても、一度授業が済んで食堂へでも急ぐとなると、もういつの間にやら忘れてしまう人が多かろうと思うのです。
 もっともこれは諸君くらいの年齢では、一応無理からぬことともいえましょう。だが、同時にまた人間も、いつまでも左様なことをつづけていたんでは、どれほど長生きしてみたところで、大したことはできないともいえましょう。
 ですからいやしくも人間と生まれて、多少とも生き甲斐のあるような人生を送るには、自分が天からうけた力の一切を出し尽くして、たとえささやかなりとも、国家社会のために貢献するところがなくてはならぬでしょう。人生の意義などといっても、畢竟この外にないのです。

森 信三(もり のぶぞう)
1896年9月23日、愛知生まれ。1926年に京都大学哲学科を卒業。1938年に旧満州の建国大学教授、1953年に神戸大学教授。「国民教育の師父」と謳われ、86歳まで全国を講演、行脚し、1992年逝去。「修身教授録」など著書は多数。