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いつしか生まれ出た生命的な想いを パッケージの形に
今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。
ソメイヨシノの開花を間近に控えて、(首都圏1都3県に出された)緊急事態宣言の延長期限を心待ちに自粛に努めてきた人は多かろう。だが期限を目前に再び、緊急事態宣言は2週間の延長が決まってしまった。「当初目指した基準を満たしているが...」とは、まったく筋の通らぬ話である。
われわれの身体は常に変化しつづけているにもかかわらず、なぜか頭は変化を好まぬようで、現状に甘んじ惰性に陥る。政府を責めるわけではないが、宣言の発出では(おそるおそる)「まだ大丈夫では?!」と先延ばし、今度は解除となると(びくびく)「もう少し抑えた方が?!」と先延ばす。
どだい依って立つべき「信」がなく、どちらも同じ「恐れ」が根因である。「感染拡大の下げ止まり」「病床のひっ迫状」「変異種の拡大」などは、いくらでも後から取って付けられる理由である。「人の恐れるものは火炎のなかと刀剣の影とこの身の死するとなるべし」とはいつの世も変わらぬ真理であろう。
「信」とは、(自他の)心に巣くう「恐れ」と向き合い、真理に迫り得る力である。今回は、揺るぎなき信で人間生命の真理に迫る、解剖学者の三木成夫氏の講演録を収めた「内蔵とこころ」(河出文庫)から、その一部を紹介したい。
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私たちのからだの調子には、多少なりとも"波"がある。いわゆる"調子の波"だが、この波の谷間は、スランプなどと呼ばれ、誰もが大なり小なり、俗にいう「不調」を自覚するものだ。ここではこの「不調」を、とくに「睡眠」の時間と結びつけて考えてみたいと思う。
眠りが悪いときは、機嫌も悪く、体調もよくない。自分の眠りのリズムが、いま、どんな状態にあるか、この機会にあらためて振り返ってみよう。
近頃、眠りがよくない。まず寝つきが悪い。夜半に夢ばかり見る。朝早く目が覚めてしまう。午前中はとくにだるく、日中はすぐ疲れる。朝の食欲はゼロ。胃はもたれ、兎のウンコか、ビチビチ便。腰痛はもう慢性。低血圧で、すぐ立ちくらむ。
遅刻で、駅の階段をかけ上がると、ドキドキは止まらない。原因不明の微熱がつづく。不調の訴えは、もちろんこれだけではない。やがて、心の方へ移っていく。毎日毎日が"億劫"で、ヤル気が起らない。また何をやってもつまらない。
夜は、少し持ち直すが、色々取り越し苦労が出てくると、もう切りがない。身体のことが心配になる。不治の病ではないかと思う。己の能力から、将来の生活まで思い患う。自分の落ち度ばかりが気になる。ひと言多かったのでは・・・、ガスを消し忘れたのでは...、などなど。
こんなことでは駄目だ、としだいにアセリが出てきて、いつの間にか、自分で自分をムチ打っている。不調の主な訴えは、だいたい以上のようなものであろう。
このなかから、人によりときにより、違った"順列組合せ"ができてくるので、一般的に"不定愁訴"などと呼ばれているが、ここで、もう一度、肉体症状の方を振り返ってみると、そこには、ある共通した眠りと目覚めの波形が浮かび上がってくる。
もちろん、それは「眠りも目覚めも悪い」という、一つの簡単な図式である。これを日中だけに限ると、それは一種の「慢性覚醒不全」ということになる。とくに午前中がひどい。ふつう、目覚めは、目の感覚から始まり、五体の筋肉を経て胃腸、すなわち胃袋と糞袋(大腸)の筋肉に及ぶといわれる。
目覚めに"空腹とウンコ"がつづく形に代わって、ここでは、目だけ覚めて、身体はまだ半分眠ったまま、という状態が姿を表わす。いま、眠りと目覚めの波形を、仮にグラフの曲線で表わすと、そこには二つの異常が出てくる。その一つは「位相のズレ」、もう一つは「振幅の減弱」だが、この両者が同伴しているようなときは不調も深刻だ。
近年、ジェット機の発達で時差ボケの研究が進んでいるが、なかでもドイツのマックス・プランク研究所の「睡眠壕」と呼ばれる、特別室での実験は、まことに見事な結果を見せてくれる。
それは、時間の分からない部屋で、長時間、好きなように寝起きをさせると、ほとんど例外なく24時間より、1時間前後も長い「25時間」という、恐ろしく根の深い周期が顔を出し、そのため毎日毎日、時間がズレ、約2週間で昼夜の逆転が起る、というものである。
そこでは、だから本人の気づかぬまま、この"夜更かし朝寝"を地で行く生活を送っていたことになるわけだ。こうした"ズレ"の素質とは、本来誰もがもっている根の深いものという、まことにのっぴきならぬ事実まで思い知らされることになるのである。
一体、この25時間というリズムはなにものか...。私たちはかねて、この摩訶不思議なリズムが、実は地球生命の故郷である大海原のうねり―潮汐リズム―と、ある深い絆で結ばれているのではないか、と密かに思いつづけてきたものだ。
もちろん、これはたんなる幻想とか、語呂合わせの類いではない。この地球の生物の自然誌を、古生代のむかしにまでさかのぼっていくうちに、いつしか生まれ出た、なにか生命的な"想い"のようなものである。
海のくらしが、潮の満ち干きに左右されることは、海辺の魚師たちの日常を見るまでもなく明らかであろう。この海綿の果てしない"昇り降り"は、地球の自転による月の引力の、周期的な増減がひき起こすもので、1日に2度、いわゆる"朝な夕な"に見られることから「潮汐リズム」と呼ばれている。
この周期は、しかし1日すなわち「昼夜リズム」の24時間よりも50分ずつ長い24.8時間である。これは、基準となる月そのものが、地球の周りを巡るからで、太陽を基準としたときより、当然それだけ長く掛かることを意味するものだが、毎日毎日、干潮を満潮が、月の出・月の入とともに確実にズレていく、この世界のなかで海辺の生物たちは生を営んでいる。
さて、海辺の生活を左右するのは、果して、この潮汐リズムだけなのだろうか。彼らは磯に近づくほど、太陽光線の影響を受けやすくなる。そこでは、潮の満ち干きだけではなく、日光の明暗、いいかえれば1日24時間を周期とする「昼夜リズム」の支配も、しだいに受けるようになってくるのである。
かのムツゴロウは、実験によれば、故郷有明海の干潮の時間帯が、朝夕の未明・薄暮と重なった、つまり夜間満潮時に、もっとも多くの巣穴から這い出てくるという。このデータは、彼らの肉体が潮の干満だけでなく、2種類の日リズムの支配下に置かれていることを、如実に物語るものといえよう。
この陰・陽の両リズムは、遠い祖先から代々に渡って受け継がれ、もはや生まれながらの、いわゆる"体内時計"となって、めいめいのときを自分のペースで刻みつづけているものである。
彼らの活動が、きっちり2週おきに活発になるのは、いってみれば振動数の少しズレた、2種の音叉が"唸り"を発するのと同じであることが以上のことからうかがわれるだろう。
この2つの時計は、上陸以後その均衡が破られてくる。しだいに遠のく故郷の潮騒に代わって、にわかに照りつける灼熱の日射しが、両者の勢力に緩やかな逆転の現象を起こさせることになる。
そこでは、古い"潮汐時計"の上に、新しい"昼夜時計"が重なり、陸地に定着を終えた今日では、もはや後者が前者をすっかり覆い尽くしてしまう。これが1日24時間を単位とする現代の形である。
三木成夫(みきしげお)
1925年12月、香川丸亀市生まれ。1951年に、東京大学医学部卒業。同解剖学教室へ入り、1957年に東京医科歯科大学解剖学教室を経て、1973年に東京芸術大学保健センターに移る。解剖学者。1987年6月に逝去(享年61歳)。主な著書に「内臓のはたらきと子どものこころ」「人間生命の誕生」「胎児の世界」「生命形態学序説」ほか多数。