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素材が本来持つ良さを引き出す日本人の感性
今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。
人は未知なる経験をしようとするとき、まず「嫌だなぁ」といったマイナスの心情を抱くものなのかもしれない。ただ、それを乗り越えた後には、"充実"というプラスの心情に転じていることがある。真逆の展開である。自らのことでありながら、心情というのは実に不思議なものである。
仏説にこんな面白い話がある。それは、天上から天魔が下界の人々の心の動きを、常に見張っているというものだ。なぜ見張っているのかと言えば、みんなに悟りを開かれると自分たちが住める場所を失うからである。そこで悟りを開きそうな経験をさせないために、心に入って阻止しようとするのだという。
つまり、マイナスの心情が強いほど、それはその人にとって大事な経験であるということである。今回は、その強いマイナスの心情から一家で日本を訪れ、北は北海道から南は沖縄まで様々な日本食を食べ歩いた、イギリスのフードジャーナリストの著書を紹介したい。
マイケル・ブース氏の「英国一家、日本を食べる」(「SUSHI AND BEYOND」訳:寺西のぶ子、亜紀書房)である。その経験で、ブース氏の心情がどう転じたかは言うまでもない。なかでも京都の料亭「菊乃井」の主人で、料理長でもある村田吉弘氏を訪ね、そこで村田氏の語る内容は"食"に止まらず、日本人の"包装"に対する姿勢とも相通じるものである。
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1970年代、まだ若かった村田氏はパリで修行している。そのときの修行は、どうだったんだろうか。彼の笑みが消えた。「フランス人は日本料理について何も知らんのやと、すぐにわかりました。みんなの笑いものにされましたよ。日本料理なんてちゃんとした食事やない、ただの食べ物やって言うんです。今でも、フランス人は好きになれんとこがありますね。彼ら、ちょっとおかしいんです。でも、そうは言っても、あそこがぼくの原点になりました」
僕は、村田氏の十数年後に同じような排他主義を経験した、友人のトシのことを思った。フランスと日本で修行を積んだ村田氏は、このふたつの国の料理をどう比較しているのだろうか。「僕は、日本とフランスの料理の違いはこういうことやと思います。
日本料理では、僕らの食材は神様からの贈り物やと思うて、手を加えすぎんようにします。たとえば大根は、ありのままの姿形が最高やと考えるんです」僕に言わせれば、フランスのシェフは往々にして素材を変えてしまいたいと思っている。素材に自分ならではの個性を与えようとしている。言い方を換えれば、日本の料理人は神様からいただいたものを調理し、フランスのシェフは自分が神様だと思っているということか。
村田氏は、これと同じことを本にも書いている。「若いときは、あらゆる食材に『味をつける』ことが僕の仕事やと思うてました。でも今では、そのアプローチはおこがましいんやないかとわかってきました。『食材が本来持っている味を引き出す』のが僕らの本当の仕事じゃないかと考えるようになりました」。
村田氏は、別の表現もした。僕が聞いた限りでは、そこには日本と欧米の料理の基本的な違いがにじみ出ていた。「オートキュイジーヌでは、異なる素材の風味を込み入ったやり方で加えたり重ねたりします。けど日本では、とりわけ京都では、主に野菜を中心に料理しますが、その目的は、それぞれの素材の、たとえば苦味とか、あまり好まれない風味を抑えるようにして、素材の本質的な味を引き出すことにあります。日本料理は、引き算の料理なんです」
世界が懐石に注目するようになったのは嬉しいことですよね、と僕は言った。「そうです、ほんまに、とても嬉しいです。世界から深い関心を寄せられる日が来るなんて、思うてもみませんでした。日本の料理は文明が熟成した時代に実にしっくり合うということに、世界の人が気づき始めたんでしょう。非常に多くの素材を使っていますが量は少しずつで、すべての料理をいただいてもちょうど1000キロカロリーほどです。これはぼくのライフワークですよ」村田氏は満面の笑みを浮かべて、深々と椅子にもたれた。
今、ニューヨークでは懐石の店が大流行ですが、世界を征服できると思いますか。僕はそう尋ねた。「可能性はありそうですが、懐石は油脂を使いませんから、ほとんど脂っ気のない料理です。幅広く受け入れてもらうのは、そう簡単ではないでしょう。懐石を理解して、懐石のよさがわかるには、何回も食べて感覚を慣らしていただく必要があります」
「たとえば、初めてトリュフを食べたとき、あの風味はすぐには理解できませんよね。同じように、懐石を初めて食べた人には、あのおいしさがわかりません。調理していない魚が欧米で食べられるようになるまでには、どれほどうまみがあるかを知ってもらうまでには、かなりの年月がかかりました」
「今はまだ、欧米の人の味覚からしたら、懐石はとてもとらえにくいものやと思います。たとえばワサビはどうですか。あれは、わかろうとせな、わからん味でしょう。日本人は、パンを好きになるのに努力しました。初めは、あんこなんかを入れて甘くしたんです。フランスパンは日本人にとって固すぎるので、自分らの味覚に合うように、軟らかくしたんですよ」
「それに文化の違いもあります」村田氏は、そう続けた。「以前、アメリカで和食に招待されたことがあります。焼き鳥、鮨、照り焼きが出てきて、彼らはそれが懐石やというんです。ノー、これは懐石じゃない、と僕は言いました。懐石にはふたつの要素がないといけません。身心の栄養と季節です」
前の晩に楽しんだ食事では、あの革新的で奇をてらった「モラキュラー・キュイジーヌ」にずいぶん近いと思える料理がいくつかあった。ジョエル・ロブションなどフランスのシェフが先駆けとなった欧米のマルチコース・スタイルの食事は懐石の影響を受けていることや、モラキュラー・キュイジーヌのシェフたちがそれをさらに極端なところまで推し進めたことも知っているけれど、はたして村田氏は何か類似点があると考えているのだろうかと、僕は思った。
「フェラン・アドリアはいい友だちですし、もちろん、ここへ来てくれたこともあります。彼は天才ですよ。でも僕の考えでは、食べ物はおいしいか、おいしくないか、おもしろいか、おもしろくないかのどっちかです。他の人が僕の料理を何料理と呼ぼうが、お客さんに喜んでいただくためならできることは何でもするというのが僕の哲学ですし、アドリアもおんなじ考えやと思います」
「彼のお客さんが液体窒素を使うと喜ばれるというんやったら、僕も異存はありません。僕が逆立ちした方がええんやったら、そうします。もっとも、僕は逆立ちできませんがね」彼は、そう言って笑った。
「あえて言うならば、彼はマイナス270度で天ぷらを揚げるかもしれませんが、僕はやはり、そういう天ぷらよりも本物の天ぷらの方がおいしいと思いますし、味は見た目の驚きに勝ると思うんです。けど、そうは言っても、伝統を受け継いでいくには何かを守らんといけませんが、同時に伝統を破ることかて必要です。僕は料理するのはお客さんのためであって、自分のためでも後世のためでもありません。賞賛というものには、興味はありません」
※オートキュイジーヌ…フランスの伝統的な高級料理。複雑な味付けと手の込んだ飾り付けが特徴。主にレストランやホテルなどのコース料理として提供される。元々はフランスの宮廷料理。