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World View

環境や効率、コストなどグロスで考えれば包装は痩せる

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 「この世には自分と瓜二つの人が三人いる」ともいわれるが、生あるうちにその1人とお目にかかる機会はあるだろうか。ただ人以上に書物とは接する機会も多く、(瓜二つとはいえないまでも)その視点や考え方、言葉の選択や文章のリズムといったものに共感(似ている)を覚えることはある。
 もちろん見識や知識、経験の違いといったことはたぶんにあるけれども、文章にはその人の性格や人柄が如実に表われてくるものである。けして物事を通り一遍の観方で表しない。あからさまに表わせば「天邪鬼な観方」といえる。そこにおもしろさが感じられる。
 物事は必ず表裏で構成されており、それを常に意識の外に置かないということである。それは単に「裏を好む」といったこととはまったく違う。なぜなら裏は表があっての表現でしかなく、裏にとらわれることと表にとらわれることとはまったく同じこととなるからだ。
 学生時代に、キリスト教について「神がまったくの善なら、どうして神は悪魔を知り得ようか?」と知人と議論した思い出がある。つまり悪魔が神のなかにいなければ、その存在を認識することはできないというものだ。そのときの議論では知人の納得を得ることはできなかった。
 昭和の歌謡ヒット曲の数々の歌詞を手掛けた、阿久悠氏を知らない人はいまい。挙げれば切がないが、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」や沢田研二の「勝手にしやがれ」、ピンク・レディーの「UFO」、矢代亜紀の「舟唄」などがある。とくにアニメ主題歌「宇宙戦艦ヤマト」は少年時代の忘れられない歌曲である。
 今回、その阿久悠氏の随筆集「昭和のおもちゃ箱」(産経新聞社)から1つ紹介してみたい。「昭和のおもちゃ箱」とのタイトルだが、うかつには開けられない「平成のパンドラの箱」ともいえる。
 そのなかで阿久氏が、米国大統領の演説がフォークソングならば日本の首相の記者会見や国会答弁は何かに似ているとし、「あの言葉の選び方と、あの抑揚の殺し方、しかも、淀みない空虚な言葉の流れは----と考えたとき、ああ、これは弔辞であると、気がついたのである」と記す。
 
 * * *
 
 ぼくは、ずいぶんたくさんの歌や詞を書いた。もちろん、小説もその他の種類の文章も山ほど書いて来ているが、やっぱり歌の詞を30年以上もつづけて書いたことは自分自身にとってかなり重要なので、それを特徴とすると、ささやかな観察としたたかな感察(こんな言葉はないが)が基本になっている気がする。
 時代とか社会といった外圧にさらされながら、人間が主役であるために身悶えしているのが歌だと、ぼくは思っているから、観察しなければならないし、感察に置き換えなければならないのである。政治とか経済とか歴史とか、グロスで語られるものばかりで構成されると、人間は痩せてしまう。
 この巨大なものに対するのに、人間はパフォーマンスはせいぜいが、しぐさであり、表情であり、近ごろ希薄になってきたが言葉であり、というのはいかにも心細いが、しかし、人間とはそういうものである。その範囲のものをもっと大切にした方がいい。
 大上段に振りかぶり、大音声で発する人は強そうで偉そうだが、実は、それを横で涼しい顔をして見ている人の方がずっと強いということもある。ただし、この涼しいというのが難しいところで、涼しければいいが、不感だと意味をなさない。困ったことに、両者は相似である。
 さて、現在は不景気なのか、年度末の道路工事期を除いては、大体2時間10分で東京へ着く。もちろん、道中はクルマの窓から、涼しい顔で観察している。そして、時には、次のような詩を読んだりする。

空缶の唄
危険な 危険な高速道路の
ガードレールのポールの上に
誰が置いたのか
現代の道祖神だとでもいいたげに
賽の河原の石積であるかのように
宇宙人との交信のアンテナに
思わせて空缶が置かれている。
ゴミ籠に捨てれば楽で
家に持ち帰れば
さらに公徳心も讃えられるだろうに
あえて あえて 疾走する
クルマの間隙を縫い
息を切らせ
安定の悪いポールの上に
空缶を置いて来るのは
如何なる人の 如何なる情熱か
それが分からなければ
現代人はわからない。
 
 何かつもりがあるのだろう。祈りとか、シグナルとか思うのは作家の悪癖かもしれないが、何気ない自然な行為とは思いがたい。空缶が飾られてあるのは道路ばかりではなく、公衆電話の上にわざわざ置いていくのがいる。横をみると、ゴミ籠があるのにである。
 とすると、意識か無意識かは分からないが、つもりというやつが働いているのであろう。それを辿るのは、ミクロの決死圏ほどの人間内部の探検が必要になる。また高速道路で考える。日本人が自分に非があったときに、「ごめんなさい」といわなくなったのはいつからだろうかと。
 かつては、肩がポンとぶつかっただけでも、「ごめんなさい」といい、ときには、明らかに被害者の立場の人が、「私がぼんやりしていたばかりに」などと言って、加害者を恐縮させたものである。
 それほどまでに謙虚で、卑屈なまでに思いやりに満ちていた人々が、突然「ごめんなさい」を死語にしてしまい、ただ居丈高に自分の利のみをしゃべるようになったのには、分岐点があるはずである。
 いつからだろうか。時代を逆行させながら社会の気配を辿り、そして、気づく。それはおそらく、日本という国が経済的に豊かになり、日本人の誰もがクルマを持つようになり、かつて前例のなかった交通事故というものを、自らが体験するようになってからではないかと思ったのである。
 そうに違いない。クルマとクルマが接触事故を起こしたとき、初期には、双方運転席から降りながら、「いやあ。すみません、大丈夫ですか」ぐらいのことをいったはずなのだが、やがて、それが、けっして先に謝らないようにというサジェスションを受けるようになる。
 礼をつくし、行儀よく振る舞い、原因がどうあれ相手のことを気づかった美しい行動が、自らの罪を認めたことと同義語になるということを知ったためである。どうやら、すべてのことを有利か不利かで考えるようになり、人間の表情が浅ましさと小狡さを潜ませるようになったのは、その頃だなと気がつく。
 道中2時間が過ぎたころ、ラジオをかける。何の番組かわからないが、街頭での一般の人のインタビューが流れて、妙なことにひっかかって、身体がムズムズし始める。男は言葉の切れ目切れ目に「ちょっと」をやたらに挟み、若い女は、話し始めに必ず「あ」をつけることである。
 男の「ちょっと」は臆病な調和かと思うが、若い女の「あ」は意識のスイッチオンか、ぐらいしかわからない。観察をつづけると、頭がウニになりそうである。
 
悲しみの輪唱するにやや疲れ
どうにかなると 日本の楽観
目立たない普通の子らの
手にナイフ
普通と呼びて見ざる罪あり

阿久 悠(あく ゆう)
1937年2月淡路島に生まれる。昭和34年、明治大学文学部卒業後、広告代理店宣弘社に入社し、番組企画やCM制作などを手掛ける。昭和40年にフリーとなり、本格的な文筆活動に入る。日本の放送作家、詩人、作詞家、小説家。第2回横溝正史ミステリ大賞、第45回菊池寛賞受賞。紫綬褒章、旭日小綬章受章。