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モノの本質(特性)を最大に生かす知恵と技術
今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。
天候不良のため2回ほど延期を余儀なくされた、あの小惑星探査機「はやぶさ2」を載せたH2Aロケット26号機が、鹿児島の種子島宇宙センターから無事に打ち上げられた。少々雲はかかってはいたものの、青空に白煙を残しつつまっしぐらに上ってゆくロケットを見おくる人の感慨は深い。
午後3時すぎに太平洋の約900km上空でロットから正常に分離され、打ち上げは成功した。予定ではC型小惑星「1999 JU3」を目指してサンプルを採取し、帰還する約50億kmの6年の旅となる。それが無事に成功し、サンプルの内容いかんでは歴史に残る偉業となろう。
とはいえ、(「はやぶさ」試験機を含め)これまでの準備と成功に向けた様々なタイミングの調整を考えれば6年などは最小単位といえる。人類といえば大げさだが、日本の英知を結集した最新技術をもってしても、自然(宇宙)の前にはまさしく「風の前の塵なるべし」である。
フランスの医師・シュヴァイツァーの残した「生命への畏敬」との言葉は有名だが、「自然に学ぶ」とった謙虚さはあらゆる分野での研究に不可欠な態度であろう。自然から命をいただく「食品」が自然科学であれば、「包装」もまた自然科学といる。
今回は2回目の紹介となるが、イギリスのフードジャーナリストのマイケル・ブース氏の著書「英国一家 日本を食べる」(訳:寺西のぶ子、亜紀書房)を採り上げたい。経緯を知る人は分かるだろうが、ブース氏の感動は止まらずあふれる言葉となって、一度では訳しきれなかった「ますます」を付した続編である。
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1960年代に行われた研究では、MSG(グルタミン酸ナトリウム)に有害な副作用があると証明するために、ヒトに換算すれば成人ひとりあたり500グラムに相当する、とんでもない量のMSGをマウスに与えていた。
したがって味の素社は、人によってはよくない反応がでる可能性もあると認めているが、それはナスや何かに対するアレルギー反応と同じレベルの話だ。MSGは、炭水化物や砂糖を発酵させて作った単なる人工のグルタミン酸で、それ以上でもそれ以下でもない。
うま味に関してはどうか。うま味とMSGは切っても切れない関係にあるが、けして同一のものではない。うま味は、塩味、甘味、苦味、酸味につづく第5の味覚だとよくいわれる。ヒトの味覚は50以上あると主張する神経科学者もいるけれど、今は、それには触れないでおこう。
日本人にしてみれば、5番目のうま味の存在を世界に認知させるだけでも、相当な時間がかかったのだから。昆布にうま味成分があることを確認した池田菊苗博士は、こう述べている。「よく味わってみると、アスパラガスや、トマト、チーズ、肉と同じような複雑な味がするが、非常に独特で、甘味、酸味、塩味、苦味の4つの味覚のどれにも分類することはできない」つまり、うま味は日本の食材だけに存在するものではないということだ。
チーズ-----とくにパルメザンチーズ―やトマトにも強力なうま味があるし、自然乾燥させたハム、フォンドヴォー、コンソメ、ウスターシャーソース(ウスターソース)にもうま味が豊富にある。母乳にはうま味がたっぷり(牛乳よりもずっと多く)あるし、焼いたり炒めたりした肉のカリカリする表面も同じだ。
うま味を説明するのは得てしてむずかしく、savory(風味のある)、meaty(こくのある)などの言葉がよく使われ、日本人はdeliciousとか、tasty(うまい)などと表現するが、実は、こうしてうま味が十分に含まれているものを挙げてみれば、うま味とは何かが簡単に分かってもらえると思う。
うま味以外の4つの味覚は、役割がはっきりとしている。塩味は、あたり前だけど、食べ物に塩分があることを示すシグナルで、甘味は糖分があること(すなわち、エネルギーを与えてくれること)を教えてくれ、苦味と酸味は毒性があることや熟していないことを知らせてくれる。
では、うま味を身体が検知すると何がわかるのか? うま味は食べ物にグルタミン酸が含まれていること、すなわちタンパク質が含まれていることを示すシグナルなのだ。タンパク質は、僕たちが生きているために欠かせない。だから、タンパク質の存在を感知するうま味受容体が舌にあることは理にかなっている。
グルタミン酸は、人間が食べ物をおいしいと感じるための重要な化合物のひとつだけれど、塩分や糖分のように「これぞ」という食品がない。グルタミン酸もうま味も、他の風味をサポートして、味にコクを与えたり味を引き立てたりするのが特徴で、それ自体を知覚するのはとてもむずかしい。
しかし、うま味は熟成の指標でもあって、野菜や果物の栄養価が最も高くなる食べ頃を教える役割も果たす―たとえばトマトは、うま味が最大になるのが完熟したときだ。要するに、グルタミン酸ナトリウムであるMSGは、天然のグルタミン酸がもたらすうま味成分を人工的に与える役割を果たしているというわけだ。
うま味のリボヌクレオチド-----とくにイノシン酸やグアニル酸-----は非常に強いうま味が感じられる。イノシン酸にグアニル酸なんて、僕だって初めて聞く言葉だが、日本料理に関して何よりも知っておくべき重要事項は、日本人は調理によってうま味を最大にする世界一の達人だということだ。
いちばんの例が味噌汁だ。池田博士の発見でわかったことだが、昆布には地球上のどんな食材よりも多くグルタミン酸が含まれている。そして、味噌汁のだしの素になるもう1つのメインの食材、鰹節には、天然のイノシン酸がこれ以上ないというほど詰まっている。
一方、シイタケはグアニル酸が驚異的に豊富なキノコで、味噌汁の具材に使われることもある。その3つが一緒になると、うま味がトリプルで重なってかえってまずいのではないかと思うかもしれないが、実はこの3つのコンビネーションによって、単独で使うときよりもうま味ははるかに強まる。
昆布のグルタミン酸が、鰹節のイノシン酸、シイタケのグアニル酸と出会って、うま味が8倍に増幅されるからだ。それを食べた人はおいしさのあまり、眼窩前頭質(大脳の中で前頭葉の眼窩の上に位置する部分。意思決定等の認知処理にかかわる)の働きに、相当な異常をきたすらしい。
こういう、うま味の「相乗作用」にかけては、イタリア人も捨てたものじゃない。彼らは、はるか昔に、グルタミン酸が2番目に多い食品、パルメザンチーズ(昆布は100グラムあたり2240ミリグラム、パルメザンチーズは1200ミリグラム)をトマトと組み合わせると強烈な味のパンチが生まれることを発見した。
まぁイタリア人だけに、単なる直観による発見ではあるけど、フランス人だって何世紀も前から、フォンドヴォーをコクと香りが詰まったアミノ酸のエッセンスになるまで煮詰めて、うま味を最大にしてきた。そこへいくと、イギリス人はうま味を楽しむ食品は、どうっていうことのないソース-----イースト抽出物の「マーマイト」だ。
食材を発酵させたり熟成させたりすると、その過程でタンパク質が分解されておいしいアミノ酸になり、それが間違いなくうま味の増加につながる。たとえば、鰹節には発酵のプロセスを経たものがあるし、酒、味噌、しょう油も発酵食品だが、どれも強いうま味が感じられる。
そのほか、カラスミをはじめとする乾燥させた魚卵や燻製にした魚卵、アイスランドやグリーンランドのサメ肉を発酵させた料理、アンチョビーを発酵させた古代ローマのガルムと共通点が多い東南アジアの魚醤、それからいうまでもなく、熟成させたチーズなんかもアミノ酸をふんだんに含んでいる。
ロックフォール(フランス産青かびチーズ)やスティルトン(イギリス酸青かびチーズ)には、恐ろしいほど豊富にグルタミン酸があるのではないだろうか。「だから何だ?」っていう声が聞こえてきそうだが、つまり5番目の味覚を認めてしまったらどうだろうっていう話だ。
マイケル・ブース◎イギリス生まれのフードジャーナリスト。「枠にはまらない食への飽くなき好奇心と探求心」が身上。2010年「ギルド・オブ・フードライター賞」受賞。「Sacré Cordon Bleu」は、BBCとTime Outで週刊ベストセラーになった。パリの有名料理学校ル・コルドン・ブルーで1年間の修業と、ミシュラン三ツ星レストランのジョエル・ロブションの「ラテリエ」での経験をつづったもの。