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“消費社会”から“生活人社会”への幸せシフト
今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。
"世界一貧しい大統領"として世界中で知られるようになった、前・ウルグアイ大統領のホセ・ムヒカ氏の初来日(2016年4月5日)がにわかに話題となっている。彼が注目されるきっかけとなったのは、あの「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」(2012年6月開催)における大統領任期中のスピーチである。
YouTubeなどでスピーチを聴かれた人も多いと思うが、本誌は知人の一人からFacebookで知らされた。ウルグアイは、いうまでもなく南米で2番目に小さな国土であり、人口は約341万というから、横浜市(369万)より10%ほど少ないくらいである。
先日、あるニュース番組でコメンテーターが、このスピーチに対し「この手の内容は"力"の無い人のするものと思われるのだが...」として、逆説的にムヒカ氏のこれまでの実績を称えていた。「力」とは、モノゴトを動かし得る変革力をいうものであろうが、ただ本誌は言葉そのものが「力」だと思う。
ムヒカ氏のスピーチはまさしく「正論」であり、「当り前」ともいえるものだが、どこかに小国の大統領といった「力量」(影響力)をみていまいか。むしろ力の有無など超えた人としての危機感であり、「本質論」である。目下の問題から眼を逸らさず、責任を他に転嫁しない。
たとえ小国の大統領であっても、自らが果しゆく(責任のある)問題としてできることをしてゆくという決意が「政治的問題」との言葉に表われているとしか思えない。では言葉の力とは何か。それは「心」であり、「思い」の強さである。
いにしえの言葉に「頭を振れば髪揺るぐ心働けば身動く、大風吹けば草木静かならず大地動けば大海騒がし」とある通り、世界中の心ある人心を動かしていることこそが「力」である。まさしく心を「動かし奉れば、揺るがぬ草木やあるべき騒がぬ水やあるべき」だ。
あえて小さな場所に心閉じこもり、「安倍首相云々」などと言わなくても、世界に開かれた大洋のうねりは止まるものではない。むしろ初来日までして、われわれに問い掛ける「わたしは日本人に問いたい。日本国民は幸せなのか?」との、ムヒカ氏の心に応えたい。
まさしく"消費社会"から"生活人社会"へのシフトにあって、「幸せ」の感じられる"包装"の使命と役割を踏まえ、われわれが日々の課題に挑戦しつづけゆくことの重要性を知るべきである。
今回は、あのリオでのムヒカ氏のスピーチのほぼ全文(若干加筆)を紹介する。消費させるモノづくりではなく、幸せが感じられるモノづくりを考えるとき、おひねり文化を知るわれわれ日本の包装の役割りといったことは、あまりにも大きい。
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質問をさせてください。ドイツ人が1世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。息をするための酸素がどれくらい残るのでしょうか。また西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億?80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか。可能ですか。
それとも別の議論をしなければならないのでしょうか。なぜ私たちはこのような社会をつくってしまったのですか。マーケットエコノミーの子ども、資本主義の子どもたちは、私たちが間違いなく際限のない消費と発展を求める社会をつくって来たのです。
マーケット経済がマーケット社会をつくり、グローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか。あるいはグローバリゼーションが、私たちをコントロールしているのではないでしょうか。
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう!」というような、共存共栄な議論はできるのでしょうか。どこまでが仲間で、どこからがライバルなのですか。われわれの前に立ちはだかる大きな問題は"環境危機"ではありません。政治的な問題なのです。
今日に至って人類がつくった巨大な(複雑)仕組みをコントロールしきれていません。逆に人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは「発展する」ために生まれてきているわけではありません。「幸せ」になるためにこの地球にやって来たのです。
人生は短く、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。ハイパーな消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費社会の世界では、私たちは消費をひたすら多く、速くしなくてはなりません。
消費が止まれば経済が止まり、経済が止まれば不況のオバケが現れるのです。このハイパーな消費を続けるためには商品の寿命を縮め、10万時間持つ電球をつくれるのに、1000時間しかもたない電球しか売ってはいけない社会にいるのです。そんな長くもつ電球はマーケットに良くないのでつくってはいけないのです。
人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」をつづけなければならないのです。悪循環のなかにいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれもなく政治問題です。この問題を別の解決の方向に、私たち首脳は世界を導かなければなりません。
なにも石器時代に戻れとはいっていません。マーケットをコントロールしなければならないといっているのです。これは政治問題です。むかしの賢人たち、エピクロスやセネカ、アイマラ民族ではこんなことをいっています。
「貧乏な人とは、少ししかモノを持っていない人ではなく欲が尽きず、いくらあっても満足しない人のことだ」と。
これは、この議論にとって文化的なキーポイントだと思います。国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。私のスピーチのなかには、耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思います。
ですが、みなさんには水源危機と環境危機が問題の源ではないことを分かってほしいのです。根本的な問題は、私たちが実行した社会モデルなのです。そして、あらためて見直さなければならないのは、私たちの生活スタイルだということです。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっともおいしい1300万頭の牛が、私の国にはあります。羊も800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を勝ち取った人もいます。しかしながら6時間労働になった人たちは、また別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。
なぜなのか。バイクや車などのローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったらいつの間にか、私のような老人になっているのです。私と同じく幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして私は私にこんな質問を投げ掛けます。「これが人類の運命なのか?」と。私のいっていることはとてもシンプルなものです。社会の発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。
愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のモノを持つこと。これらをもたらすべきなのです。
ホセ・ムヒカ氏◎
ウルグアイ東方共和国第40代大統領(2010年から2015年まで在任)。ウルグアイの首都・モンテビデオ出身。1935年5月20日生まれの80歳。大統領任期中、給料の9割を慈善事業に寄付、外遊はエコノミークラス、郊外の質素な農家に住み、自家用車は中古のフォルクスワーゲン、街の食堂で庶民と一緒に昼食をとり、服装は常にノーネクタイサンダル履き。ウルグアイ国内で“ペペ”の愛称で親しまれ、“世界一貧しい大統領”と呼ばれる。2015年3月に大統領を退任、今後は上院議員も辞めてウルグアイの子供たちの教育に余生を注ぐ意向(写真はWikipediaより)。