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World View

コンピューターでは表せず、味わえないパッケージ

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 大事なことはね、いつだって『逃げる』ってことなんだよ。危なくなったら一目散、スタコラサッサと逃げちまう。でも逃げるためには、日ごろから大自然に触れて、自然の怖さやその前触れを十分に知っておくことが必要なんだ」
 「人間は自然には絶対に勝てない。それを知っているから逃げるんだ。自然の怖さは自然のなかでしか学べない。コンピューターゲームじゃ絶対に学べないことなんだぜ」
 
 これは、今回紹介の「3・11」直後から東北の南三陸に駐在し、被災者と生活をともにして取材活動した朝日新聞記者・三浦英之氏の回想録「災害特派員」(朝日新聞出版)のなかに記された、冒険家・風間深志氏の「がれきの学校」で子どもたちに話したことである。
 童謡「森のくまさん」(作詞:馬場祥一、米国民謡)の歌詞を思い浮かべようが、クマは「お嬢さんお逃げなさい」などとはいわないだろう。森のなかでクマに出会えば(覚られる前に)「スタコラ サッササノサ」と一目散に逃げるが勝ちである。
 大事なのは命におよぶ危機を感じ取る力である。危機を感じれば身と心が動くのが自然である。災害やクマなど直面する危機から逃げるのに思考は、むしろ邪魔だ。コンピューターゲームは頭で考えるもので、けして命で感じるものではない。
 命は命でしか磨けないから、「自然のなかでしか学べない」と風間氏はいうのだ。今回は「災害特派員」のなかでも、南三陸の取材現場で出会った河北新報カメラマンの渡辺龍氏とのエピソードから一部を紹介する。渡辺氏の残した「未来のことなんて誰にも予想はできない」との言葉は、彼自身の死後にまた思わぬ奇跡を生む。未来は予想できなくても希望を生むことはできる。その先を読んでみてほしい。
 
* * *
 
 考えただけでも身震いするな」と私は大きく息を吐き出して戸倉小学校が見舞われた惨事を振り返った。
 「麻生川校長があのとき、校舎の屋上に誘導していたら、90人以上の子どもたちが全員亡くなっていたかもしれない。小学校だけじゃない。児童が屋上に上っているのを見たら、きっと保育所の園児も屋上に上っていたはずだ。考えただけでも恐ろしいよ」
 「そうだね」と渡辺も少し疲れたような表情で同意した。「でも、なんか俺、どうしても他人事には思えないんだよね。俺もあのとき、半分は死んじゃう可能性があったわけだし」
 「震災当日?」
 「うん」と渡辺は頷いた。
 「未来のことなんてきっと、誰にも予想はできないんだよ」
 そして渡辺はウーロン茶を飲みながら、3月11日の出来事について話してくれた。
 「今になって色々なことを言う人がいるけどさ」と渡辺は出てきたソーセージを楊枝の先でつつきながらいった。
 「当時を知っている人間からすればさ、あの日、自分たちの住む町にあんなに大きな津波が押し寄せてくることを予測できた人なんて、結局誰にも分からないんだって」
 私もウーロン茶を飲みながらうなずいた。いいたいことは色々あったが、珍しくしんみりとした声でいった。
 「俺は、お嫁さんとは大学時代の写真部で知り合ったんだけど、結婚式の直後に俺、ガンになっちゃってさ。結婚式のあと、ずっと病室で寝たきりだったんだ。
 点滴がポトッポトッって落ちるのをずっと眺めながら、『俺のお嫁さん、かわいそうだなぁ』って、そんなことばかり考えてた。これじゃまるで、俺に騙されたみたいだなって、お嫁さんにあまりに申し訳なくて、だから俺、お嫁さんのために生きなきゃと思った。で、結果的に生き残った。
 だから不思議なのさ。あの震災でもお嫁さんが仙台に行っていなくて、俺が幼稚園に迎えに行く必要がなかったら、俺は間違いなく防災対策庁舎の上にいたし、きっとかなりの確立で流されていたと思う。押し寄せて来る津波の写真を撮ろうと屋上の一番前に出ていただろうし、カメラをもったままでは屋上のアンテナには上れないもの」
 「でも、龍の話と戸倉小学校の話は次元が全然別だろう」
 「いや、同じだよ」と渡辺は反論した。
 「結局、未来のことなんて誰にも分からないんだよ。事前に色々と対策を取っておくことはもちもちろん大切だ。対策を怠らなかった麻生川さんは偉いと思う。でも俺は一方で、多くの児童を死なせてしまった大川小学校の先生たちも、津波の対策を怠って原発を爆破させた電力会社も、心のどこかでは憎みきれないところがあるんだよ。
 未来のことなんて誰にも分からない。あの日もそうだった。明日どうなるのかなんて、俺たちには全然わからなかったんだよ。俺もそうだったし、きっとみんなもそうだった。だから...俺は『明るい写真』を撮りたいんだよ」
 渡辺が突然、話の文脈とはかけ離れたことを口にしたので、私はどう言葉を返せばいいのか分からなくなった。
 「明るい写真?」
 「そう『明るい写真』」と渡辺はいった。
 「撮られた人たちが見返して『ああ、良い写真だな、撮ってもらって良かったな』と思えるような写真さ」
 「でも、それはジャーナリストではなくて、街の写真屋の仕事だろう」
 「違うよ」と渡辺は少しムッとしたような顔になっていった。
 「いや、三浦が言うように、それがもし街の写真屋の仕事なら、僕は街の写真屋は立派なジャーナリストだと思うし、街の写真屋になりたいと思う」
 「おいおい」と私はからかうようにいった。
 「ロバート・キャパはどこいった?」
 そんな私に渡辺は真剣な表情を崩さずにいった。
 「俺がこの仕事をやっていて嫌になるのはね、僕の写真が『?』をついているんじゃないかと思うときがあることなんだよね」
 「??」
 「うん、?」と渡辺はつづけた。
 「人間は色々な感情をごちゃ混ぜにして生きているはずなのに、俺の写真の写し方次第で----その一枚で----その人の過去が固定化されちゃう。普通の人が新聞に載る機会なんて一生に一度あるかないかの出来事でしょう。
 それなのに俺が撮った一瞬がその人にとっては一生になって、周囲から『あのとき、笑ってたよね』『あのとき、怒ってたよね』とずっといわれる瞬間になる。それが俺にとってはたまらなく重く感じるときがあるんだよね」
 「でもそれは?じゃない」
 「でも真実じゃない」と渡辺はいった。
 「俺がいいたいのはね、結局、俺たちが今被災地で伝えているものは、俺たちメディアで働く人間にとって都合のよい『真実』なんじゃないかっていうことなんだよ。新聞の紙面を飾る感動する実話や心温まるエピソード、思わず涙が出てきそうな写真の数々。
 でも、現場に足を運んでみると、実際の現実はそうじゃない。どんなに素晴らしい人間だって他人に見せたくないような妬みや僻みの感情を抱いているし、くだらないいざこざの中周囲を照らす光のような瞬間がある。笑って、怒って、怠けて、泣いて。
 それを一部分だけ切り抜いて伝えたところで、それはやっぱり『?』じゃないかと思う瞬間があって。で、どうせ『?』なら、俺は笑っている瞬間を撮りたい。被写体が幸せそうに写っている写真がいい。撮られた人があとで振り返って見返したときに、『ああ、良い瞬間だったな』と、『よし、頑張って生きよう』と思えるような、そんな写真さ」

三浦英之(みうらひでゆき)
1974年、神奈川生まれ。京都大学大学院卒業後、朝日新聞社に入社。「五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後」で第13回開高健ノンフィクション賞、「日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか」(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、「牙 アフリカゾウの『密猟組織』を追って」で第25回小学館ノンフィクション大賞、文庫版「南三陸日記」で第25回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞を受賞。朝日新聞記者、ルポライター。