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未来の希望の種----環境に侵されずに今為すべきことを為す
今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。
新聞紙面の「オバマ大統領、涙を流し演説」との見出しに目が止まった。前号でも取り上げた話題なだけに「ついに!」との思いで記事に引きつけられた。いうまでもなくオバマ米大統領が、"大統領令"による新たな銃規制強化策をホワイトハウスで正式に発表したのである。
まさにその演説中に、銃乱射事件の犠牲になった子どもたちに触れ、涙を流しながら「みんなで立ち上がり、国民を守らなければならない」などと訴えたものである。そのときの映像も見たが、涙を流したからというのではなく、よほど込み上げる思いがあったのであろう。
時代は違うが、米国大統領といえばつい「暗殺」との思いも頭によぎらないではない。オバマ氏も、その覚悟なく大統領令で押し切ることはできないだろう。「おお、孤高の魂よ/君のいく道には語る友とて少なかろう/だが、それゆえに君の仕事を果たすのだ」とは詩人・ペトラルカの言葉である。
為すべきことを為す。だが環境が整うことが問題ではない。それは「いつ為すか?」である。その答えは自身の内にしかない。今回はいつになく、作家の三浦綾子氏の小説「銃口」(角川文庫)の一部を紹介したい。もちろん「銃口」とのタイトルで選んだわけではない。
小説の一部を切り出したむずかしさがある。背景は言論統制が始まるなど深まりゆく戦時である。その暴走は抗しがたく、徐々に(純粋な)教育現場を侵食してゆくという、史実に基づく小説である。騒然とした環境に(心は)侵されず、坦々と今為すべきことを為す。そこに未来の希望の種がある。
* * *
竜太は教壇に立って、用意してあった謄写版刷りの西洋紙を配った。それには「故郷」の歌詞と譜が刷られてあった。教師たちが怪訝な顔をした。竜太の受持は高等二年生である。「故郷」は尋常六年生の教材である。ざわめく教師たちには頓着なく、竜太は生徒たちに言った。
「みんなでこの『故郷』を読んでみよう。『故郷』と書いて『ふるさと』と読む。先ず一番を読んでみよう」
兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて
忘れがたき 故郷(ふるさと)
生徒たちは声を揃えて読んだ。漢字にはすべて仮名がふってあるので、読めない者はない。
「よし、みんなはこの歌を知ってるな」
「はーい」
半数以上の者が手を上げた。
「なんだ、知らない者もいるのか。知らない者、手を上げて」
十七、八名の手が上がった。再び教師たちがざわめいた。
「そうか。これは六年生で習った筈なんだ。こんなにたくさんの者が習ってなかったとは知らんかった」
竜太は言い、
「しかし、歌えなくても、歌の意味はわかるだろうね。『兎追いし かの山』はわかるね」
「はーい」
多数の者が手を上げた。一番前の者が指名された。
「はい、兎がおいしいあの山ということです」
教師たちと生徒たちの大方が笑った。が、笑わぬ十人程度がいた。
「これはよく間違うんだなあ。先生も間違って覚えていたことがある。兎を追っかけたあの懐かしい山、というところを、うまい兎がいるあの山、と思っていたことがある」
竜太は間違った覚えはなかったが、そう言い、
「先生と同じように間違っていた者、手を上げて」
というと、十数人が手を上げた。歌詞をろくに読まされず、口写しにうたわされた生徒たちに違いない。
「歌というのはね、みんな、節も大事、拍子も大事、だが、歌詞に何が書かれているかを知ることが、一番の基本なんだよ」
竜太はそう言い、
「兎を追いかけた懐かしい山を思い浮かべているのと、うまいうまいと食べた兎の味を思い出しているのとでは、ずいぶんとちがうだろう?」
竜太はそこで、「朧月夜」の一節、「菜の花畠に 入日薄れ...」と、つづいて「我は海の子」の一節をうたった。
「春の夕暮の歌と、広い海べの歌では、ずいぶんと感じが違うだろう。この、歌の気持ちを味わうことが大事なんだ。それで、先生は宿題を出しておいたな。何でもいいから、詩を作って来いって。みんな作って来たか...」
言いかけた時、それを遮るように、佐藤学が言った。
「先生、この『故郷』の歌詞だけど、この幌志内には、兎を追って遊ぶ山もなければ、小鮒を釣って遊ぶ川もありません。真っ黒いあんこ汁みたいな川では、幌志内は...」
思いがけぬ発言だった。
「なるほどな。いいとこに気がついたな。人間それぞれに、いろんな故郷がある。伊豆の大島のように、海の真ん中の島が故郷の人もいれば、賑やかな東京の街が故郷の人もいる。雪の降る北海道が故郷の人もいれば、雪のない南の国が故郷の人もいる。しかしな、そこに住んでいれば、『住めば都よ ふるさとよ』と言ってな、どこよりも忘れられないところになる。そして、そこのそれぞれの故郷の歌ができるわけだ。
さ、みんな持って来た詩を、机の上に出しなさい。それを先生が、うまくはないが、節をつけるのが好きだから、ちょっとつけてみよう。節のつけて欲しい者は、その詩を読んでみなさい」
誰も手を上げない。頭を掻いて、隣の生徒と顔を見合わせているばかりだ。
「何だ、誰も手を上げる者はいないのか」
竜太はがっかりしたように言った。と、一列目の前から三番目の生徒が手を上げた。
「ほう、勝広か。どんな詩ができた?」
竜太は微笑した。
「はい、子守歌です。
眠れ 眠れ
眠れったら 眠れよ
お前が寝ないと
あんちゃん 宿題ができないんだ
頼むから 寝てくれよ
なあ 寝てくれよ」
生徒たちも教師たちも笑った、が、竜太は笑わなかった。日野勝広の母は、今年の春、風邪がもとで死んでしまった。勝広の家は、炭鉱で働く父親と、四年生になる弟と、三歳になる弟の、男ばかりの四人暮らしなのだ。三歳の弟は、日中は同じ長屋の叔母の所に預けてある。が、勝広が学校から帰ると、勝広が世話をする。
「うん、いい詩だ。先生は、涙が出そうだぞ。なあみんな、勝広の母さんは、今年の春死んだろう。だから勝広は、母さんの代わりに飯も炊けば、洗濯もする。子守唄もうたってやる。そんな中で宿題をちゃんとやって来たんだ」
みんなはしんとなった。
「先生は胸が一杯で、うまく節をつけられないかもしれないが、うたってみようか。その詩をここに持って来てくれ」
勝広はにこにこ笑いながら、宿題の詩を竜太に手渡した。竜太は大きな声でその詩を読み、オルガンの前に坐ってうたい出した。どこか「五木の子守唄」に似た節だった。じっとうつむいて聞いている生徒、首をふりふり聞いている生徒の中で、勝広は天井の一角を睨むようにして聞いていた。その目から、涙がころげ落ちるのを竜太は見た。女教師の中には、ハンカチを目に当てる者がいた。
三浦綾子?
1922年4月、北海道旭川市生まれの女性作家、小説家、エッセイスト。1963年に朝日新聞社の小説公募に「氷点」が入選。以後、旭川を拠点に作家活動。結核の闘病中に洗礼を受けた後、創作に専念する。主な作品に「塩狩峠」「道ありき」「天北原野」など1999年に逝去。