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物質以上の何かを創造するパッケージの可能性
今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。
「宗教」というと、どうしても"独善"への警戒心のわく人は案外に多い。それは、ほとんどが経験によるものである。ただ、それらの苦い経験を、「宗教」で一括りにするには些か心が痛む。なぜなら独善に陥りやすいのは人であって、けして宗教ではないからだ。
「宗教が疑いを持つこと自体を否定するならば、人間本来の伸びやかな精神は失われてしまう」と識者はいう。「疑いを持つこと」を否定するものであれば、もはや宗教の名に値しないのではないかと思う。言いかえれば「疑わない」のではなく、心から納得でき「疑いがない」となるべきである。
少なくとも世界の高等宗教といわれるものは、宗祖が説いた「教え」というよりは、後世の賢聖によって編集されたものが多い。たぶんに宗祖は実践の人で、残された言葉や足跡を真摯に探求し、精査したものである。いわば(ある時代の)人類の英知の集積ともいえる。
あるとき、それらの宗教に興味を始めた知人の一人が、一書を紹介してくれた。今回は、その犬養道子氏のエッセイ「心の座標軸」(婦人之友社)から一部を紹介したい。知人がなぜ宗教に興味を持ったのかはすぐに理解できた。それは著者によるところが大きい。
犬養女史はカトリック信徒のようだが、それ以上に人としての魅力に圧倒される。独善のかげりもなく、本誌には「疑うこと」から始まって「疑いがない」信仰へと昇華しているように感じられる。人は人以上どころか、誰もが「土(アダモア)」であることを忘れてはなるまい。
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すぐれた学者がなぜ、「創世記を書いた人たちは誰だったのか、いつ書いたのか」という大事な点をお考えにならなかったのか。私たちはともかく、「いまどきの」われわれの方が古代人よりずっと賢いと決めてかかります。
最近手にしたジュニア向きの科学書には、聖書の創世記(や仏教の書物など)をめぐって、「多分、子どもたちに、人間はどこからどうやって出て来たのかと聞かれて、困った親たちがつくり出したおとぎ話でしょう」とありました。
その結論はといえば、「科学時代の科学者こそ、人間がどうやって発生したかと、人生の謎の意味とかをめぐる真理をはっきりさせてくれる」。そうでしょうか。科学は「今までは隠されていた事実を、少しずつ発見する学問」。真理と真実は違う。
真理とは、もっとあたたかい深い、汲みつくせないもので、創世記の最終編集をどんな時に誰がしたのかを、見てみましょう。時代については、たぶん紀元前510年?460年頃にかけて(書くための土台となる史料や伝承は、紀元前1000年ごろには一応集まっていました)。
ということは、最終的に創世記の筆を置いた人々が、まぶしいばかりの文明・文化の土地で、50年も60年も囚人として労役にもたずさわりながら過ごしたのちの時代の人たちだったこと。文明・文化の土地とはどこだったのか。いまのイラクです。
もっと古い紀元前3100年には、現在私たちが高等数学と呼んでいる高度な学問を使い、星の運行を観察しては計算する学問、つまり天文学を使って、いまとほとんど変わらない歴だってつくっていた。大学も研究所もありました。
ですから、図書館の蔵書には、聖書の民のほとんど全員が囚人としてバビロニア国に曳かれて行った大事件のスタート点、つまり「彼らの都エルサレムを奪って全滅させたバビロニア軍勝利の日は(紀元前)597年3月16日だった」という記録文書さえも入っていたのです。
でも、バビロニア(シュメール文明の地)が、私たち日本人にも、21世紀にとっても、「大恩人」でありつづける最大の理由は、その土地ではじめて、人類全部にとっていつでもどこでも通用する、コモン(共通)の法律を文章として残してくれた点にある。
ハムラビ法典と呼ばれるものです。紀元前1729?1686年の間にバビロニア王だったハムラビという人物が、即位のずっと以前から人々の間で伝えられていた、「どこのだれにも共通する」法すべてをまとめて、人類最古で最初の成文法とし、巨大な石に刻みこませたなかの一部は、そのまま旧約聖書の「出エジプト記(20章)」に「神のことば」として載せられています。
言いかえると、「神のことば」は、正しさを求めるすべての人――バビロニア人にも聖書の民にも、他のだれにも「与えられる」。ともかくバビロニアのような光り輝く文明の土地で数十年を過ごす間に、「聖書の民」のなかの教養階級に属していた人たちは、ハムラビ法典の原文はもちろん、バビロニア国のすばらしい科学知識――天文学・数学・地質学などにも接して、驚きながら学びとってゆきました。
言語・語学の分野でも、エジプトやいまのパレスチナなどにとっくに生まれ出ていた国際語・アラム語を習い覚えました。ちなみに、この国教を知らないインターナショナルな言語(聖書の民が過去1500年以上も使ってきたヘブライ語でない言語)こそは、捕囚時代が終わってのちほぼ450?60年くらい経って、ローマ大帝国内のちっぽけな分州となりはてたユダヤの土地に生まれた、"ナザレのイエス"と呼ばれる人の使った日常言語です。
イエス当時の中近東は、三カ国語地帯でした。農夫も貧しい人も三カ国語(ギリシャ語・アラム語・ラテン語)に親しんでいたのです。つまり、創世記を完成させた執筆者・編集者たちは、「大昔の無知無学の人たち」ではなかった。バビロニア文明の刺激を受けて、「ものごとを見つめ、考えめぐらせる人たち」だったのです。
「土」の一語が浮かび上がるのは、こんなプロセスを通してでした。第一は先に書いたように「アダマア」。これは聖書の民が古代使っていたヘブライ語です。アダマア(土)を「材料として、神が形づくられたのがアダム(人)」と、まず語呂あわせで学びました。聖書のなかには度々、このような遊びが顔を出します。四角四面の「おまじめ一方」の書物ではありません。
つくづくと土と泥を手にとり眺める間に、聖書の民のなかの「考えることの好きな人々」は、はたと思い当たったのです。水の乏しい彼らの故郷の土と違い、チグリス・ユーフラテスほとりの土はなんと豊かであるかに。見たこともない数々の穀物や果樹を育てる土、みごとな草地をつくり出す土、その土が養った野菜や穀物を、動物も人間も食べる。
食べて消化して肉や骨が育まれてゆく...「みんな、つながっているんだよ」。人間の体・からだは、土つまり鉱物が育て上げる植物・動物あってこそ。土も植物も動物も同じ素材、つまり無機物有機物の集合体なんだよ。人間とはまず第一に、「神がつくられた他のすべての無機物・生物と共通する体なんだよ」。
このことを、彼らは「土」の一語にまとめ上げて書き記したのです。アダマア・アダム。「見てごらん。みんな、見てごらん。私たち人間は、味方も敵も、大人も子どもも、土(を素材とする)の体を持っているんだ。この国に来る途中、砂漠で見たろう、行き倒れの旅人の死体が他の動物のそれと同じように乾いて塵になって行ったのを。そう、われわれの体のもとは土・塵なんだよ。草を食べ羊を食べ、植物や動物を食べていばっているけれど、体の素材は同じ。だから、われわれもいつか土(塵)に帰るんだよ」。
でも、われわれと同じ素材の体を持つ動物(や植物や鉱物)のなかのどれがいったい、故郷から連れ去られたことを悲しんで、「竪琴を柳の木の枝にたてかけて、歌う力もなく泣く(詩編137)」だろう、悲しみの歌をつくるだろう、「民の歴史」を書こうとするだろう。
眼には見えない、しかし、確かにおられる至高無限の神への礼拝のために、みなで集まって祈るだろう...。そうなのだ。鉱物・植物・動物と共通する体を持つのに、われわれは、体以上の何かしらが与えられている。歌や音楽や文章を考えたり創作したり、人と歓びを分かちあったり、悲しむ者の手をとってなぐさめたり、いえ、祈りを心に抱いて神を仰いだり...体だけ(アダマア)が人間じゃない、何かしら物質でないものが人間には与えられているのだよ。
犬養道子(いぬかい みちこ)
1921年4月に東京都生まれ。首相を務めた犬養毅の孫。女子学習院、津田英学塾に学んだのちに留学。1970年代以降欧州に在住し、1979年から世界の飢餓、難民問題に深くかかわる。1990年代後半、日本国内での活動強化のために帰国。現在、麗澤大学名誉博士、麗澤幼稚園名誉園長。著書に「聖書を旅する」(全10巻)などがある。「犬養道子基金」を設立し、イエズス会の難民支援組織「JRS」と連携しながら、難民支援事業をインドシナ、アフリカ、ボスニア、クロアチア、中東などで展開している。