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日々かけがえのない「好き日」と感じさせる 価値創造のパッケージ
今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。
世界で「第三次世界大戦」が口に上るほどに米・イランの緊張がピークに達するなか、2020年が幕開けたことは非常に残念で悲しいことである。ともすれば、諦めや絶望に呑み込まれてしまいそうである。だが心は自由であり、誰にも支配させてはならない。
「闇が深ければ深いほど暁は近い」とのことわざもある。「だからこそ!」と、現実に抗い平和を強く希求し、全ての人の善性を信じる楽観主義であらねばならない。われわれの身体を防御する免疫を、最大に活性化するのは「笑い」であることを忘れまい。
大事から小事に至るまで、自らの手の届かぬことで恐れや不安、悲嘆に暮れていても何もならない。自らを楽観主義に突き動かす力も、また手の届かぬことを揺り動かす力も"わが一心"にある。吉田松陰の座右の銘は、孟子の「至誠にして動かざるものは、いまだこれ有あらざるなり」であった。
「大事には小瑞なし、大悪を(起)これば大善きたる」とはいにしえの賢聖の残した言葉である。過去・現在・未来と連続する現実が変わるには時間を要するが、心は刹那に変わりつづける現在である。心が変われば現在が変わり、現在が変わればやがて未来が変わり、過去が変わり、現実が変わってゆくのが道理である。
現実をどうとらえるかは心次第である。お茶の稽古場でいつも眺めていた(心ではみえていなかった)「日日是好日」との額が、ある日突然に「目を覚ましなさい。人間はどんな日だって楽しむことができる」と語りかけてきたのだという。
今回は、「『お茶』が教えてくれた15のしあわせ」との副題が付けられた、茶道を通じ心の成長を綴った森下典子氏のエッセイ「日日是好日」(新潮文庫)から、その一部を紹介する。
* * *
あの日のことは、忘れられない。平成三年、六月の土曜日...。お茶をはじめて十五年目のこと。朝から雨が降っていた。湿気がまとわりついて、体がだるかった。雨の日の外出はただでさえ億劫なのに、昼過ぎから雨足が激しくなった。(お稽古、行きたくないなぁ?)
みんなが集まる一時半をとうに過ぎていた。出そびれたまま、ずるずると二時半になっていた。待っても、雨は一向に小止みになる気配がない。三時間近くなって、私はやっと重い腰を上げ、しのつく雨のなか、先生の家に向かった。
雨足で前もよく見えない。先生の家の玄関に飛び込んだときには、青いスカートが紺色に変わっていて、私の足元に、たちまち水溜まりができた。「こんにちは!」雨音で私の声がかき消されたのか、それとも「いらっしゃい」という先生の声がかき消されたのか、声はなかった。
けれど、上がり框の真ん中に、真っ白いタオルが畳んで置かれていた。それを見ただけで「それで、足をお拭きなさい」と、先生の声が聞こえる気がする。濡れた足やスカートを拭き、控えの部屋でいつものように白いソックスをはいた。
室内はいつもと様子が違った。庭に面した南の広いはき出し口に雨戸が閉められていた。薄暗い廊下を通って、「すみません、遅くなりました」と、稽古場に入ると、魚住さんがちょうど薄茶を点てていた。「遅いわよ。待ってたのよ。今すぐお席にお入りなさいな」。
「はい」。床の間も見ず、私はそそくさと席に着いた。「早くお菓子を召し上がりなさい」。先生が黄交趾の菓子器を、私の前に置いてくれた。両手でちょっと押しいただき、蓋を開けた。器のなかから、紫陽花の群れが表れた。「はーっ!」。声にならない溜め息が出た。
細かく賽の目切りにした寒天をたくさん寄せまとめた、こんもりと丸い和菓子が、本物の葉っぱの上にちょこんと乗っている。紫陽花の花の色は、一色ではなかった。青っぽいものもあれば、赤紫っぽいのや青紫っぽいものもある。思わず、口元がほころんだ。(やっぱり来てよかった!)
黒文字の箸で、青っぽい紫陽花を一つ懐紙の上に取り、その丸くかわいい姿を眺めてから、銀の菓子切り楊枝を押し当てた。寒天を押し切る軟らかい抵抗感があって、花が二つに割れ、なかから餡が表れた。
一切れ口に入れると、もっちりとした餡の甘さと、寒天のひんやりとした食感が口のなかで混ざり合った。「シャシャシャシャシャ...」。茶筅を振る音がする。湿った空気のなかに、強いカフェインの香ばしさがファッと広がり、湯気の立つお茶碗が差し出された。
そのお茶の色に、目を奪われた。雨をたっぷりと含んだ苔のような、鮮やかな緑色だ。「お手前、ちょうだいいたします」。雨でびっしょりと濡れて歩いてきた体に、熱く、ほろ苦く、爽やかな味だった。「ハーッ、おいしい」。つい声に出た。
出かけるまでは億劫で、あんなにずるずるしていたのに、来たら、なんだかすっきりしていた。雨のなか、ずぶ濡れになって歩いてきたことも、今はむしろ痛快だった。(あぁ! やっぱり、雨の日のお茶も、いいなぁ?)。お手前がすむと、棚の上に柄杓と「蓋置き」が飾られた。
その「蓋置き」は深緑色の瀬戸物で、紫陽花の葉っぱをクルリと丸めた形をしていた。その葉っぱの上に、なにやら、豆粒ほどの小さなものが、ちょこんとくっついている。それは、ちっちゃな、かわいいカタツムリだった。(...アッ、そうだった...)。
幼いころ、梅雨になると、紫陽花の葉っぱの上に、こんなカタツムリの赤ちゃんが乗っているのを、黄色い傘をさしてみた。毎年、この「蓋置き」のカタツムリをみるたび、私は思い出した。(...そうそう。梅雨って、そうだった...)。忘れているから、思い出せるのだった。
雨が急に激しさを増したのは、そのときだ。滝のような雨が、ザッーっと、先生の家を包み込んだ。怖いほどだった。南側だけ雨戸を閉めた薄暗い稽古場が、異様な雰囲気で包まれた。雨音がすごくて、何だか心細くなった。台風の夜を思い出した。
不安なのに不思議にワクワクして、みんなを急に親密に感じた。「ザッー!」。木造の一軒家のすべてが、雨音にかき消されそうだった。あまりに大きな雨音で、室内にいながら外の雨がみえるようだった。きっと、黒い瓦屋根は白く煙っている。
雨樋を、濁流のような水が走り、飛び散っている。庭木の青葉のすべてが、豪雨のなかで暴れている。ヤツデの大きな葉は、バラバラと豆を弾き返すような音で大粒の雨をはね返している。椿の葉は、ぷるぷると小さく震えながら雨に光っている。
笹の葉は、重くうなだれて濡れている。軒下の葡萄の若葉は、ムチのように激しく首を振り、葉っぱの裏を白くみせながら騒いでいる。激しい雨に葉っぱ一枚一枚まで洗われて、庭の木々が狂気している。屋根から流れ落ちた雨が、滝になってダダダダと軒を打つ。
急激に聴覚が拡張するような感じがし、そして、一気に何かを突き抜けた...。(あっ...!)。一瞬、耳がつまったような感覚があった。「―」。突如、だだっ広い場所に、私はいた。ここはどこだろう。私を遮るものは何もなかった。
とてつもなく自由だった。生暖かい大粒の雨を、肌に痛いほど激しく浴びているかのようだ。嬉しくて楽しくて、子どもように歓声を上げながら、目も開けられないほどのどしゃぶりの雨に洗われているみたいだ。こんな自由、今まで知らない。
どこま遠くへ行っても、そこは、広がった自分の裾のだった。ずーっとここにいたいし、どこかに行く必要もなかった。してはいけないことなど、何もない。しなければならないことも、何もない。足りないものなど何もない。私はただ、いるということだけで、百パーセントを満たしていた。
森下典子(もりしたのりこ)
1956年、神奈川横浜市生れ。横浜雙葉学園高等学校、日本女子大学文学部国文学科卒業。大学時代から「週刊朝日」連載の人気コラム「デキゴトロジー」の記者として活躍。その体験をまとめた「典奴どすえ」を1987年に出版後、ルポライター、エッセイストとして活躍をつづける。「日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ」「いとしいたべもの」などの著書がある。