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ニューノーマルな生活が創造するパッケージの価値
今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。
山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」とは、小説「草枕」の書き出しに綴られた有名な夏目漱石の嘆きである。生きていれば、誰しもが思い当たる嘆きには違いない。
「山路」とは、まさに禅寺に向かう路であったかもしれない。漱石には一度、住みにくい世を捨てて禅門にでも入ろうと門前まで行くが、思案に暮れて引き返したという逸話がある。禅門とはいわず、誰にも山にでも籠もって心静かに暮らしたいと思うようなときがある。
「ポツンと一軒家」などのTV番組が人気なのも分らなくもないが、いざ世を捨てるとなれば、ふん切りのつかぬことも人間らしさであろう。コロナ禍のニューノーマルとは、ある意味で(捨てるまでには行かないが)世離れを強いられた生活である。
不思議なことに、世離れを強いられるほどに執着が湧くのである。だからテレワークやリモートなどとICTを駆使し、何とか人の世と繋がっていようと懸命である。「コロナのお陰」で、しばし人の世の住みにくさから離れてみるのもいい。
「晴耕雨読」で、人恋しいときには本を読んで色々な考えや経験の人と会うことである。孔子の「三十而立」との「論語」の言葉は有名だが、今回は、その30歳で思い立ち、曹洞宗大本山・永平寺に上山した野々村馨氏が、雲水として1年の修行生活を綴った著書「食う寝る坐る 永平寺修行記」(新潮文庫)から一部を紹介したい。
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没我―古来、叢林の修行生活のなかで、その修行者に課せられてきた重要な課題の一つである。
我見を捨て去る―自分が自分であることを捨て去り、ひたすら自己の無に徹し、長を敬い長に従い、黙々と日々の務めを遂行する。
しかし、こんなふうに頭のなかで考えたところで、そう簡単にこの大切な自分を捨て去るなどということができるわけがない。ましてわれわれは、すべての存在を自己という立場から考えるという、近代西洋哲学の影響のもとに教育されてきた人間である。
そこで、その自己に縛られている人間を罵倒打擲し、徹底的に打ち砕くのである。その人間が引きずってきた学歴や地位、名誉、財産、そして人格までも、何もかもを一度ズタズタに引き裂き、落ちるところまで落し、そうすることによって、すべてを捨てさせるというのである。
そういえば旦過寮のころ、浅い眠りについた瞬間、物凄い物音で目を醒ましたことが何度かあった。あれは、ガラスの入った板戸に人が思いきりぶつかる音であり、そのあとには、いつでも悲鳴のような絶叫が壁を隔てて伝わってきた。
僕は、その音を聞くたびに何ともいえない不気味な心持ちになり、ゾッと身震いした。その音の正体を、この衆寮へ配属になり、初めての夜に反省会で知ったのだ。しかし、毎夜行なわれる反省会での精算は、我見を打ち砕くためにも、なくてはならない悪の一つだった。
ここで禅の歴史を紐解いてみるまでもなく、師と弟子の関係は昔から、とかく物騒なものだった。棒でぶん殴り、蹴り、履物で頭をひっぱたく。しかし、これらの行為を「暴力」と即断し、批判するのは早急すぎる。打擲はすべて「暴力」と判断する前に、その打擲について、根底にある目的を見極めてから判断しなければならない。
すると自ずと、禅の修行におけるこれらの行為の根底にある目的が、相手を傷つけることでも、痛めつけることでもないことが分るはずである。そして、これらの行為は体から体へ、心から心へと、その真理を脈々と伝えるための一つの修練であり、錬磨であることも忘れてはならない。
人間というのは、自尊心も羞恥心も揉み消され、自分が抱えている捨てきれないものをすべて粉々に打ち砕かれてしまうと、かえって物事を冷静に認知できるようになるのだと思った。こういった日々をくり返すうちに、僕は今までの人生のなかで悩み、心を煩わせてきた大概のことがどうでもよくなった。
何と多くの取るに足らないことで、悩み傷ついてきたことだろうと思った。大きく自分の前に立ちはだかり、幾度も頭を打ち付けてきた壁も、ほんの少し冷静になって見つめ直してみると、案外吹けば倒れてしまうような薄っぺらなものだったり、すぐに横に大きく開かれた出口があったりもするのだ。
そして僕は、殴られ蹴られして徹底的に叩きのめされるたびに、ちょうど模造真珠の表面がボロボロと剥がれ落ちるように気分が楽になった。今までは、傷つくまい、壊れまいと、模造である上っ面を必死に取り繕っていた。
しかし、それがもはや剥がれ落ちるものも剥がれ落ち、取り繕うものも無くなってしまうと、そこに剥き出しにされ、残されたものこそが、紛れもない自分自身だったのだ。そのちっぽけな自分に気づいたとたんに、何ともいえない安堵を感じた。
衆堂は、たった一つの火鉢の炭火で暖かくなる。だがこの暖かさは、ここで生活する者でなくては、おそらく感じることはできないだろう。この暖かさは当然、電気や石油やガスなどのもたらす暖かさとは違う。それは、自然の暑さや寒さ、そして冷たさをそのまま肌で感じ生きている者だけが、はじめて感じ取ることのできる暖かさなのである。
禅は、いつでも自然とともにあった。自然を征服したり、自然を超越するなどということとはおよそ無縁だった。禅者が、いつでも自然と対坐し、そしてそのなかから多くの啓示を読み取り、また真理を呼び覚ます契機を掴み取った。道元は、「正法眼蔵」谿声山色の巻きに、こんな一文を記している。
谿の声も、谿の色も、山の色も、山の声も、すべてが真理を惜しみなく表わしている。自己が名誉や利益を惜しまなければ、谿や山もまた、真理を説くことを惜しみはしないだろう。しかし、たとえ谿の声や山の色が真理を表わしていたとしても、谿山が谿山であることを見極める正しい修行をしなければ、その真理を見、聞くことはできない。
この禅の自然への接近は、いつの間にか自然界からポロリと外へこぼれ落ちてしまった人間が、再び自分の内に自然を呼び戻し、そこからまた、自然に生存する生命体の一つとして本来の在り方を見出そうとする行為なのだろう。
禅の「あるがままに生きる」とは、己の意のままに生きることではなく、自然の法則に従って生きることであり、それを自分の体と心で掴み取らなくてはいけないと道元はいっているのである。永平寺の生活は、現代社会の生活から遙かに後方を歩いている。
この生活はまた、自分の体を自然に向けて押し広げる生活であり、体が自然に近づくと自然の色々なものが感じ取られ、驚かされる。それは、うっかりすると知らずに通り過ぎてしまうほどの、そんな些細なことだが、その驚きを与えてくれるのは、いつでも決まって自然が微かに移ろう瞬間だった。
生きるということは、何も特別なことではなく、突き詰めると食べることと排泄することだともいえる。これはすべての生命に共通した原理であり、すべての生命は、生まれ、そういった営みをくり返しつつ、自然界の連鎖の均衡を維持させながら、やがて死んでいく。
その営みのすべてが、自然界での生命にとっての重要な務めであり、生命として存在価値があるとすれば、まずこの世に生存していること、これこそが生きることの根本的な意味なのだと僕は思う。生きるということから余分な付加価値をすべて削ぎ落として考えてみると、無闇に心を悩ませていた多くのことが忘れられた。
まずこのただ生きているという事実を無条件に受け入れ、そしてその生を営ませている日々の一瞬一瞬を大切に生きる。これが永平寺の、洗面し、食べ、排泄し、眠る単調な日々のくり返しのなかで、体で感じた僕なりの一つの答えだった。
野々村 馨(ののむら かおる)
1959年、神奈川県生れ。在学中から中国、チベットなどアジア各国を旅し、卒業後、デザイン事務所に勤務。30歳のときに突然出家し、曹洞宗大本山・永平寺に上山、雲水として1年の修行生活を送る。そのあと、再びデザイン事務所で勤務しながら、上山から雲水1年の修行経験を「食う寝る坐る 永平寺修行記」として執筆する。