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World View

包装は近きにあり須臾も離るべからず、 離るべきは包装に非ず

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 先日、或るラジオ番組のパーソナリティが「知人に3回ワクチンを接種し、3度も感染した人がいる」と話しているのを聞いた。厚生労働省の告知よれば、コロナワクチンの接種効果は「新型コロナウイルス感染症の発症を予防する高い効果があり、また感染や重症化を予防する」である。
 コロナウイルスに限ったことではないが、(mRNAであっても)接種効果の第一義は感染の予防ではなく、発症および重症化の予防にあることはいうまでもない。あくまで侵入したウイルスと対峙し駆除するのは自己免疫であり、ワクチンは免疫を活性化するに過ぎない。
 素人考えには違いないが、何も自己免疫を活性化する方法は(直接的な)ワクチンだけではあるまい。話はやや逸れるかもしれないが、難病の膠原病と診断された米・ジャーナリストがビタミンCの大量投与と笑いで完治に至ったという事実は有名である。
 すでに「笑い」が、自己免疫力を最大に高める方法であることはよく知られている。「中医学」に深い関心を寄せて学び、リタイア後には中国に渡り資格を取得した知人がいた。その中国由来の「医食同源」とは、「生命を養い(病を治癒し)健康を保つ『医療』と『食事』は同源で不可分」との意味である。
 無邪気にパンを食べる笑顔の子どもの映像に「おいしい顔ってどんな顔」とのフレーズをくり返す、マーガリン「ネオソフト」のテレビCMを思い出すが、おいしい(心身を癒し養う)食は人を自然と笑顔にしてしまうものである。
 今回は「本当に私は、自分の生命を賭けて医学をした。今、味噌汁にたどりついた。毎朝の味噌汁である。これ健・不健の鍵と思う」という、医師の秋月辰一郎氏の著書「体質と食物」(クリエー出版)から、その一部を紹介したい。
 
* * * 
 
 私は自分の病気、体質を、自分で考え、また各種の説を聞いたり読んだりして、体質即食物というと、少しいい過ぎであるが、体質を決定するものは、食物であるということである。体質には、もちろん両親先祖から受け継いだ先天的なものもある。
 しかし、それとは別に私たちが自分で毎日つくりつつあるものもある。よく「それは体質さ」と、さも生まれつき決定したもののごとく諦める人がいるが、それは正しくない。体質は受け継いだものと同時に、日々つくられるものである。
 それならば私の体質を日々つくるものは何かというと、それは環境である。生活環境のことである。私たちが親から受け継いだものを、それを環境がつくっていくのである。環境は、太陽・空気・水と色々考えられるが、実は食物がそれを代表しているのである。
 私は結核にかかって、自分が特別に非常に弱い体質であったので、極度に悲観してしまった。私の姉・妹、二人とも結核で死亡した。私は彼らよりもさらに虚弱体質であった。とうてい治療の見込みはないと全く悲観してしまったが、その悲観のどん底から、私は私の全生命を投げ出して、食物による体質改善を目指そうと心に決めたのである。
 私にとって、食物は生命の根源である。単なる栄養という言葉の指す意味より、ずっと深い意味がある。さていかなる物を、どうやって食べるか―これは栄養学という科学の部門で研究されている。
 私は、そのときまで鶏卵・バター・牛乳・肉類・トマト・ホーレン草などが滋養物であるという、大ざっぱな常識的な知識しか持たなかった。そのために、幼少のころから卵・牛乳・肉類を、ありがたがって偏食してきた。その結果が、この虚弱さと結核の発病であった。
 だから、私は栄養学というものを、あまり信用してなった。それでも、食物の問題を研究するために、さらにもう一度栄養学からやり直した。それだけでなく、種々の学説の栄養学・食養学・玄米食論・菜食論を次々と吟味探求した。
 結論として、現代医学の栄養学は、人間の生命の源としての食物という問題に関しては、ほとんど一部しか明瞭になっていない、幼稚なものであると判った。栄養学をそのまま鵜呑みにするのは危険で、虚弱体質の人びとには、栄養学信奉者が多いのである。
 だいたい、西欧人と日本人の体質は少し異なるし、食物も異なるはずである。気候風土も異なる。だから西欧で研究された栄養学がそのままの形で、日本人にも適切であるとは考えられない。
 また人間は人間であって、ほかの動物とは非常に相違があるはずである。栄養学は、動物実験によってでき上っている。たとえば、白鼠にある食品を食べさせて、体重の増加によって、その食品の価値を決定している。白鼠が一番大きくなるのが人間には一番良い食品であるということになる。
 これは少しおかしいのである。人間の栄養学、日本人の栄養学があって然るべきである。ところが残念なことには、私たちが学んだ医学は西欧の学問である。風土が異なり、人種が違い、食物も異なっているのである。私が人種、民族といっているのは、その住んでいる土地を含めて考えねばならぬ。
 たとえば、ユダヤ人という民族はイギリス人やロシア人とは違う。しかし、その住んでいる風土に特殊性はない。印度人・漢民族・日本人と、こう考えてみると、その住んでいる土地は特異の風土性をもっている。しがたって食物、体質、生活方法にも特殊性がある。
 とくに日本人は、日本国土という特別の国土性をもった土地に、何千年と住み着いて、一つの特殊性ができ上っているのである。この風土が人間をつくるということは、本当に大切なことである。風土が体質をつくり出すのにも関わらず、そのことが余りに明瞭であるために、むしろ等閑に付されている。
 日本精神・日本文化・日本人の性格は、日本の風土によってつくられている。日本の特殊性がずいぶんと日本的な思想的展開をしている。私は、体質も同じことだと考えている。食物についても同じことがいえると思う。身土不二という考え方が食養学にもある。
 この身土不二というのは教典の言葉であるが、やはり肉体的なもの、医学的なものにも通用する。動物は、植物のように身土不二ということが一目瞭然としていないが、人間の身体と、その住んでいる土地は不可分なのであるということである。
 この考え方から、私は自分の体験を通して、また多くの患者に接して、日本人はこういう物を食べねばならないということがだいたい判ってきた。人間は穀類・野菜・海藻・魚肉・獣肉・貝類、そういったものを食べるが、とくに日本人は五穀を主食としている。
 五穀とは、米・大小麦・大小豆、或いは米・麦・黍・粟・大豆。とくに大豆は、米の「たなつもの」(水田種子)と並べて、「はたつもの」(陸田種子)といっている。日本人は五穀が主食である。ということは、日本人身体は米・麦・大豆から成り立っている。
 米・麦・大豆が日本人を支えている三本の柱である。味噌が日本人の食物の最も大切な要のようになっている。「ああ、そんなことは誰でも知っているよ」という。しかし案外誰も知っていないのである。大豆はそのまま煮ては消化が少し困難な食物である。
 それを味噌・しょう油まで進め、消化しやすいものとしたのは、日本の風土であり、日本人の知恵である。私は、かつて自分が結核を発病し、病床に伏して天井を眺めながら、真剣に自分の身体を改造して出直そうと考えた。そのためには、私自身の食物をあらためよう、そうすれば身体が変わると決心した。
 「悔い改めよ」ではなく「食い改めよ」である。私は、そのときまで自分の生活の誤りを反省した。生活の誤り―つまり食物、食生活の誤りのことである。私の両親は純農ではないが、農村出身であった。両親は大人になるまで、麦飯と味噌汁が食生活の基幹であったはずである。

秋月辰一郎(あきづき たついちろう)
1916年1月3日、長崎生まれ。1935年に長崎県立長崎中学校を、1940年に 京都帝国大学医学部を卒業する。長崎医科大学(現・長崎大学医学部)物理的療法科の助手となり、永井隆氏の下で研究を行う。1941年に高原病院に勤務、1944年に長崎浦上第一病院(現・聖フランシスコ病院)医長に就任。爆心地から北東に1.4㎞の病院で勤務中に被爆し、負傷した被爆者の救護にあたる。1952年に聖フランシスコ病院院長に就任。日本医師会最高優功賞を受賞。2005年10月に死去。