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自然と一つになる生活に根づいた包装
今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。
あの沢田研二さんの主演する映画「土を喰らう十二ヵ月」(中江裕司脚本監督)を鑑賞した人はいるだろうか。「一汁一菜でよいという提案」でも知られる、料理研究家の土井善晴さんが初めて料理監修を務めたことでも話題となった。
沢田さん演ずる作家が、人里離れた信州の山荘で犬と亡くなった妻の遺骨とともに暮らし、東京から訪ねてくる担当編集者の恋人(松たか子さん)と、畑で育てた野菜や山で収穫する山菜を使った料理を、日々楽しむ姿を描いた映画である。
土井さんは「あれがうまい、これがうまいといった話とは全く違い、人がどんな思いで生きているのかを、料理を通じよく考えさせられる内容」と語る。「喰らう」などいえば動物的な荒ぶるイメージは否めないが、主人公は9歳から禅寺に奉公に出され、精進料理を身に着けた作家である。
「料理は人の背骨そのもの。動物は食べるだけだが、人は料理して食べる。人は料理する動物で、人であるには『食べる』ことより、『料理する』ことの方が大切、結局、料理する人が地球と人を繋げている」と、土井さんはいう。
タイトルの「土を喰らう十二ヵ月」とは、「里山で暮らし、春夏秋冬(十二ヵ月)に大地の育む旬の食材(命)を食べる」ことに尽きる。日々、旬の食材を料理して食べることは、理屈抜きに地球と繋がり生きることである。自然と一つになること以上に豊かな生活はない。
今回は、映画の原作である水上勉氏の著書「土を喰う日々―わが精進十二ヵ月」(新潮文庫)から「七月の章」の一部を紹介する。そこに、水上氏は「さて、七月は何を喰ったらいいだろう。これも畑と相談するしかない。まず目に入るのは茄子。これは、わが畑でも夏の王者だから、毎日もぎ取っては秋までその日その日、思いつく料理を楽しむ」と記している。
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摺り込んであるのか、実の姿はじつに細かくて、一見それは、ふわりとしたふうに見えたが、箸をつけてみると、細い繊維が出てくる。温い飯の上にまぶして喰った。貴船川の水音がしてきた。
やはり、スーパーで買った実を、小枝も交えて粗煮したような、粗末な私の作品と違って女将の手はきめ細かだった。めしにまぶせば、粉が散るように薄く伸びる。貴船の山椒を喰いながら思い出すことがもう一つあった。
これは前にもちょっと触れたのだが、山椒の季節なので、もう一度書いておく。若狭の母方の祖母のことだ。八十三歳まで生きた人で、晩年は足を悪くして、畑のなかに六畳一間の一軒屋を建て、本家に住まわせた息子夫婦と顔を合せるのも嫌って不幸な死を遂げた。
若狭を襲った室戸台風のときだった。大水が出て、引っ越した土蔵にまで水が攻めてきて、ずぶ濡れで、畳もろとも浮き上がり、地獄をみて、死んだ。
その祖母がまだ若かったころに、長い未亡人暮らしだったが、孫の私が昼めしどきに家へゆくと、箱膳に茶碗一つおき、白めしをよそうだけでおかずは何もない。不思議に思って見ていたら、膳の脇にある信楽壺の口に紐を巻いてフタをしてあった厚紙を取り除けて、二本の箸を壺へ突っ込み、枝もまじった山椒の実を少し挟んでめしの上に置いた。
壺はつまり、祖母の常備菜であって、真夏のすすまない昼めしの一菜だった。いつかその壺を覗いてみたら、めっぽう汁が多くて、墨汁みたいになっており、山椒の実も葉も枝も、底に沈んでしまっていた。だから、祖母は、箸へつける際に、まるで棒を突っ込むように差し入れて、しばらく、探すようにしてから挟んで持ち上げた。
何ほどの実の数でもなかったが、汁が豊かだから、滴が落ちるほどで、その滴を、茶碗の方にあてがって、受けながら、祖母はおいしそうに喰ったのである。「おばば、山椒うまいかのう」私は問うた。
「うん、これがありゃ、うらはなーんもいらん」三杯ぐらいめしを喰った。足を悪くしてから村を歩かなくなったが、村小使のような「あるき」と呼ぶ仕事をしていて、戦争で息子夫婦が孫を大勢つれて、疎開してくるまで、呑気に暮らしていた後家さんだった。
その祖母が八十三歳まで、土蔵のなかへ持ち込んでいたのは信楽の山椒壺だ。その死に私はめぐり会っていないが、家の者たちの話に、祖母は、一日とて実山椒の煮つけを欠かしたことがなかったそうな。水害で全身を水につけなければ、足は悪かったものの、まだまだ長生きしたはずだと弟たちはいまも語り草にしている。
私が貴船の山椒に舌つづみをうち、軽井沢のわが粗煮の山椒の実を朝めしに載せる癖は、この祖母恋いからきている。いつもいうことだが、みれば何のことはないが山椒の実にさええ、人は命の暦を手繰り寄せる。舌から溶けて、血肉に入る味とは、つまりこういうその人ならではの歴史にまつわる土の滋養というしかない。
中村幸平の「日本料理の奥義」という本をみていると、料理には六味の味があってこそ完全な味だと説いてある。ふつうわれわれは、甘、鹹、酸、苦、渋の五味を分析して考えているが、もう一つその「後味」をつけ足して六味とするのが中村氏の説で、後味とは「たべたあとまたたべたくなるあと味」と説明されている。
なるほど、五味は分かっていたが、つけ足すものが、そういう心理的なものも加味されてあることに感心した。人間は、不思議なもので、食物のちょっとした色や、すがたに、その人独自の連想をはしらせる。卑近な例をいえばかぎりはないが、食がなぜかすすまぬという、なぜかを追跡してゆくと、たぶんにこの心理的な要素をみつけることができる。
山椒をみて、鳥肌立てる人もあろう。そういう人は眼をつぶるのである。その人には、後味などない。もう一度食べたいと、惜しげにフタをするのでなくては、その作品は、常備菜として不合格なのである。さしずめ、わが母方の祖母などは、山椒を六味として尊んだ人というしかないだろう。
そうではなくては、八十三歳まで、壺を抱えて生きるはずもない。八十三歳といえば、長寿に入るが、祖母はまことに粗菜主義で、子どもだった私の記憶のなかに、魚類を喰っていた思い出はない。あるものは、畑のものばかり、茄子の煮つけ、大根の煮もの、たまには、その大根に、かなり大きなジャコがダシをかねてまぶれていたくらいだ。
能のない話ついでに、もう一つ忘れていた夏大根のつかい道をいっておく。誰もがやるものだが三日とつづかぬ一夜漬けのことである。大根を葉ももろともよく刻んで、私は塩をふりかけて重しの下にしておく。朝これをよくしぼって、しょう油をかけて喰っているのだが、これほど甘くて、めしのはかどるものを知らない。
毎年夏場になると、アルバイトの女子大生が二人やってくる。そのお嬢さんらに、夏の台所になくてはならぬものは、小まめにつくる一夜漬けだということにする。黙って聞いているが、来た当座はやるけれど、八月に入るころになると、買ってやったプラスチック製の一夜漬け器も、埃を浴びてしまって、あまりやってくれない。詰まらぬものと思うらしい。
大根の塩漬けぐらいでは、料理のなかへ入らぬと教え込まれてきたのか、カバンに忍ばせてきた部厚い料理の本を繙いては、しきりと頭を悩ませているのである。本に書いてあることより、一夜漬けをつけたまえ。そこに滋味が生じるといっても、「ふふふふ」と笑っているのだ。
女子大学へ通っているのだから、こっちのいっていることの重大さが分かっていいはずだが、私のケチ根性と解して笑うのである。不思議な教育を受けている人たちだと思う。一夜漬けを嫌って、どうして夏の料理の門が入れよう。
水上 勉(みずかみ つとむ)
1919年、福井県生れ。少年時代に禅寺の侍者を体験。立命館大学文学部を中退し戦後、宇野浩二に師事。1959年に「霧と影」を発表、本格的な作家活動に入る。1960年に「海の牙」で探偵作家クラブ賞、1961年には「雁の寺」で直木賞。1971年には「宇野浩二伝」で菊池寛賞、1975年には「一休」で谷崎賞、1977年には「寺泊」で川端賞、1983年には「良寛」で毎日芸術賞を受賞。ほかに「金閣炎上」「ブンナよ、木からおりてこい」「土を喰う日々」など著書多数。2004年9月に永眠。