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人を知り、思いやりで紡ぐ包装
今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。
新年早々から愚痴は控えたいものだが、あまりにリアリティを欠いた言葉が多すぎまいか。しかも、最もリアリティの要する内容や立場の人たちの口から発せられることは残念でならない。
確かに「攻撃」と「反撃」とは意図を異にする言葉だが、(武力)行為には違いはない。また歴史を顧みれば、反撃能力の程度で躊躇こそあれ、攻める判断を止めるようなことはあるまい。仮に身に当てて考えれば、喧嘩を始める場合に、反撃能力の程度を考慮するであろうか。
もし考慮するとすれば、それは勝敗を決する作戦の話か、もしくは「喧嘩」とは名ばかりのイジメに過ぎない。反撃を覚悟するほどの動機がなければ、喧嘩など始められるものではない。誤解を恐れずにいえば、眼前でつづいているウクライナでの戦争をつぶさに観れば明らかであろう。
それはロシアにしかり、(軍事支援のあるとはいえ)ウクライナの徹底抗戦する姿に表れていよう。先制攻撃であれ反撃であれ、専守防衛とは一線を画すものである。確実に戦闘はエスカレートし、どちらかが降参するまでは止められまい。
もし攻める動機に疑心暗鬼があるとすれば、「丸腰」といった大胆な選択もあり得るはずだ。果たして、(理由はどうあれ)丸腰の相手を攻めることなど誰にできようか。「暖簾に腕押し」「糠に釘」とのことわざのように、「暖簾」「糠」にムキになって「腕押し」「釘打ち」などつづけられるものではない。
やればやるほどに無意味さや無力感に苛まれ、さらに周囲の目に映った愚かでマヌケな己の姿を知るのがオチである。もちろん「甘い考え」「夢物語」「理想論」などと否定的に考える人はいようが、それはまた人の生き方と国の在り方の選択の違いでもある。
今回は、歴史に学ぶといった意味から、最後の宮大工棟梁の西岡常一氏の著書「木に学べ―法隆寺・薬師寺の美」(小学館ライブラリー)から、その一部を紹介する。
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仏教はキリスト教やイスラム教とは違いますわね。仏教は自分自身が仏様である。それを知らんだけだと。神も仏もみんな自分の心のなかにあるちゅうことをいうてるんですわ。ほかの宗教は、神様は人間界を離れた上にあると考えている。そこが違うんやね。
そうしたことが忘れられてしまったんや。法隆寺にしろ、薬師寺にしろ過去に対する尊敬の礼拝の場所です。法隆寺では大講堂が一番大きいでっしゃろ。薬師寺もそうだったんです。この大講堂から生きた仏教が生まれていくんですな。新しい仏教が。
そういう意味では、大講堂がなければ、そんな伽藍は伽藍とはいえません。また、大講堂ができても、ちゃんと説教できる人がおらな困ります。とにかく、仏教は慈悲心ということをいいますわね。慈悲心は母親が自分の子どもを思う心、これが慈悲心やといわれていますわ。
仏教はその慈悲心を自分の子どもだけではなしに、生きとし生きるものに及ぼそうという考えですわな。これが世界に広まれば平和ということいわんでも、世界が本当に平和になりますわ。思いやりですわ。
ソ連(ロシア)は米国の立場を思いやり、米国はソ連の立場を考えて思ってあげる。そうすれば平和になりますがな。今のは何せ、懐にピストル入れておいて、ポケットに弾ぎょうさん入れておいて、「お前何発もってる。俺は5発や」「俺は6発や」いい合ってますのや。
それでいて、原子戦争をもしやれば地球は破滅や、ということをよう知っているんでっせ。本当にそれを理解しているんやったら、ポケットの弾もピストルも、なんでテーブルの上にみんな出してしまって、「止めときましょう」といわんかいうんや。
結局、疑心暗鬼なのや。御利益ばかり願う宗教はウソや。利益というのは一つの方便ですわ。本当の仏教というものは、自分が如来であり、菩薩であるちゅうということに到達する。
それが仏教ですわな。それは文字を通して考えていくやり方もあるし、死ぬほど自分の体を苦しめて、そこから悟りを開く、色々な方法はありますわな。いずれにしても、自分の体のなかに仏があるちゅうことを見つけ出す。これが悟りといわれてるんですわ。
そういう意味でも、仏教がどんなものか、人というのはどんなものかを説く大講堂は大事な所なんです。それが時代が進んでくるに従って変わってきたんですな。飛鳥・白鳳の建造物は国を仏国土にしようというんでやっているんですわ。
それが藤原以降になりますと自分の権威のために伽藍をつくるんですな。庶民のことは考えず、自分たちの権威を「自分の方が上だ」といって建てたんです。仏教と国のため思っての建造物は、聖武天皇の東大寺が最後でしょうな。
日本人の木に対する考え方はしっかりしたもんでした。土のこと自然のこと、それをどう生かすか、よう知ってましたわ。とにかく千年せんと使える木ができませんのや。それを考えたら、何のために、木をどう生かすか、使う心構えというものをしっかりせんといかんのですが...どうなりまっしゃろな。
近頃、ログ・ハウスとかいう西洋風丸太小屋が流行ってるらしいですな。ときどき、そのこと聞かれます。西洋の人の木に対する考え方と日本人とではずいぶん違います。日本はまず、木そのものを楽しむということがありますな。
ログ・ハウスやらと日本の家屋の違いは、柱を立てて建物をつくるかどうかということです。柱を立ててやるというのは技術が要るわな。丸木を積んでいくというのはやっぱり素人的な考えや。積んで建てるというのは、そうむずかしいもんやない。
とにかく材料が豊富にあるんでしょうな。積んでいくというのは、まあ頑丈ですな。木を横に使う技術が日本にもないわけじゃないんでっせ。正倉院があります。あれは日本の風土気候というものを考えた、立派なもんでっせ。
外国からもときどきお客さんがみえて色々聞きますが、なんちゅうても一番驚くのが、軒が深くて屋根面積が平面に対して非常に大きいが、どうやって、それをもたせているのかということです。しかもすべてが木で、ようできるなということですが、西洋の人には、ヒノキの強さや性質いうのが分からんのでしょうな。
建築用としての木になじみがない。レンガとコンクリートはよう知ってるでしょうが、木はそうじゃないでしょ。西洋の木をいじる大工というのは、日本でいうと建具屋ですわ。レンガづくりの建物の内装を木でやる、そういうことでしょうな。建築物を全部木でするということがないからな。
中国でもそうでっせ。中国の人が見に来て、これやったら中国の方が立派やと思うかもしれませんが、中国は建物の広さの割に屋根が小さい。総じていえばズングリムックリです。軒の深さもない。技術的にみたら、日本の方がずっとむずかしい。
法隆寺は日本の気候に合せてつくられた、どこにも負けない立派なもんでっせ。ときどき図面をもって、これでいいか見てくれといって来る人があります。図面を見たら、いいか悪いかすぐ分かりますな。図面で不安定な建物、これはだめですわ。図面のうちからガッシリしたものじゃないとね。
まず大事なのは柱ですね。今の建築は柱が細いですわ。経済的なこともあるでしょうが、五寸角と二尺の円柱では16倍も違いますからな。設計の段階でも、今の人は耐久年数というのを考えませんさかい。何百年もたそうなんて考えない。今さえ検査通して、明日こけてもええっちゅうことですから。
耐久年数というものは木の使い方一つですわ。使い方が悪ければ建物はもちません。木の使い方というのは、一つの山の木でもって一つのものをつくる。これが原則ですわ。
西岡常一(にしおか つねかず)
1908年9月、奈良生れ。1921年に生駒農学校入学し、在学中は祖父から大工としての技能を徹底的に仕込まれ、卒業後は見習いとなる。1928年に大工として独立し法隆寺修理工事に参加。1929年1月に舞鶴重砲兵大隊に入隊。除隊後、法隆寺五重塔縮小模型を作製し設計技術を学ぶ。1934年に法隆寺東院解体工事の地質鑑別の成果が認められ、法隆寺棟梁となる。
法隆寺金堂をはじめ法輪寺三重塔、薬師寺金堂、同西塔など、檜の巨木を使い堂塔の復興を果たした最後の宮大工棟梁。文化財保存技術保持者、文化功労者。共著に「斑鳩の匠宮大工三代」「法隆寺を支えた木」「法隆寺」「蘇る薬師寺西塔」など。1995年4月に死去、享年86歳。