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安心安全を土台に生活の伴走者としてのパッケージ
今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。
口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても入っているのは空気ばかり。-中略-ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの粒々だったね。
これは、詩人・吉野弘氏の26歳ころの詩「I was born」の一部である。或る夏の夕に父から聞かされた、カゲロウ(蜉蝣)の雌を顕微鏡で観た描写である。「食物」を単に「品」とみるか、それとも「命」とみるかでは大きな違いがある。
その意味で、包装人には顕微鏡で観たカゲロウの描写は、口栓ぎりぎりまで充填されたミネラルウォーターのPETボトルと二重写しとなろう。ゆえに使用済みのPETボトルにも思いを致し、ラベルを丁寧に剥がし(必要があれば)濯いで分別しリサイクルに供してほしい。
詩はこのあとに、「そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは」と父の話はつづくが、吉野氏は「それからあとは もう覚えていない」と。ただ一つ痛みのように切なく「ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体」が、「僕の脳裡に灼きついた」と結ぶ。
詩には継がれゆく命の重さを感じさせるとともに、少年が受け止めるにはあまりに重すぎる命の切なさを思い知らされる。ただ、われわれも、今なお世界で日々残酷に失われていく命のあとを絶たない事実を胸に灼きつけ、けして目を背けることなく、むしろ日々の生活の細部まで慈愛の目を注ぎたいものである。
今回はあの解剖学者の養老孟司氏と、日常子どもたちと接する4人の碩学との対談集「子どもが心配-人として大事な三つの力」(PHP新書)から、児童精神科医の宮口幸治氏との対談の一部を紹介する。
ちなみに、サブタイトルの「人として大事な三つの力」とは、宮口幸治氏の「認知機能」と慶応大医学部小児科主任教授の高橋孝雄氏と日立製作所名誉フェローの小泉英明氏の「共感する力」、自由学園学園長の高橋和也氏の「自分の頭で考える人になる」である。
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養老:できない学生とは、モチベーションがない学生だ、ということです。確かにいわれて医学部に来たのか、最初から医者になる気がないのではないかと疑われるような学生の成績が悪い。
いつだったか、東大の医学部生のなかに国家試験に落ちる者が出てきて、教育委員会が学部の教育との相関関係を調べたことがあるんです。結果、分かったのは、私の試験で落第点を取った学生が、ほぼ全員、国家試験に落ちている、ということでした。
解剖は面倒くさい作業です。記憶しなければならないことがたくさんあるし、しかも理屈があまり通らない。頭のいい子というか、理屈の好きな子には向かないんです。本当に、「医者になりたい」というモチベーションがないとやってられないんですね。
でも逆に、医者になるモチベーションをきちんと持っている学生が、すごく一生懸命に取り組む授業でもある。医学部生にとって、解剖は臨床に近いですし、人体そのものを扱います。緊張感もある。医学部生にとって、やる気の有無がもっとも端的に表れた科目が、解剖でしたね。とにかく、学力を伸ばす決め手になるのは、やはりモチベーションですね。
宮口:本当にそうだと思いますね。私は、やる気を引き出すためには三つの要素が必要だと思っていまして、それは「見通し」「目的」「使命感」です。実はこれ、私自身の体験から導き出したことなんです。私は医師になる前に五年ほど、建設関係の会社で公共事業にともなう環境アセスメントの仕事をしていました。
たとえばトンネルを掘るときに、トンネルができることで地域住民に環境面で何か不都合が生じるかどうかを調べる仕事です。最初のうち、いくら上司から「意義のあるすごい仕事だよ」といわれても、全然ピンときませんでした。仕事の全貌が見えなくて、見通しが立たず、何から手を付ければいいのか、分からなかったのです。
これはもうやる気以前の問題。見通しが立たない、目的が分からないのでは、やる気などもてるわけがないのです。それでも進めていくうちに、段々仕事の全貌が見えるようになり、何のためにその仕事をやるのか、目的も分ってきました。
それで「よし、がんばろう」という気持ちにはなるものの、今度は「やりがい」を感じることができない。私にとってその仕事は、「これに人生をかける」と思えるほどの使命感が持てなかったのです。この気持ちは、精神科の医者になっても変わりませんでした。
基本的に患者さんは治らないことが多い、そのことにある種の空しさを覚えた、というのが正直なところです。次に神経内科へ行って、脳出血や脳梗塞になった方を診ましたが、次から次に来られる患者さんのそれまでの生き方に関わらずに、要は治せばいいという感じ。ずっとモヤモヤしていて、医師という仕事に対して絶望すら感じました。
そんなときに出会ったのが、非行少年だったんです。そこから先は冒頭でお話しした通りで、何かスイッチが入っちゃったんですね。「認知機能に障害があるのに気づかれずに非行化する子どもたちが、予備軍も含めてたくさんいる。この子たちを何とかしなくちゃいけない。そのために自分は生まれてきたんだ」という使命感が湧いてきたのです。使命感をもった瞬間、「やる気」の次元がぐっと上がった気がします。
養老:コーリング(CALLING)―呼ばれたんですね。
宮口:ああ、そうかもしれません。使命感のようなものが見つかった私は、ある意味ですごく幸せだと思います。
養老:見つからないのが普通でしょうね。宮口先生にとって今の仕事は、️天職なんだと思います。
宮口:ありがとうございます。もっとも「やる気」があるだけでは十分ではありません。やりたいと思ったことにチャレンジする場合、その環境を整える要素として、「安心安全の土台」と「伴走者」が必要です。子どもを電気自動車にたとえると、親は充電器に相当します。
子どもが外で色々な経験をすれば当然、エネルギーを消耗します。そうしてなくなった分を、帰宅してから親に充電してもらう。親という充電してくれる存在が「安心安全の土台」になります。ただ問題が一つ。親が安心安全の土台になっているつもりでも、子どもにとってそうなっていない場合があるんですよ。
電気自動車の充電器でいえば、電圧が違うとか、ある場所が一定しない、気まぐれに動いたり止まったりする、機械自体が壊れているなど、充電器としての機能がちぐはぐだと、ほとんど充電されません。親としては充電の仕方がトンチンカンになっていないか、確認が求められるところです。
また「伴走者」は、車の助手席に乗っているイメージです。「一人でやりなさい」と突き放すのは、教習所で運転を学んだあとにいきなり首都高速に乗れ、というようなもの。子どもが新しいことにチャレンジするときは不安ですから、最初のうちは伴走者として見守ってあげるのがいい。
とはいえ口出しは禁物です。「そこ、早くブレーキを踏みなさい」「もっとスピードを出しなさい」「早くハンドルを切りなさい」などといってはダメ。そっと見守り、何か困ったときにアドバイスしてあげるといいでしょう。このことは、認知機能の弱い子どもだけではなく一般の子ども、ひいては大人でも同じ。
宮口幸治(みやぐち こうじ)
神戸市出身、京都大学工学部を卒業し、建設コンサルタント会社に勤務。神戸大学医学部に再入学し、卒業後は神戸大学医学部附属病院精神神経科、大阪府立精神医療センターで働き、児童精神科医として精神科病院や法務省宮川医療少年院、女子少年院に勤務。
2016年から立命館大学産業社会学部教授に就任、困っている子どもたちの支援を行う「日本COG-TR学会」を主宰する。主な著書に「ケーキの切れない非行少年たち」(新潮社)や「『立方体が描けない子』の学力を伸ばす」(PHP新書)ほか多数。日本の児童精神科医・医学博士、立命館大学総合心理学部・大学院人間科学研究科教授。