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World View

中身を意識し変化に応じゆく強かなパッケージ

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 日本初の月面着陸を計画するJAXAの無人探査機「SLIM」と、NASAなどと共同開発した新たな天体観測衛星「XRISM」を搭載した、「H2A」ロケット47号機の打上げに成功との朗報に接し、歓声を上げた人もいよう。
 2023年3月には新たな主力ロケット「H3」初号機の打上げに失敗し、「H2A」では天候不良で打上げの延期がつづいていただけに歓びもひとしおではなかろうか。また、その間にはSRO(インド宇宙研究機構)による、世界初の月面南極付近への無人探査機の着陸成功(月面着陸は世界4か国目)や、インド初の太陽観測衛星の打上げ成功などがつづいた。
 ちなみに、同衛星は約4ヵ月後に地球から150万km離れた観測地点に到着し、太陽表面のフレア観測などを行う「Chandrayaan-3号」である。
 処暑を過ぎてもなお、大地の熱気の冷めやらぬ秋の夜空に、スーパームーンを眺めた人はけして少なくなかろうが、アフターコロナは名実ともに月が身近に迫ってくる時代である。2023年は詩人・宮沢賢治(1896年8月27日〜1933年9月21日)の没後90年となる節目でもある。
 その賢治の残した言葉に「正しく強く生きるとは銀河系を自らのなかに意識し、これに応じていくことである」とある。これは、哲学者・パスカルが随筆「パンセ」に記した「人間は考える葦」を彷彿させる、まさしくアフターコロナを生きる、われわれの大切な指針とはいえまいか。
 各国・各企業が血道を上げている宇宙開発が単なる市場競争に陥らず、「宇宙を自らのなかにより意識させるもの」となるならば、それはすばらしい。宇宙の自らのなかに意識できれば当然、地球・人類を意識できないはずはない。
 詩「雨ニモマケズ」には、「東に病子あれば行って看病し/西に疲れた母あれば行って稲束を背負い/南に死にそうな人あれば行って怖がらなくて良いといい/北に喧嘩や訴訟があれば詰まらないから止めろといい」とある。
 今回は、宮沢賢治研究家の牧野立雄氏の著書「宮沢賢治 愛の宇宙」(小学館)のなかに掲載された、牧野立雄といぬいとみこ(児童文学作家)、河合隼雄(心理学者)、河合雅雄(霊長類学者)、山折哲雄(宗教学者)、山中康裕(精神科医)の6人によるシンポジウム「修羅を生きる」のなかから一部を紹介する。
 
* * * 
 
●賢治の動物観
河合(雅):「なめとこ山の熊」の場合、牧野さんの読み方を「ああなるほど」と思って感心したのですが、この作品は賢治の動物観、広くは自然観をよく表していると思います。子をもった母熊に対する、こういう考え方は、日本の本格的な猟師一般の考え方ですね。
 つまり、子どもをもっている奴は絶対撃たない、これは逃がす。これはマタギも飛騨猟師も白山の猟師も同じです。イノシシもシカも子持ちは撃たない。それが、小十郎が「しようがないから自分はクマを撃っているんだ、許してくれ」というところがあるでしょう。
 こういう考え方も本格的な猟師の間では今でも生きている。だから猟師というのは獲物を撃って血なまぐさいことをやっているようですけれども、非常に動物を尊敬しているところがある。ですから、こういう話は、賢治はよく山へ行っていますから、山人の系譜の人から色々聞いたのでしょうね。
牧野:それはあったと思います。「なめとこ山の熊」の舞台になったのは花巻の豊沢川の上流で、実際に「なめとこ山」と土地の人びとに呼ばれているところがあるのです。つい最近、そこに大空の滝の調査で連れていってもらったのですが、今でもクマがたくさんいますし、ブナの自然林が広がるすばらしいところです。
 そのなめとこ山と花巻の中間に、賢治の家が常宿にしていた西船温泉があります。ですから、そこに泊まると当然、宿にクマの肉とかクマの胆を売りに来る人から話は聞いたと思います。
河合(雅):賢治の作品に出てくる動物を調べてみると、クマはよく出てくるのですが、不思議なことにカモシカが一度も出てこない。イワナも出てこないですね。ネコ、ウマ、ウシそれにキツネ、タヌキで奥山の動物は少ないようですね。
山折:鹿踊りがよく出てきますから、カモシカは鹿踊りで代表させたのですかね。確かにカモシカが出て来ないというのは不思議なことですね。
河合(雅):カモシカはよくシシとかアオといういい方をするし、里の人にもかなり身近な獣なのに不思議です。賢治の作品に出て来る鹿踊りは今でも残っていて、これは全部シカですね。
山折:そうです。賢治の鹿踊りの詩は単なる仮面踊りではなくて、実際のシカが出て来て踊っているという感じですね。
牧野:ほんとうの奥山は賢治にとって未知の世界だったようです。いわゆる里山が賢治の主要なフィールドだった。賢治ゆかりの地を実際に歩いていてそう思いました。
 
●修羅からのまなざし
山折:大正10年に、賢治が家出をしたときに、「岩手日報」に大きな記事が出るんですね、四段か五段の。花巻市の素封家の子どもで高等農林を優秀な成績で卒業した賢治が家出をした、それは法華経に心酔したためであると、でかでかと出ている。
 花巻の町は狭い世界です。知らない者は誰もいない。一番困らせてはいけないと思っていた母親が一番困っただろうと思いますね、お父さん以上に。実はそのころから賢治は寒行をやっていて、「南無妙法蓮華経」といって町のなかを歩いているわけですが、一般の人はそういう賢治に対して「道楽息子・賢治」というつぶてを投げていますから、盆地的世界の息苦しさは感じていたでしょうね。
河合(雅):牧野さんは賢治の病気のことが大事だとおっしゃたのですが、僕も本当にそう思います。実は私も長い間、結核で苦しんだものですから、よく分かります。結核という病気の怖さは、人にいえないものがある。しかも当時は死病ですからね。
 徹底的に嫌われて排除される。だから病弱なお母さんとは何もいわなくても相通じる共通項があったと思いますね。それに賢治は若いときに肋膜を患っていいるでしょう。
牧野:ええ、徴兵検査のときにそれが分かります。
河合(雅):そのとき保坂嘉内という友だちに手紙を出して、俺は家を継ぐけれども、係累は残さないというようなことをいっているでしょう。当時は結核という負い目を負うと、もうそういうことまで考えなければならなかった。それに結核のいやらしいところですが、結核は非常に性欲を亢進させるのです。
 ところが、とにかく近寄るなといわれるような存在ですから、自分のなかにすごい葛藤があったと思われますね。だから、どうしても非常に強い禁欲という方向、宗教的禁欲という方向に向かわざるをえなかった肉体的事情があった。
山折:それに少しでも命を永らえさせるために禁欲するという...。その結果として宗教の方に向かわざるをえない。
河合(隼):そうですね。従来の賢治像は、女性とか性ということとは全く無関係な、非常に単純なイメージだったわけですが、牧野さんは賢治の性とか女性の問題こそ大事だといわれたわけで、私は本当にその通りだと思います。そういう葛藤がなければ、あれだけの作品が生まれるはずがない。
 ただ、賢治の一生をユングのアニマの四段階に当てはめられたのですが、その点でそう簡単にはいかないように思います。たとえば「なめとこ山」の母と子のイメージは、むしろ第一段階の母と子のイメージと考えられます。つまり霊的な段階ではマリアは処女だ、乙女だということがすごく大事なことですからね。
 だから母でなお乙女でありうるというイメージは、日本人にはほとんどイメージすることが不可能なくらいむずかしい。日本人の場合は、どうしても母と子というイメージが強いですからね。賢治の作品をアニマの四段階に当てはめていくことはむずかしい感じがします。

牧野立雄(まきの たつお)
1948年、愛知県生まれ。1964年に東京芝浦電気・名古屋工場の技能訓練生、1969年に名古屋市立向陽高校卒業し上京。職を転々とするなかで、宮沢賢治に目覚める。1977年に法政大学通信教育部日本文学科卒業し、盛岡に移住し賢治を研究。主な著書には「風のシグナル」「隠された恋 若き賢治の修羅と愛」「賢治と盛岡」などがある。また宮沢賢治生誕百年記念TV番組に「宮沢賢治の世界」「賢治と大迫」「宮沢賢治 青春の群像」など。