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World View

生活実感を正確に自己表現するパッケージ

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 4期目の途中で都知事を辞職し、自主憲法制定を目指し80歳で国政に復帰した石原慎太郎氏の姿を、田中真紀子氏(当時文科相)は「格好悪い暴走老人」と揶揄した。今は亡き石原氏だが、当時の国会質疑で「暴走老人の石原です。私は、この名称を非常に気に入っている」と、さすがは作家である。
 ただ、近年は高齢ドライバーのブレーキとアクセルの踏み間違いなどによる、交通事故の報道に接することが増えてきた。ともすれば死亡事故にも繋がりかねない「暴走」といえ、けして気に入られてはならない「暴走老人」だ。
 交通事故の発生数は2004年をピークに減少に転じ、2022年にはピーク時の3分の1以下になっている。だが高齢ドライバーによる事故割合は増加傾向で、死亡事故全体に占める高齢ドライバーの事故割合は増加している。
 なかでも、75才以上の高齢ドライバーと75才未満のドライバーの死亡事故の比較では、高齢ドライバーは、工作物衝突や路外逸脱といった単独事故の多い傾向があるようだ。事故原因の第1位は「操作不適」で、ハンドルの操作不適とブレーキとアクセルの踏み間違いが大半を占める。
 つい先月には、名古屋市で6歳の女子が愛犬を連れ(青信号の)横断歩道を渡っていたところ突然、信号を無視した車が突っ込み、女子の連れていた犬を跳ねて逃げたとの報道があった。数センチの差で女子には当たらなかったものの、連れていた愛犬がはねられて死んだという事故であった。
 単純に「女子に当たらなくてよかった」とはいえない。のちに車を運転していた91歳の男性が謝罪に現れ、「私はお金を払うことしかできない。あとは保険会社と話をしてほしい」といったと聞くが、これ以上に醜い暴走老人はない。そこで今回は、作家の中野孝次氏の随筆「美しい老年のために」(海竜社)からその一部を紹介する。
 
* * * 
 
 わたしは、以前はなんとなく鰻でも天然ものが一番うまいのだろうと考えていた。だから数年前四国にいって、四万十川を上から下まで下ったとき、下流の中村市まで来てとある小料理屋で、「四万十川の天然鰻の鰻丼」とあるのを見ると躊躇せずそれを頼んだ。
 亭主は鰻をザルに入れてもってきて見せ、それから調理にかかった。かなり時間がかかってからできて来たから期待を込めて口に入れると、それがどうもいけないのである。そこのは関西ふうのつくりだということもあろうが、鰻が固くて脂っ気がなく、お世辞にもうまいとはいいかねる代物だった。
 期待が大きかっただけに失望も大きかった。そこで、その体験を当時毎週書いていた某紙のコラムに書いたところ、しばらくして「赤坂重箱」の主人から巻紙に筆で書いた封書が届いた。見ると、新聞の四万十川の鰻の話を読んだが、かねて私の思っていたこととピッタリ叶うので、お手紙する次第であるとあって、こういう。
 「天然鰻というのはけして常にいいとは限らないのです。時期がズレればあなたが召し上がったもののように、脂がなくうまいものではない。私は、それより最上の方法で養殖した鰻の方がうまいと信じている。最上の養殖とは、なるべく自然の生息条件に近いところで、鰻が自然に食することに近い餌を与えて養うことをいうが、私はそれが一番うまい鰻だと思う」というのであった。
 私は、その手紙をみてなるほどと思った。頭で考えてももしそういう養殖法があるなら、その鰻はさぞかしよかろうと思われた。そこで、しばらくして「赤坂重箱」に出かけて試したところ、まさにそこの鰻は、脂は充分にのっているがくどくなく、柔らかくて豊かな味のものであった。
 そのことで鰻に興味をもち出して、私は東京中の名のある鰻屋をしらみ潰しに一つ一つ食い歩き出した。
 鰻、しかも鰻丼という一つのテーマに目的を絞って食い歩くのは、大袈裟にいえば、剣術遣いが道場荒らしをするようなところがある。信ずるのは一剣ならぬ自分の舌だけである。評判とか名声とか他人の意見は一切無視して、ひたすら自分の舌の感じるところだけを信ずる。
 そうなると食うことに自分の存在の全部が掛かっているような気がして、鰻丼一つ食うのも真剣勝負だ。鰻ばかりは天丼のように大勢の客が詰め掛けて熱気にあふれる店がいいとは限らない。
 昼時にサラリーマンが行列をつくるような鰻屋では、何しろ蒲焼という手間のかかる料理は、あらかじめ大量に下ごしらえしておかねば数をさばくことができないのだから、そんな店で本物の鰻丼をと求める方がムリなのだ。
 鰻はやはり昔ながらにうんと時間のかかる食いものと覚悟しないと、本物を食うことができない。その点、私が気に入っているのは北千住の「尾花」で、ここはほかの一流鰻屋のように個室ではなく大広間の追い込みであるのがいい。
 そこで鰻ができて来る間つまみで酒をのみ、まず白焼きが出てきて、その淡泊な味わいを肴にさらにのむ。広間一杯に詰めかけた客の期待の熱がわあわあがやがやしていて、いかにも下町の鰻屋に来た感じがする。
 ついでに余計なことを一ついえば、私は外国旅行でも個室に入れられる高級レストランを好まず、大広間に大勢の客ががやがやしている店を好む。そういうところで町の人たちの声を聞き、姿を見、雰囲気に浸るのが、その街を知る一番いい方法だと度重なる体験で信じるようになった。
 バブル経済全盛期のころ、あっちもこっちも高級フランス料理店なるものができて、目玉の飛び出るような値段を平気でつけていた。
 やたら手が込んでしつこいだけで、本場のものとはとてもいいがたいものばかりだった。バブルがはじけたあと、あんな店はあらかた淘汰されたらしいが、当然でもありいいことである。
 そんな店に限って出てくる料理の一つ一つについて「これは何のなにがしでこういう調理をしてまして」と、大層な講釈をつけるのが普通だったが、本当に味に自信がある店なら、そんなことはしないに決まっている。
 ところが、その悪風がいつか日本料理にまで移って、おかみがしゃしゃり出てつき出しから出てくる皿や鉢もの一つ一つに説明をつける店が多くなった。私はそれが煩く、その都度「説明はいいよ。うまければうまい、まずければまずいという。実物で判定するから説明はいらない」と断ったものだ。
 すると、大抵の店はおかみが急に興醒めしたふうで、とたんに扱いがぞんざいになったが、そういう説明つきの店でいいものに出会ったことは、これまた一度もない。
 あんなことが流行るようになったのは客の方にも責任があり、自分の舌に自信がなく言葉による説明を信じる連中が多くなったせいかもしれない。美術展なぞに行くと、まずパンフレットの解説を読んでから絵を見る人がよくいるが、あんなことをしていては、いつまでたっても自分の目を養うことはできまいと思う。
 アランがそのスタンダール論のなかでいっている。「興味を養うにはたった一つの手段しかない。即ちどんな粗雑なものであろうと、自己の趣味に勇敢に従うこと、そして自ら感じることを正確に自己に告白すること。あらゆる教養は虚栄心と対立するはずだ」と。
 二十代にこの言葉に出会って以来、私はこれを金科玉条としてきたから、絵に対しても食いものに対しても自分の感覚しか信じないのである。生産高とか販売量とか、利益とか効率とかが問題になる世界と違って、絵や酒や料理、つまり文化に関する事柄については、自分の感じるところを正確に信じる以外に判断の方法はない。質に関することだからだ。
 小林秀雄がパリの通いなれたレストランでいつもの酒を頼んだところ味が違うと感じ、そんなことはないといい張るシェフに、ついにその違いを認めさせた話は有名だが、あれも銘柄だの専門家だのを信ぜず自分の舌を信じたからこそ起こり得たことだ。

中野孝次(なかの こうじ)
 1925年、千葉県生れ。独学で旧制高校に進み、第2次大戦で出兵を経験し東京大学文学部を卒業。ドイツ文学者としてカフカ、ギュンター・グラスなどの翻訳に携わり、日本文学の批評や小説、エッセイなど執筆活動をつづける。
 1966年に1年間滞欧ののち、日本の中世文学に傾倒。1972年に著作「実朝考」を刊行し、1976年に「ブリューゲルへの旅」で日本エッセイストクラブ賞、1979年に小説「麦熟るる日に」で平林たい子文学賞を受賞。1988年には愛犬との思い出を綴った「ハラスのいた日々」が新田次郎文学賞を受賞。1992年に、「清貧の思想」がベストセラーとなるほかに「セネカ 現代人への手紙」「暗殺者」「犬のいる暮し」「よく生きることは人間の仕事である」などの著書がある。2004年に日本芸術院賞・恩賜賞を受賞し、同年に79歳で死去。