トップページ > World View
歴史的な奥行き尋ねるパッケージ
今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。
けして避けては通れない話題がある。イスラエル軍とイスラム組織「ハマス」との大規模な衝突から1ヵ月とのことだが、それに何か意味があろうか。パレスチナ自治区のガザ地区での死者は「1万人を超えた」との報だが、今この瞬間も戦火に命を奪われていく人がいるのである。
先日、無事日本に帰国した「国境なき医師団」の白根麻衣子氏はテレビインタビューに応じ、ガザの戦禍の悲惨さと残酷さを涙ながらに語り、「戦争は何も生み出さない。ただただ『命』が失われ、あってはならないことだと常に忘れずにいてほしい」訴えていた。
「戦争」に例外はない。また、なにも人の命だけを奪うものではない。恐怖や憎悪が生み出す戦争は限りなく増幅し、伝染していくものである。そこに生きる、あらゆる生物の命を無差別に根こそぎに奪い取り、営々と築き上げてきた生活や風習・文化を一瞬で破壊する。
戦争はSDGsを反故とし、持続可能な社会とは真っ向から対峙する魔物である。だが、それはまたわれわれの日常に潜む魔物である。晩年、紛争の絶えないアフガニスタンの地で、灌漑事業に注力した医師の中村哲氏の残す言葉は重い。
「自らを省みない技術は危険である。神に代わって人間が万能であるかのような増長、自然からの暴力的な搾取、大量消費と大量生産―これらが自然環境の破壊や核戦争の恐怖を生み、人間の生存まで脅かしている現実は動かしがたい」と。
今回は、その中村哲氏の死後に編まれた一書「希望の一滴 中村哲、アフガン最後の言葉」(西日本新聞社)から、その一部を紹介する。
* * *
人類が農業という技術を手に入れてから、灌漑は社会の中心的な営みであった。文明は川沿いに発展し、河や泉からの取水、水施設の完備は、為政者の権威に関するものであった。日本でも弘法大師から江戸時代の無名の庄屋たちに至るまで、治水・灌漑の業績は末代まで語り継がれた。
日本で最も親しまれた古典である論語は、孔子の生きた時代、2500年前の古代中国社会の消息を伝えている。古代の中国人が水や灌漑をどう考えていたかを窺い知ることができる。古代の水の事業がいかに重大事であったか、われわれの想像を越える。
子曰く、禹は吾間然することなし。飲食をうすくして孝を鬼神に致し、衣服を悪しくして美をふつべん(黻冕:祭壇)に致し、宮室を卑くして力をこうきょく(溝洫:灌漑)につくす。禹は吾間然することなし。(泰伯第八)
禹は堯舜と並び称せされ、中国史上の伝説的な皇帝である。孔子が最も敬愛する人物の一人で、「間然(非難)することなし」が2度も出てきて、並々ならぬ称賛である。禹は五帝時代の聖王・舜に仕え、困難な治水灌漑工事を行って尊敬を集め、禅譲によって皇帝となり、のちに夏王朝(紀元前2050年)を開いたといわれる。
相当苦労した人らしく、その父・鯀も同様に舜の下で灌漑事業に従事して失敗、咎めを受けて処刑されている。遺志を継いだ禹は、13年間家に帰らず、全国の河川を治め、灌漑で国土を豊かにしたと司馬遷の史記に記されている。
灌漑の失敗で処刑されるという記述をみると、為政者側の権威にも関わる厳しい事情があったに違いない。農業社会における灌漑は、それほど重要であった。「衣服を悪しくして美を祭壇に致し」とは、自分の身の回りは質素にして、天を尊び称えることである。
これは論語全体を貫く基本的な道徳観の一つで、実以上に飾ることを忌避するとともに、自然を司る者(天)への感謝と祈りを欠かさないことである。衣服や住まいに執着しない質素さは、儒教文化のなかで一つの徳目とされ、長く日本人の感じ方・考え方に影響を与えてきた。
禹はとくに、この点が目立ったらしい。今、川の工事に従事しながら思うと、納得できるものがある。おそらく彼は徹底した現場人間で、直接工事を指導していたのだろう。(史記によれば、禹は日焼けして手がカサカサで、水に漬かっていた脚は脱毛していたという)川の現場にある者は、言葉にごまかされない。
水の脅威も恩恵も、ただ水の理を司る神意によって成ることを知っているからである。理屈よりも実を重んじ、無用な飾りは意味がないから、衣服なども無頓着である。また、いくら技術や経験を尽くしても、究極的には天意にすがらざるを得ないので、祈りを尽くす。
自然の支配者である天、それに対する人間の謙虚さ、その関係においてこそ、倫理の基礎がある―と昔の聖人は考えたのかもしれない。実際、東洋的な「治水」とは、けしてflood control(洪水制御)とは同義ではない。「治水」の語は、その自然観を含みにもつがゆえに、英訳できない語の一つである。
これに対してflood controlは純然たる技術用語で、自然を操作の対象としか眺めない。たかが言葉の問題といえばそれまでだが、われわれ近代人の意識から自然が遠ざかったのは、言葉の問題も少なからず関与していると思われる。そこで自然とは三人称の物質であり、二人称で語る祈りや対話の相手ではなくなっている。
東洋的な治水は、一般的に自然地形に則り、人と自然、彼我の立場を総合的にみて、徹底した減災を目指している。流水には必ず逃げ道を与え、災難をかわすのであって、力で対抗しない。生命財産の全てを守るよりは、生命など貴重なものを護るために、ある程度の損失はやむを得ないと考える。
津波の高さが16mだったから、16m以上の防波堤をつくれば安全だとは考えない。まずは危険な場所を極力避ける。もっといえば、安全と欲望は両立しないので、欲望を減らして危険な冒険を極力避け、力を尽くして天に祈る。そこには単なる技術ではなく、ある種の倫理観が息づいている。
孔曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿し。(雍也第六)
これも有名なくだりである。川はしばしば生生流転する世界の象徴として登場するが、ここでは流転のなかを生きる知恵者の描写である。静と動の対比で、水は動を代表し、一つとして同じ形をとらず常に動く。人の知恵もそうあるべきで、大本をみて臨機応変に対処すべきことを説く。
マニュアルで固定したり、白黒の定義で決めつけたりしない。「君子は器ならず」という言葉も、似たような意味が込められている。川の仕事もそうで、究極には定式化できないものを取り扱っている。それが仁で、知と対立するのではなく、ここでは両者がバランスをもってあるべきことを詩的表現で述べている。
現代は西洋的な合理主義の時代だ。儒教だの論語だのと述べれば、すぐに封建社会、男性優位、家族制度などを連想し、負のイメージを抱く者が増えている。しかし、東洋思想に親しんだ老世代の一人として謂い遺しておきたいのは、われわれの先人たちが大陸からの文化を吸収し、長い長い時間をかけて自らの精神的な血肉としてきた、その歴史的な奥行きである。
それが伝統や文化というもので、われわれがこの世界で考え、行動する精神的な土壌をも提供してきた。外国人や現代人が不合理とする表現も、その奥の意味を尋ねるべきで、字面の判断だけで一概に切り捨てるべきものではない。それは政治思想とも無縁のものだ。
中村 哲(なかむら てつ)
1946年9月15日、福岡生まれ。1973年に九州大学医学部を卒業後、国内の病院勤務を経て1984年にパキスタン北西辺境州の州都ペシャワールのミッション病院に赴任。以来、貧困層に多いハンセン病や腸管感染症などの治療にはじまり、難民キャンプや山岳地域での診療へと活動を広げた。
また今世紀に入り頻発する干ばつに対処するためアフガニスタンで1,600本の井戸を掘り、クナール川から全長25.5㎞の灌漑用水路を建設し、現在では1万5000ha余の農地を回復・開拓した。用水路工事は雇用を生み難民の帰還を促し、農地回復で農民の平和な暮らしを実現、その数は50万人超。
ペシャワール会現地代表、PMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス)総院長、九州大学高等研究院特別主幹教授などを歴任、2019年12月4日に銃撃を受け73歳で死亡。同年12月27日に旭日小綬章を受勲。