トップページ > World View
ニーズを捨てて飛び込むパッケージの世界
今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。
ここ数日も、戦闘休止と人質解放に向けた交渉の難航するなか、ガザ地区は攻撃を受けつづけ、さらにイスラエル軍は、ラファ(ガザ南部)への大規模な作戦に乗り出す構えである。ラファの避難民には退避が呼び掛けられ、約140万の民間人が死と隣り合わせの危機に身をさらされている。
もちろん、死と隣り合わせなのは戦争や紛争ばかりではない。そもそも生活や人生、そのものに「死」は常に内包されている。中学のころ、雨上がりで増水した川に足を滑らせ流されたことがある。激流に揉まれるなか、なぜか身の力がぬけ「人はこうして死ぬものか」との思いが自然に湧いた。
その脱力した冷静な思いで(偶然)命拾いしたようなものだ。思えば、子どものころは何度か死にかけたが、身ままに駆け回っていた野山には到るところに「死」は潜んでいた。「人間到るところ青山あり」との言葉もあるが、「人生到るところ生死あり」である。
ただ大人となって今、もし「あなたが重病に罹り、残りわずかの命を告げられたら、どのように死と向き合い人生を歩みますか?」「あなたが死に向き合う人と出会ったら、あなたはその人と何を語りどんな関係を築きますか?」と問われたならば、なんと答えるだろうか。むしろ、答えられるかどうかである。
今回は、そうした生死の問いに向き合い(男性ではむずかしい)言葉を紡ぎ出す、哲学者の宮野真生子と人類学者の磯野真穂の往復書簡(全10便)「急に具合が悪くなる」(晶文社)から、ほんの一部とはなるが紹介したい。
同書は、癌の転移を経験しながら生きつづける哲学者(宮野真生子)と、臨床現場の調査を積み重ねた人類学者(磯野真穂)が、20年の学問キャリアと互いの人生を賭け交わした20通の往復書簡である。
* * *
磯野:哲学者・宮野真生子はとても責任感の強い人です。急に具合が悪くなるかもしれないといわれたときも、迷惑をかけないようにと、まず会議の準備を済ませてしまうような人です。それだけじゃない。
医学の言葉にきちんと寄り添い、それがどんな意味を持つのかを自分で調べ、その意味を自分のなかに落とし込んだ上で選択し、進んできた人です。そんな哲学者が今、自分の身体のなかに明確に死を感じながら、自分にしか紡げない言葉を記し、それが世界にどう届いたかを見届けるまで死なないことを約束してくれました。
あなたは聡明な人ですから、これが文字通り賭けであることも、それがやってこない未来である可能性があることも十二分に自覚し、それでもなお私と未来の約束を結ぶ決断をしたのでしょう。それが今の宮野にとってどのくらい覚悟を要することであったか。そのくらいのことは分かるつもりです。
人の心を震わせる研究とは、他者のニーズを満たすそれではけしてありません。人生をかけて集められた資料たちが、その研究者の人生の軌跡のなかで奇妙な発火を起こし、ほかの人が考えたこともないような世界を展開する。そのとき、人は目の前のニーズを捨てて、その世界に飛び込みます。
世界はこんな風に見えたのか。自分はこんな世界に住んでいたのかと、自分と世界の位置づけを考え直します。私にとっての美しい研究とは、それが有名なジャーナルに載ったかどうかではなく、その研究がそのような世界を見せているかどうかです。
宮野さんは偶然性を問いつづけた日本の哲学者・九鬼周造の研究を20年もつづけてきた哲学者です。そのあなたが、死という必然でありながら、いつやってくるかは誰にも分からないという意味での偶然性を孕んだ現象と、文字通りの命をかけて向き合っています。
そして私たちの間には、出会ってまだ一年に満たないにもかかわらず、もう一つの大きな偶然があります。この現象を身体性をともなったかたちで、しかし感傷的なお話にならないかたちで分析し、世界に展開できるのは、宮野さんだけです。
このやりとりのもう一人の担い手である私にはけしてできません。その意味で宮野さんはこのチームのエースです。私がこの書簡の筆者の順番を、宮野・磯野でいきたいといった理由はここに在ります。
宮野さんは「まあ磯野が宮野の体験を解きほぐしているわけで...」などといって自分を納得させていましたが、私がこの順番でいきたいといったのは、そんなとんちんかんな理由ではありません。私をそんな困った学生の悩みを解きほぐす教員とか、クライアントの混乱に耳を傾けるカウンセラーみたいな立場に勝って立たせないでください。
そんなこと、宮野さんは自分一人で勝手にできますよ。だから、こんなに文章が輝きを放ち、力強い軌跡を描いているうちから、「最後に残った未完結な私の生を誰かが引き継いでくれれば嬉しいなと思うから。ちょっとくらいみんなに何か面倒事を残すくらいの方がいいかもしれない」なんて、途中降板を正当化するようなことはいわないでください。
偶然をめぐる20年の研究の軌跡もなく、そして死をありありとしたかたちで身体に抱えてもいない私に、あなたの分析を引き継ぐことなんて到底不可能です。エースにしかできない、私にはけして投げられないボールを最後まで投げつづけ、あなたにしか見せられない世界を多くの人に届けてほしい。
3便で登場した小久保さんは、6月9日のランカー戦で判定勝ちし、見事ランカーボクサーになりました。前戦で痛めた左手が回復しないまま試合に臨み、終盤6回では悲鳴が出るほどの激痛が走り、左手はまったく使えなくなったそうです。
棄権しようと思いましたが、セコンドの加藤さんに「ここで諦めたら全部パーになる。全部ダメになるぞ!」と文字通りの激励を受け、最後まで戦い抜きました。宮野さんの身体が生死を賭けた状態であるのは百も承知です。
でもあなたの最後の武器である文章で世界を描く力は、いまだあなたのなかにしっかりと残っています。それが私に見えつづけている限り、宮野の気持ちが揺らぎそうになったときは、「諦めるな。まだ行ける」とその手を逆側に引きつづけます。それが私の役目です。
だからもしこの先私が、あなたを何らかのかたちで物理的に助けることになったとしても、それを「患者モード」とかとらえないでください。そんな施しを授ける側に立たされるのはまっぴらごめんです。宮野ではなくてもできることを私に任せ、宮野にしかできないことに集中してほしい。この勝負、絶対に勝ちに行きましょう。
宮野:8年前、病気を得たときにお前は何を思った。磯野さんの8便を読んだ直後にそう問い返しました。そう、私は乳がんで右乳房全摘といわれたとき、「全部極めてやる」とつぶやきました。これを全部考えるきっかけにしてやる。
自分の研究テーマである「偶然」を「恋愛の出会い」なんて甘っちょろい言葉だけで語るのではなく、「災厄」としてさえ掴むことのできる立場に私もようやく立てたのではないか、この身をもって。偶然がもつポジとネガの両面を分析する資格が与えられたような気になってどこか安堵しなかったか。
そこにあったのは「見極める」というような崇高な理念ですらなく、「書くネタにしてやる」「この経験をムダにしてなるものか」という、自分の病気を喰って言葉を吐こうとする、思索する人間の業でした。でも、この業こそ、私を生かし、「エース」たらしめているのだろうと思います。
なぜ、私はそこまでして偶然を問い、語ろうとするのか。ようやく分った気がします。そこにこそ「生きている」こと、「生きようとする力」のはじまりがあるからです。
宮野真生子(みやのまきこ)
1977年7月、大阪生まれ。2000年に都立大学文学部文学科を卒業し、2007年に京都大学・大学院文学研究科博士課程(後期)単位取得満期退学。2010年10月に福岡大学・人文学部文化学科に着任。2019年3月に大阪大学より論題「個体性と邂逅の倫理:九鬼哲学の射程」で博士(人間科学)の学位を授与。2019年7月、多発性がんで逝去。
専門は日本哲学史。著書に「なぜ、私たちは恋をして生きるのか―「出会い」と「恋愛」の近代日本精神史」(ナカニシヤ出版)、「出逢いのあわい―九鬼周造における存在論理学と邂逅の倫理」(堀之内出版)などがある。
磯野真穂(いそのまほ)
1976年、長野生まれ。長野松本深志高等学校を卒業し、1999年に早稲田大学・人間科学部スポーツ科学科を卒業。オレゴン州立大学・応用人類学研究科修士課程を修了後、2010年に早稲田大学・文学研究科博士後期課程を修了、「医療の語らなかった摂食障害 摂食障害の食の文化人類学的探求」で博士(文学)を取得。
2009年に早稲田大学・アジア太平洋研究センターの助手、2011年に早稲田大学・文化構想学部助教、2015年に国際医療福祉大学の講師。同准教授を経て、2024年4月から東京工業大学教授に就任。専門は文化人類学、医療人類学。著書に「なぜふつうに食べられないのか―拒食と過食の文化人類学」(春秋社)、「医療者が語る答えなき世界―いのちの守り人の人類学」(ちくま新書)などがある。