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真正に謙遜を知る心こそパッケージのココロ
あるクイズ番組で、包装容器への表記義務となる(リサイクルに資する)「識別マーク」に関する出題(5つすべて完成させろ!?)があり、東大チーム(泉房穂、岩田明子、河野玄斗、村木風海)の誰一人答えられないなか、唯一最後に砦となる林修氏が5つとも正解した。
その直後、全く答えられなかったメンバーに対し、林氏が「みなさんはちゃんと生活していないからですよ。私は毎日ごみもちゃんと分別廃棄しています」といわれたことに深い共感を覚えた。なにも「東大卒が云々」というのではない。
もちろん林氏も東大卒で本来、学歴や肩書、身分や地位などは関係のない話である。だが、ともすれば多少の能力や財力に溺れ、研究や仕事などにかまけて生活をなおざりにしてきた人は少なくない。そもそも、それが欧米思考の合理・効率主義にかまけてきた消費社会の悪弊である。
それでも「日本は生産性が低い」などといわれれば、「労働生産性では主要先進7ヵ国(G7)で最低、OECDでも20位以下」といったデータまで引っ張り出して身を縛りつづけるわけだ。これほど詰らないことはない。所詮データは過去、高低は比較論に過ぎない。
昨今の為替や株価の乱高下をみても一目瞭然だが、伸びしろは低ければ大きく、高ければ小さいわけである。そんなことに一喜一憂することが、林修流にいえば「ちゃんと生活していないから」となるのである。生活に向き合えば、株価の変動よりもごみの分別廃棄が大事である。
今回は哲学者・阿部次郎氏の著書「合本・三太郎の日記」(角川選書)の「沈潜のこころ」からその一部を紹介したい。古語的な堅いいい回しの苦手な人もいるかもしれないが、乾物のスルメを食むように時間をかけてゆっくりと咀嚼すれば、得もいわれぬ味わいを楽しめるものである。
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弱い者はその弱さを自覚すると同時に、自己のなかに不断の敵を見る。そうして、この不断の敵を見ることによって、不断の進展を促すべき不断の機会を与えられる。臆病とは、彼が外界との摩擦によって内面的に享受する第一の経験である。
自己奨励とは、彼がこの臆病と戦うことによって内面的に享受する第二の経験である。したがって臆病なる者は、無鉄砲な者よりも沈潜の道に近い。彼は無鉄砲な者が滑って通るところに、人生を知るの機会と自己を開展するの必然とを経験するからである。
弱い者は、自らを強くする努力によって、最初から強いものよりも更に深く人生を経験することができるはずである。弱者の戒むべきは、その弱さに耽溺することである。自らを強くする要求をともなう限り、われらはけして自己の弱さを悲観する必要をみない。
くり返していふ。無意識の背景を欠く内省の戯れと、これにともなう情感の耽溺は無意味である。しかし内省の根底を欠く無鉄砲な自己肯定は、更に更に無意味である。無鉄砲を必然だといふのは、よろめく酔歩が酔っぱらひにとって必然だといふに等しい。酔っぱらひには遠く行く力がない。無鉄砲な者には人生に沈潜する心分かるはずがない。
大なるものを孕む心は真正に謙遜を知る心である。
謙遜とは無力なる者の自己縮小感ではない。無意識の奧に底力を持たぬ者が自己の怠惰を正当とする言訳ではない。謙遜とはかくの如きものであるならば、人生の道に沈潜せむとする者はけして謙遜であってはいけない。
謙遜とは佞悪なる者がその処世を平滑にするための術策ではない。他人の前に猫を被って、私は詰らない者でございますと御辞儀をしている者は、盲千人の世のなかに在っては定めて得をすることであらう。しかし、この類の謙遜は内省に基づかずして打算に基づいている。
誠実に基づかずして詐欺に基づいている。謙遜とは自己の長所に応ずる公正なる自認を塗り隠して周囲の有象無象に媚びることによって釣錢を取ることならば、奸詐を憎み高貴を愛する者はけして謙遜であってはいけない。
謙遜とは人格の彈性を抑圧する桎梏ではない。謙遜とは月並の基督教が罪の意識を強ひるように、われらの良心に応じる税金として課せられるものならば、精神の高揚と自発とを重んずる者はけして謙遜であってはいけない。われら人格の独立はかくの如き謙遜を反撥することによって漸くはじまるのである。
真正に軽蔑し反発することを知る魂のみが、無邪気に公正に自己を主張するの弾力ある魂のみが、真正の謙遜を知る。謙遜とは独立せる人格が自己のあらを自認することである。覆い隠すところなく、粉飾するところなく、男らしき公正を以って自己の足らざるを足らずとすることである。この意味の謙遜を除いて真正に人間に値する謙遜はあるはずがない。
われらの自ら認めて長所とするところが、すべて矮小にして無意味なるを悟るときに、われらの自ら頼みとするところが相次いで崩落することを覚えるときに、われらは初めて絶対者の前に頭をもたげることができない程の謙遜を感ずるであろう。
偉なる者の認識がはじまるときに、すべての人は悉く従来の生活の空虚を感じなければならぬ。小なる世界の崩落を経験し、大なる世界の創始を感じはじめる者は、必ず謙虚な心を以って絶対の前にひざまずくはずである。真正なる謙遜を知らざる者は、大なる世界の曙を知らざる者である。
私はこの事をとくに私自身に向っていふ。私は究竟の意味において未だ謙遜の心を知らない。そうして私は、真正に砕かれざる心の苦楚のゆえに暗然としている。私の極小なる世界は一、二のわずか、大なる世界を孕んだ。そうして私は一、二の小なる謙遜の心を味わった。しかし大なる謙遜の心の前に、私の小我はなお愚かなる跳梁をほしいていることを感ずる。そうして私はまず「大なる謙遜の心」の前に、知らざる神に跪くが如くに跪いている。
謙遜の心は孕むより産むに至るまでの母体の懊悩の心である。
自己の否定は人生の肯定を意味する。自己の肯定は往々にして人生の否定を意味する。何らかの意味において、自己の否定を意味せざる人生の肯定はあり得ない。少くとも私の世界においてはあり得ない。私の見るところでは、これが世界と人生と自己との組織である。
私の見るところでは、古今東西の優れたる哲学と宗教とは、すべて悉く自己の否定によって人生を肯定することを教へている。一本調子な肯定の歌は、ただ人生を知らぬ者の夢にのみ響いて来る単調な調べである。基督は死んで蘇ることを教へた。
佛陀は厭離によって真如を見ることを教へた。ヘーゲルは純粋否定を精神の本質とした。そうして私の見るところでは、現代肯定宗の開山とも称すべきニーチェといえども、またよく否定の心を知っていた人である。彼は超人を生まんがために、放蕩と自己耽溺とその他種々なる人間性を否定した。
彼の所謂超人が人間の否定でなくて何であろうう。元より自己の如何なる方面を否定するかについては、各個の間に大なる意見の相異がある。肯定せられたる究竟の価値と否定せらるる自己の内容との関係についても、また大なる個人的意見の差異があることは拒むことができない。
しかし、いずれにしても大なる哲人は自己否定の苦惨なる道によって、人生の大なる肯定に到達する心を知っていた。彼らのなかには混沌として抑制するところなき肯定によって、廉価なる楽天主義を立てた者は一人もいない。人生と自己との真相を見る者はかくの如き浅薄な楽天観をいずこの隅からも拾って来ることができないからである。
一向きの否定は死滅である。一向きの肯定は夢遊である。自己の否定によって本質的価値を強調することを知る者にとっては、否定も肯定である。肯定も否定である。これを詭弁だといふものはすべての宗教と哲学とに縁のない人だといふことをはばからない。
(言葉や表現の一部を現代語に改めた)
阿部次郎(あべ じろう)
1883年8月、山形県酒田市生まれ。1901年に第一高等学校に入学、一高では斎藤茂吉、岩波茂雄らと交わり、東京帝国大学文化大学哲学科で文学に傾倒し、雑誌「帝国文学」を編集する。大学卒業後は夏目漱石に師事し、漱石門下の安部能成らと親しむ。慶應義塾大学、日本女子大学などで講師を務め、東北帝国大学評議員、法文学部教授、帝国学士院会員を歴任。1954年に財団法人阿部日本文化研究所を設立。1959年10月20日に逝去。
1914年に「三太郎の日記」を出版し、活発な評論活動を行い、雑誌「思潮」(現「思想』)主幹を務めた。主な著作に「地獄の征服」「人格主義」「北郊雑記」「徳川時代の芸術と社会」「万葉時代の社会と思想」「万葉人の生活」「残照」などがある。