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常に次工程を考慮したパッケージの設計思想
「問題は正しく提起されたとき、それ自体が解決である」とは、フランスの哲学者アンリ・ベルクソンの言葉だ。何事であっても、現実を正視しなければその根本的な解決は図れない。紙器設計のプロである知人の「常に次工程を考慮した設計を心掛けている」との言葉が、あらためて思い出される。
先日、家庭から廃棄されたプラスチックごみを追跡したとの興味深いニュースに接した。日本のニュースでなかったことは残念だが、米・テキサス州ヒューストンで暮らす人が、廃棄したプラごみに「AirTag」を紛れ込ませて行き先を確認したというニュースである。
ご存知の人も多いと思うが、「Air Tag」はApple社の開発した忘れ物トラッカーである。iPhoneとの通信接続による位置情報が分かる仕組みだ。プラごみはすぐリサイクル処理されるとの予測に反し、処理されぬままに民間のリサイクル施設の敷地に何百万のごみとともに積み上げられていた。
ヒューストンでは、リサイクルを目的に2022年からヒューストン・リサイクル・コラボレーションのプログラムがスタートし、すべての使用済みプラは回収されている。いわば個人による「AirTag」を用いた同プログラムの検証である。
「AirTag」のたどり着いた先には処理施設すら建設されておらず、プラごみはただ山積みされているだけで、ごみ山の高さはなんと3mを越えていたようだ。もし発火でもすれば、有毒なガスが周辺地域を汚染する可能性なども懸念されよう。
「あらゆる種類のプラごみをリサイクルできる」などと誇大に謳う処理業者は正に眉唾だが、ヒューストンの推進する同プログラム自体の欠陥も指摘されている。けしてヒューストンごとではあるまい。机上の空論では現実はひと任せである。
俗にいう「ウマイ話には裏がある」である。現実を正視することは、誰かではない。自分が立つことだ。そこから、すべては始まるのである。今回はモデルの桐島かれん(著)と上田義彦(写真)の「ホームスイートホーム:暮らしを彩るかれんな物がたり」(KTC中央出版)からその一部を紹介したい。
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幼いころから母に連れられ世界中を旅してきた私ですが、雑貨や工芸品の魅力に目覚めるきっかけは、高校生のときの中国旅行でした。化粧品のパッケージがいちいちキッチュで可愛いのに歓声を上げたり、老人が履いている布底の靴が一針一針手で縫われている温かさに感動したり、農村に長年伝承されてきた精巧な手工芸の切り絵に幻惑されたり、ハンカチを覆い尽くすスワトウ刺繍のあまりに濃密な美しさに陶然としたり、私はまるで「不思議な国のアリス」のように眼を見張り通しで中国の市場の雑踏を駆け巡りました。
信じられないほど物価が安かった中国で、私ははじめて自分の財布だけで欲しいものを買いまくる自由を獲得し、その経験のなかで、出合うべき物と惹き合う磁場のようなものの存在を自分のなかに感じることができました。
そのころ、日本は高度成長期のピークで、豊かな時代を象徴するような高級ブランドや先端機器が妍を競っていました。その勢いに押されて日本では失われつつあった温かなハンドクラフトの世界が中国ではまだ日常のなかに息づいていたことが逆に新鮮に見えたのです。
「カワイイもの」「ステキなもの」との出合いを求める私の旅は、秘境の密林を探検するようにスリリングです。パリの蚤の市で見つけた年代物のレース、インドのベルボーイが着ていたのを5ドルで譲ってもらった可愛い制服、タイの骨董屋の片隅で埃まみれになっていた仏像、あわや大喧嘩というところまで粘って値切りまくったモロッコの絨毯、ベトナムの朝市に並ぶチープでキュートな台所用品...。
一つひとつは大したものではありませんが、あっとひと目惚れして断固手に入れ持ち帰ったものは、それだけでも自分にとってはミュージアム・ピースのように価値があるのです。そして、そんな宝が一つずつ集まって来て、私の暮らしをより豊かに彩ってくれています。
好きなものだけに囲まれて生きるほど幸せなことはありません。残念なことに、年々そんな掘り出し物と遭遇する機会が減っていきます。農作業の合間に籠を編んだり、女同士おしゃべりに花を咲かせながら刺繍にいそしんだり、生活と創作がまだ隣り合わせだった牧歌的な民芸は影を潜めました。
ヨーロッパの伝統を担った誇り高い職人がコストお構いなしに手間暇かけた贅沢な工芸品も、王侯貴族の庇護なしには存立せず、経済効率を追求して合理化が進むばかりです。担い手を失った貴重な文化や技術が衰退していくのを物悲しく眺めつづけているうちに、「私は、この世のなかからいずれ消え失せてしまうかもしれないものに強く惹かれるのだ」と気づきました。
それを見つけ出して守りながら、現代の暮らしに生かし、未来にも繋げていくのが、私の使命というものかもしれません。まだまだ出合うであろう沢山の「カワイイもの」「ステキなもの」のかすかな呼び声に耳を澄ませながら、私の宝探しの旅はいつまでもつづくことでしょう。
子どものころの夢はファッション・デザイナーになることでした。ものの弾みでモデルになってしまったけれど、本当はドレスをつくる方になりたくて、大学を中退してファッションとアートの専門学校にはいったくらいです。だから裁縫箱は、大工さんの道具箱のようにいつも私のそばにありました。
今、寝室の枕元に置いて愛用しているのは、桐箱に古い着物の端切れを貼り付けたりしながら、自分で手づくりした裁縫箱で、必要最低限の裁縫道具をきっちり詰合せたこの箱は、エブリシング・アンダー・マイ・コントロールという感じで、いつも中身を綺麗に保つことができ、とても機能的で重宝しています。
この箱をきっかけにして、それまで裁縫に関わるものをなんでもかんでも一緒くたに突っ込み、伏魔殿のように混沌としていた大きな裁縫箱の整理と合理化が進み増した。まず、中国のアンティークな針箱に刺繍用具一式を移し替え、リボンとかボタンとか、色々細かいものは、種類別にヨーロッパで集めた可愛いアンティークの缶に詰めました。
今流行りの市町村統合とは逆の分散ですが、用途や性格別に割拠して仲良く連帯する、このスタイルの方が、それぞれの能力や個性を生かしやすいし、私も艦隊を率いる司令官みたいでいい気分です。
最近、新たに裁縫箱を買って、どう使うか検討中です。写真にあるまっさらな箱は、楠でできていて、神社の森にフッと感じる神気のような静謐な香りがします。それほど華やかに表立つ香りではありませんが、虫除けや魔除けとして縁の下の力持ちのような役割を担う頼もしい芳香を永く保ちます。
この奥ゆかしい実用性こそ、まさに裁縫箱にぴったりではありませんか。いくら裁縫箱にこだわっていても、中身がいい加減では、なんの意味もありません。よい道具を使うと思わず背筋が伸びます。たとえば、友人に勧められて買った、伝統七有余年の菊一文字の糸切り鋏は、いかにも老成した風格が漲っていますが、老いぼれだと思ったら大間違いで、今どきの鋏よりもシャープな働きぶりで、昔からの職人の叡智にあらためて感じ入ります。
鋏だけでなく、針山、指ぬき、マチ針、糸巻きなど主だった裁縫道具はすべてが古典といっていいほど、昔から完成しているように思います。それでいていつまでも可愛らしく、まるで働き者の妖精のようです。だから裁縫箱は気の合いそうな妖精を一人ひとり選りすぐりながら住み込ませていくのは、新しい家のインテリアを決める作業のミニチュアのようで、そのたびに心躍ります。
子どもたち、孫たちに裁縫箱をつくって送るのを母親の特権として楽しみにしていますが、それでは足りずいずれ友だちにも裁縫箱を贈りまくるおせっかいおばさんになるかもしれません。
桐島かれん(きりしま かれん)
1964年8月20日、神奈川県横浜市生まれ。1983年に上智大学に入学・中退し、1984年にエスモード・ジャポンに入学・中退。在学中に学生モデルを経験し、1986年に資生堂のキャンペーンガールとしてモデルデビュー。1989年にサディスティック・ミカ・バンド(再結成/第2期)でボーカルデビュー、モデルや女優、歌手、ラジオパーソナリティとマルチに活躍する。
1993年に写真家の上田義彦と結婚し、3女1男をもうける。2013年にインテリア雑貨、オリジナルウエア等を扱うライフスタイルショップ「HOUSE OF LOTUS」のクリエーティブディレクターに就任。主な著作に「上田義彦『at Home』」(リトルモア)、「手作りのある暮らし」(文化出版局)などがある。