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2025年の流行語大賞に「緊急銃猟/クマ被害」がノミネートされた。もはや現場では「警察庁、ライフル銃によるクマ駆除に着手」「クマ捕獲へ自衛隊出動」など全面闘争の様相である。ここまで来てしまえば理屈ではなく、互いに命を懸けた闘争である。
多少不謹慎かとも思うが、あの宮崎駿監督のアニメ映画「もののけ姫」に描かれた猪神である乙事主の「自分たちの種族は小さくバカになってしまった」との言葉が脳裏に浮かぶ。アニメでも、シシ神の森を切り崩すたたら場の人間と、西国から来た猪神の群れが死闘をくり広げるシーンが描かれている。
乙事主の言葉は何も猪神だけに向けれれたものではなく、文明の力を過信するわれわれ人間にも向けられている。双方が小さくバカになれば、(猪神であれツキノワグマであれ、また人間であっても)無惨にも血で血を洗う闘争を避ける術がないわけだ。
果たして、全面闘争の末に待つものは何か。アニメのようにクマの「祟り神」とはならぬことを、またわれわれが「シシ神」の首を取らぬことを切に祈りたい。
アラスカの大自然を愛した写真家・星野道夫氏は、草むらに伏す母子グマを、至近距離からアップでとらえた写真に「おれも このまま 草原をかけ おまえの からだに ふれてみたい けれども おれと おまえは かけはなれている はるかな 星のように 遠くはなれている」との言葉を添えている。
今回は、ノンフィクション作家の柳田邦男氏の随筆「言葉の力、生きる力」(新潮文庫)のプロローグからその一部を紹介したい。そこには「ノンフィクション・ジャンルの仕事をしてきた作家が、なぜ神話を重視するのか」との答えが記されている。
 
* * * 
 
なぜ星野道夫氏(写真家)の世界に引き込まれたのか、その誘因を考えると、複雑な構造になっている。第一の誘因は、星野氏が二十歳の学生だったとき、山岳部の親友の遭難死という事件に直面して、自分の生き方を百八十度転換させたところにあった。
大学のキャンパスの明るさと喧騒に違和感を抱き、動物写真家になってアラスカに行こうと決意した若き日の星野氏の内面のゆらめきが、ストレートに私の心のなかに伝わってきたのだ。というのは、私も二十五歳だった息子を失ったあと、かなり長い期間、群衆や風景をモノクロの静止画像のように感じ、元気に仕事をしたり遊んだりしている人びとを別世界の出来事のように感じる離人症的な感覚に陥った経験があるからだ。(中略)
第二の誘因は、科学主義・合理主義に支配された現代文明のなかで排斥されてきた神話的世界観・生命観を生き生きと甦らせてくれた点だ。科学的な時空論を超越して、化石時代も今も同一の空間のなかでとらえ、古老やシャーマンの言葉に人間が生きていく上で根源的に大事な教えを読み取る。
アラスカの森のなかにテントを張り、朽ちて大地に還るカリブーの骨を見、あるいは白い化石樹群に目を見張りつつ、施策を深めた星野氏の言葉は、すでに神話的普遍性に到達している。私にとって、今なぜ神話が胸に迫るのか。ノンフィクション・ジャンルの仕事をしてきた作家が、なぜ神話を重視するのか。
私がノンフィクションという新しい表現手段の可能性を追求しようと決心したのは、「事実の時代」(新潮社)というエッセイ集を手はじめに「事実」というキーワードを冠したノンフィクション論のエッセイ評論集を、自分の存在証明を賭けるほどの意識をもって、何冊も発表してきた。
それは五十年代の学生時代に味わった、実存する人間の現実を無視したイデオロギー優先の政治論に対するアンチテーゼの意味を込めての表現活動だった。そして、私とほぼ時期を同じくして、多くのノンフィクション作家がそれぞれの事象を背景に登場し、書店にはノンフィクションのコーナーも設けられるようになった。
しかし、ここに来て、私はノンフィクションという表現活動に行き詰まり感を抱くようになった。もちろんノンフィクションという表現手段の可能性を否定するわけではないし、私がノンフィクションの仕事を放棄するわけでもない。ただ、その限界あるいは危険性を感じるようになったということだ。
とくに問題なのは、事実主義が蔓延するようになったことだ。事実であれば、あるいは面白ければ、プライバシーでも何でも書いてしまう当世のジャーナリズム。あるいは日中戦争における日本軍の残虐行為について、事実の証明が不十分だから、あれはなかったのだとする議論。
いずれも歪められた事実主義だ。私がイデオロギー優先へのアンチテーゼとして、「事実」というキーワードを提起したとき、戦争や災害や事件の被害者の悲しみや心の傷みに対する豊かな想像力に支えられた配慮という要素は、いわずもがなの前提条件だった。
しかし当世は、そういう前提条件はすっぽぬけて、カラカラに乾いた事実主義が闊歩している。その構図は、科学主義に支配された現代医学が、臓器や組織ばかりを診て患者をみない傾向を強くしている図と酷似している。
ノンフィクションの作品といえども、人間が生きる上で大事なものを読者の内面に伝えようとするのであるなら、潤いのある物語性あるいは神話的語り掛けの方法こそ、有効な表現方法だというべきだろう。
いや、雑多な事実のなかから意味のある事実を拾い上げて、それらの事実で一つの文脈をつくったとき、それは無数の星のなかから星座を描くのに似て、もはや事実そのものではなく、作家が創作した物語となっている。創作した物語であるなら、本質において神話との隔たりはさほどない。
いい換えるなら、事実の一つひとつを言葉に置き換えることによって、一旦抽象化し、それらの言葉を作家の構想にそった文脈でつないでいくことによって、再び意味のあるリアリティを取り戻す。それが物語をつむぐ作業なのだといってよいだろう。
その作業においては、どのような言葉を事実にあてがい、それらをどのような文脈でつなぐのかが問われるのだ。そんなことを思いめぐらせながら、この十年間に書いてきたノンフィクション関係の本に関する書評やエッセイを整理して「読むことは生きること」(新潮社)にまとめたところ、物語性の重視ということは、ずっと私の問題意識の通奏低音になっていたことが、いくつかのエッセイから読み取ることができた。
さらに、私自身のノンフィクション作品をたどって調べてみると、1981年に出版した「ガン50人の勇気」(文藝春秋)のなかで、数多くの人びとの「最後の日々」を訪ね歩く旅を、「心優しき『神話』を求めて歩く旅にしたい」と書いている。
1975年に発表した原爆と台風の二重の災厄の記録「空白の天気図」(新潮社)のあとがきには、「ところどころかけた結晶格子の点と点をつなぎ合わせ、線と線を交差させて、原型を復元させる作業は、原型の全体像をどうとらえるかという構想力の問題とかかわり合う。私はまさにその原型復元作業において小説的手法を用いた」と書いている。
そうした私の発想の原型を探ると、小学生時代に数々の少年少女物語を読み漁って、心の飢えを満たしていた日々が浮かんでくる。結局、人間が生涯に為すことは、幼少期に用意されているという仮説は真理なのだろう。
そのことを明確に意識したこれからの私の作品は、より濃厚に物語性や魂の問題を含む神話的語り口を取り入れたものに変わっていくだろう。その端緒は、「読むことは生きること」に収録した「魂の実存を語るK=ロスの神髄」や「コンステレーション(星座)という視座」などのエッセイに顔を覗かせている。
そして、本書に収録した数々のエッセイの随所に、そうした意識を、ときには主旋律として、ときには通奏低音として響かせたつもりだ。

柳田邦男(やなぎだ くにお)
1936年6月、栃木県生まれ。県立鹿沼高等学校を経て、1960年に東京大学経済学部を卒業。同年NHKに入局し、広島放送局へ配属される。1963年に東京の社会部に配属、1966年に遊軍記者として全日空羽田沖墜落事故、カナダ太平洋航空機墜落事故、BOAC機空中分解事故を取材する。
1971年にこれら事故を追ったルポルタージュ「マッハの恐怖」を発表し、第3回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。1995年に「犠牲―わが息子・脳死の11日」とノンフィクション・ジャンル確立への貢献が評価され、菊池寛賞受賞。主な著書に「壊れる日本人」「『気づき』の力」「生きなおす力」「人の痛みを感じる国家」「新・がん50人の勇気」「僕は9歳のときから死と向きあってきた」「想定外」の罠―大震災と原発など。翻訳絵本にも「ヤクーバとライオン」「少年の木」等多数。