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World View

幸せ貯金の包装1号

足下を掘れ、そこに泉あり」との言葉がある。わが街・江東区東陽町には「筋肉貯金1号」と、創業を物語る名のステーキハウスがある。創業のきっかけは、税理士の阿久津公一氏が姿勢の悪さと激務で体調を崩し、加齢による筋力低下(円背)で歩くことさえ困難になったことだ。
そのとき、はたと気づいたことが「身体は食べた物でできている」とのことだ。とくに筋肉と健康の関係を痛感したことから、地域住民の筋力と健康を守りたい思いでオープンしたのが「筋肉貯金1号」である。誰もが、日々の食事で何気なく「いただきます」「ごちそうさま」を口にするはずだが、彼のように身体の不調や行き詰まったとき、「食べ物」に思い至れる人は幸せである。
「人の地に依りて倒れたる者の、かえって地を押さえて起つが如し」との言葉もあるが、「地」は「食」である。偏食で倒れた者は正食で起き上がるしかない。まさに「足下を掘れ、そこに泉あり」である。「1号」とは単に1号店ではなく、この理念に共感し参画する輪が「2号」「3号」と広がる願いである。ブッダの「天上天下唯我独尊」ではないが、「この指とまれ」の「3号」だ。
今回は、栄養学者で農学博士の川島四郎氏と漫画家のサトウ サンペイの対談「日本人の栄養学講座 食べものさん、ありがとう」(朝日文庫)の、サンペイ氏のまえがきを紹介したい。人との出会いは真に不思議である。もし2人が出会わなければ、サンペイ氏は長寿を全うできたであろうか。感謝しかない。
 
* * * 
 
今から十年ほど前、先生が八十歳ぐらいのとき、私は研究所への道順を伺うために、先生にはじめて電話を掛けた。明るい声だった。「代々木の駅前で降りると、駅前はたくさん道が分かれておりますから、そのなかでヤナギの木が植わっている道を歩いてきてください」
「ハア...」
「二分十秒かっきり、立ち止まったら右にあります。ただし、順風の場合」
私の緊張は緩んで、アハハと声を立てて笑ってしまった。川島先生のことを伺ったのは小谷正一さん(デスクK代表)からである。小谷さんが、だいぶ昔、団体旅行でヨーロッパに行かれたとき、そのなかに一人変わった人がいるのに気づかれた。
ローマに着いて、ホテルの食堂で晩飯を食べたあと、その人物は小雨の降るなかをそそくさと夜の町へ出かけて行ったのである。あのお歳で、まさか女ではあるまいしと、小谷さんは思われた。
翌朝、朝飯を食べながら、「夕べはどちらへお出かけでしたか?」と聞いてみると、「いや、夕べは店が閉まってしまったので、けさ早く、もう一回町のなかを回ってきました。ローマの市場には青い野菜がいっぱいありましたよ。これで安心しました。イタリア人はあんなに肉やスパゲティを食べているけれど、青野菜もうんと食べていることが、これで分かって安心しました」と、おっしゃった。
それにしても、ローマに着くなり、誰に頼まれたわけでもないのに雨のなか、市場を見て回る。いったいどういう人なのだろうかと、小谷さんは大いに興味を持たれた。
「何しろね、グアム島で横井庄一さんが発見されたとき、そのあと、自分も行って、穴のなかで四日ぐらい泊まってこられたんだ」
「どうしてなんですか?」
「横井さんがどんなものを食べていたか、栄養学者として見届けておく必要があるってね。それで、ぼくも羽田まで見送りに行ったんだ。お弟子さんの岸田さんや、みんなでロビーで待ってるんだが、なかなか来られないんだよ。何しろご高齢だからね。ずいぶん心配していたら、出発三十分ほど前にね、スタスタと登山帽に半ズボンルックの軽装で表れて、サッサッと行ってしまわれた。なれたものよ。戦前から世界中を回っておられたんだからね」
「へー...」
川島先生は家が京都で家系がみな絵描きさんという芸術一家である。昔のことで一人ぐらい軍人さんにと、川島先生だけが陸軍経理学校に行かされ、さらにそこの大学部を卒業。
「当時、首席から三番まではハクヅケのために、さらに東大法学部に入れられたんです。しかし、私は兵隊の身体を丈夫にするのが、強い陸軍をつくる根本になると考えるので、農学部で食糧と栄養の研究をやらせてほしいと陸軍省にダダをこねました」。
異例のことだが、許されて農芸化学に入られる。そのときの主任教授が、かのビタミンB1発見者の鈴木梅太郎博士であった。「カーキ色の軍服で目立ったせいか、とくに可愛がってもらいました」と述懐しておられる。
明治の後半、東大にはドイツの有名な栄養学者ロイブ博士がおられた。この教授の机の上には白い粉の入ったビンがおいてあって、毎日、コーヒーを飲むときにそれをスプーンですくって一緒に飲んでおられた。
そのわけを質問すると、「これは炭酸カルシウムだよ。日本は火山国だから土壌にカルシウムが少ない。とくに補給しないと、骨も、歯も、神経もやられてしまうからね」といわれた。川島先生が「カルシウム教」といわれるようになった原点が、ここにあると私は思う。
それからのちはもう、カルシウムの研究に没頭されたといってもよい。私は小さいころから野菜が大嫌いだった。とくに青野菜が大の、大の、大嫌いで、両親を困らせた。それが川島先生にお目にかかって以来、少しは食べるようになり、今ではかなりたくさん食べられるようになったのである。
川島先生は戦前から「赤い血をもっている動物は、青い野菜を食べなければ生きていけない」とおっしゃていたそうである。ところが、当時の学者の考え方はそうではなかった。たとえば、肉食動物は草食動物の肉を食べるから、大丈夫なのだ、という程度であった。まるで、ぼくらがいいそうなことをオッシャッテタのである。
一般的に日本人は農学博士のいうことより、医学博士のいうことの方が立派に聞こえる。身体をつくる学者よりも身体を治す学者の方が立派なのである。クルマのメーカーより修理屋の方が上なのである。戦後、イギリスの女流動物学者が撮ったフィルムにライオンがシマウマを襲ったあと、その腹のなかの、半消化の青草にむしゃぶりつく場面が写っていた。
その発表を聞かれたとき、先生は、あの狭い研究室で躍り上がって「バンザイ!」と叫ばれたという。そうして、先生ご自身も、のち、それを目撃されたのは本文の通りである。
食べ物はすべて、太陽の光と暖かさを受けて、母なる大地、母なる海から誕生する。そうして、人間や動物がそれらを食べて生きているわけだが、川島先生は一つ一つの食べ物に一つ一つのイノチがあることを、私たちに教えてくださっているような気がする。
たとえば、青野菜一つにしても、その青い素である葉緑素が、人や動物の赤い素である血色素と、ほとんど同じ分子構造式をもっていることである。そうして、身体のなかで、ある部分が一分子だけ入れ替わって、葉緑素から血色素に変わるのである。
だから赤い血をもつすべての生き物は、青い野菜を食べないと、サラサラした血が生まれないのだ。そう教えられると、あれほどの偏食者もシブシブ食べるようになった。この歳になってからでは手遅れと思うし、人にはそれぞれの寿命があろうから、誰でも川島先生のように元気で長生きできるとは思わないけれど、「死ぬまでなるべく丈夫でいたい」と思う。
川島先生を「菜食主義者」だの「カルシウム教祖」だのという人があるが、西洋学問からの直訳ではなく、世界最多火山国という日本の風土と、人間を基調にした研究だから強調されるのであろう。それから、言葉は悪いが、「ヘイタイサンたち」という集団を使って人体実験ができた、またとない好運にして貴重な学者だともいえる。

川島 四郎(かわしま しろう)
1895年2月、京都生まれ。1918年に陸軍経理学校(12期)を卒業し、1927年に陸軍経理学校高等科を卒業。東京帝国大学農学部農芸化学科に派遣され、1930年まで研究を行う。1930年に陸軍糧秣本廠員となり、終戦まで軍用食糧・栄養の研究に没頭する。1941年に陸軍主計大佐、のちに陸軍主計少将に至る。戦後は桜美林大学教授、食糧産業研究所所長などを歴任し、91歳で亡くなる直前まで執筆や講演活動を精力的につづけた。
 
サトウ サンペイ
1929年9月、名古屋生まれ、大阪市で育つ。1950年に京都工業専門学校(現・京都工芸繊維大学)染色科を卒業し、1950年に大阪の大丸百貨店に入社し、宣伝部に勤務。勤務のかたわら新大阪新聞の4コマ漫画でデビュー。1957年に大丸を退社し、本格的に漫画家に転身する。1965年に朝日新聞夕刊で4コマ漫画「フジ三太郎」の連載を開始。1991年の連載終了まで実に全8168回。1997年に紫綬褒章を受章し、また2006年に旭日小綬章を受章。2021年に誤嚥性肺炎のため91歳で死去。